第4話:近すぎる距離、初めてのドキドキ

遠藤くんとの、

初めての二人きりの練習。


公園のバスケットゴールは、

夕焼けに染まり、

どこか、

特別な空間に見えた。


「じゃあ、あたしがボール持つから。

あんたは、ボールを奪いに来て。」


私は、

いつも部員に指示を出すように、

淡々と、

彼に言った。


彼は、

少し緊張した面持ちで、

小さく頷く。

「……はい。」


ボールを弾む音が、

静かな公園に響く。

ポン、ポン、ポン。


まずは、軽くパス練習。

私の手から放たれたボールは、

彼の手元へ、

吸い込まれるように届く。


「ナイスパスです、先輩。」


彼の声は、

やはり小さくて、

どこか遠慮がちだった。

それが、なんだか、

新鮮だった。


いつもは、

「はいっ!」と、

元気な声が返ってくるのに。


次に、ドリブル練習。

私がボールを持ち、

彼がそれを奪いに来る。


最初は、お互い、

少しだけ様子を見ていた。

ぎこちない空気が、

私たちを包む。


私がドリブルを始める。

ポン、ポン、ポン。

低い体勢で、

ボールをコントロールする。


彼が、私に向かって、

ディフェンスの構えを取る。

彼の小さな体が、

私にとっては、

なんだか可愛い壁に見えた。


私は、彼を抜こうと、

右にフェイントをかける。

彼は、それに合わせて、

素早く反応した。

さすが、男子バスケ部員だ。


次に、左へ切り返す。

彼は、またしても、

俊敏に追ってくる。

その足の動きは、

想像以上に速かった。


(やるじゃん、遠藤くん)


心の中で、

私は少しだけ感心した。


そして、彼が、

私のボールを奪おうと、

ぐっと体を寄せてきた。

その瞬間、

私は、

わずかに、

違和感を覚えた。


彼が、

私の体に、

直接ぶつからないように、

ほんの少しだけ、

軌道を逸らしたのだ。


まるで、

寸前で、

衝突を避けるように。

その動きは、

ほとんど無意識に見えた。


「(……ん? 避けた?)」


私の体は、

バスケをする上で、

誰かに遠慮されるようなものじゃない。

むしろ、

ぶつかってくる相手を、

跳ね返すくらいで、

ちょうどいい。


なのに、彼は、

私にぶつからないように、

ひどく慎重に、

ドリブルを追ってくる。


彼の足元を見ると、

小刻みにステップを踏み、

体幹をずらしながら、

私の動きについてくる。

そのフワフワとした動きは、

なんだか、

読みにくかった。


「ねぇ、遠藤くん。」


私は、ドリブルを続けながら、

彼に話しかける。

彼は、ボールから目を離さずに、

「……はい?」

と短く答えた。


「なんでそんなに遠慮すんの?」


少しだけ、

わざと挑発するように言った。

強気な言葉。

それは、

私の照れ隠しでもあった。

私自身、

こんな状況で、

年下の男子に、

何を言えばいいのか、

実は分かっていなかったから。


彼の顔が、

わずかに、

赤くなるのが見えた。

「い、いえ……っ」


「あたし、そんなにやわじゃないから。

本気で来ていいからね?」


そう言うと、

彼は、

一瞬だけ、

私をじっと見つめた。

その瞳の奥に、

迷いと、

そして、

小さな火が宿るのが分かった。


「……手加減とか、嫌なんで。」


彼は、

小さく、

しかし、

はっきりとそう言った。

その言葉は、

彼の隠れた負けず嫌いを、

私に教えてくれた。


その瞬間から、

彼のプレイは、

少しずつ、

変わっていった。


彼は、

もう私にぶつかることを、

躊躇しなかった。

いや、

正確には、

ぶつかることを前提に、

その直前で、

より繊細なステップで、

私をかわそうとするようになった。


ポン、ポン、ポン。

ドリブルの音が、

さっきよりも、

力強く響く。


彼は、低い体勢から、

一気に加速し、

私に体当たりするような勢いで、

切り込んできた。

私は、

彼の動きに合わせて、

ディフェンスの体勢を低くする。


彼の体が、

私の体に、

ぐっと寄ってくる。


その瞬間、

私の心臓が、

ドキン、と、

大きく跳ねた。


彼の、

少し汗ばんだ体温が、

私の腕を、

かすめる。

短い息遣いが、

すぐ近くで聞こえる。


「……っ!」


彼は、私を抜き去ろうと、

必死に体をねじ込んだ。

私のすぐそばを、

彼の体が、

走り抜ける。


その時だった。


ドリブルで切り込んできた彼が、

私の体を抜こうとした瞬間、

重心を低くした彼の頭が、

私の胸元に、

ふわり、と触れたのだ。


「……っ!」


まるで、

時間が止まったかのように、

二人の動きが、

ぴたりと止まった。


彼の頬と耳が、

一瞬で、

真っ赤に染まる。

抱きしめられた時とは違う、

不意打ちの接触。

彼は、

目を大きく見開き、

そのまま、

固まってしまった。


私は、

「あっ」と、

小さく息を呑んだ。

胸元に伝わる、

彼の髪の毛の感触。

そして、

その奥で、

激しく高鳴る、

彼の心臓の音。

私自身の顔も、

じわりと熱くなるのが分かった。


(近っ……!)

(ちょっと……ダメ……)

(変なとこ意識しちゃうじゃん……!)


私の脳内は、

一瞬でパニックに陥った。

バスケのことなんて、

頭から完全に吹き飛んでしまう。


彼は、

一瞬目を逸らしたけれど、

必死に平然を装おうとした。

俯いて、

転がったボールを拾うふりをする。

その手は、

微かに震えていた。


「……すみません、

ぶつかって。」


彼の声は、

上ずっていた。

完全に、

いつもと違う。


私は、

気まずさを隠すように、

無理やり笑顔を作る。


「い、いや、大丈夫だから……」


そう言いかけた、

その時だった。

私は、少し気を遣って、

でもちょっと冗談っぽく、

彼に言った。


「痛かったでしょ?

あんた、あたしの体に、

思いっきりぶつかってきたから。」


すると彼は、

慌てて顔を真っ赤にして、

ぶんぶん首を振りながら、

必死に言葉を紡ごうとした。


「い、いや、全然!

痛いとか……そういうのじゃなくて……」


彼は、

何か言いたそうに、

視線を泳がせる。

その目が、

チラリと私の胸元を、

一瞬だけ見た気がした。


私がちょっと不思議そうに、

彼を促すように笑って聞くと、


「じゃあ、何?」


彼は、

さらに顔を真っ赤にして、

耐えきれないように、

視線を私の足元から、

ゆっくりと上へ動かしていく。

その目が、

私の身長全体を、

まるで測るみたいに、

そして、私の胸で、

一瞬止まる。


「あの、ちがくて……お、俺……その……」


彼は一度言葉を詰まらせ、小さく唇を噛んだ。

再び、視線を私の目に合わせようとしない。

そして、絞り出すように、ようやく言葉を続けた。


「……小さいほうが……好き、なんで……」


彼の言葉に、私の心臓が、ドキン、と大きく跳ねた。


(……え? 小さい方が、好き……?)


頭をガツンと殴られたような、軽いショックだった。

彼の真っ直ぐな瞳の奥に、その言葉の「本音」が見えた気がして、私の顔からさっと血の気が引いた。


(……そっか。だよね。私、こんなにデカいし……)

(ちょっと期待しちゃった自分が恥ずかしい……)


喜びで熱かった顔が、今度は別の意味で、じわりと熱くなっていく。

気まずい沈黙が、重くのしかかる。私は、泣き笑いみたいな変な顔になっていたと思う。


そして、私は、

少しだけ、

自嘲するように、

小さく呟いた。


「……でかくて、ごめんね。」


その言葉を聞いた瞬間、

彼は、

さらに顔を真っ赤にして、

必死に言葉を紡ごうとしていた。

その視線が、

私の胸元を、

一瞬だけ、いや、確かに見ているように感じた。


「あの……ちがくて……その……っ」


彼は、もう顔どころか首まで真っ赤にして、絞り出すように言葉を続けた。


「俺は、胸が……!」


その言葉の途中で、彼は完全に息が詰まったように口を噤んでしまった。

私の思考は、そのたった一言で、完全に停止した。


(――え、そっち!?)

(ちょ、待って……!バカじゃんこの子…っ!)


私の顔は、きっと今、茹でダコのように真っ赤だろう。

そして、今度は、彼とは違う意味で心臓が激しく高鳴った。


私は、

無理やり、

明るい声を出した。


「ほら、続き!

早く、ボール!」


ボールを受け取る彼の指先が、

かすかに私の指に触れる。

その瞬間も、

また、

ドキン、とした。


彼は、

まだ頬を赤くしたまま、

小さく頷いた。

「……はい。」


その日、

私たちは、

何本もシュートを打ち、

何度も1on1をした。


彼が私にぶつからないように、

そして、

本気で私を抜こうと、

体幹をずらし、

足元を小刻みに動かすたび、

彼の体が、

ぐっと私のそばに寄ってくる。


そのたびに、

私の胸は、

不思議と高鳴った。


いつしか私は,

部活が終わると、

「今日も練習してるかな」

と、

公園に足を向けるのが、

日課になっていた。


そして、彼も、

私が来るのを、

ひっそりと、

待っていることを、

私はまだ、

知らないふりをしていた。


夕焼けに染まる公園で、

二人だけの秘密の時間が、

ゆっくりと、

確実に、

育まれていく。


これは、

バスケを通して始まった、

私たち二人の、

アオハルな日常だった。

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