第5話:触れる距離感、言葉にならない熱

遠藤くんとの練習は、

日課になった。

部活が終わると、

自然と足が公園へ向かう。

まるで、

もう一つの部活みたいに。


最初は、

ぎこちなかった会話も、

少しずつ、

増えていった。

ボールを弾く音の合間に、

小さな声が、

ぽつりぽつりと交わされる。


「先輩は、なんでバスケ始めたんですか?」


ボールを拾い上げながら、

彼が、

私の目を見ずに、

小さな声で聞いてくる。

意外な質問に、

少しだけ驚いた。

彼から、

そんな個人的な話をしてくるとは

思わなかったから。


「んー……。

背が高かったから、かな。

最初は、先生に誘われて。

向いてる、って言われて。」


私が答えると、

彼は、

ふっと、

小さく笑った。

その表情には、

どこか、

複雑な感情が混じっているように見えた。


「そっか。

先輩、背、高いですもんね。」


その言葉に、

私は、

わずかに、

胸がチクリとした。

コンプレックス。

でも、

それが、

このバスケを続ける、

きっかけになったことも事実だ。

彼の前で、

こんな弱い自分を見せるのは、

なんだか、

ちょっと恥ずかしい。


「遠藤くんは?

なんでバスケやってるの?」


私が聞くと、

彼の顔から、

いつもの笑顔が消えた。

真剣な、

少しだけ寂しそうな、

表情になった。

彼の瞳が、

遠い過去を映しているみたいだ。


「俺は……。

背が低いから、です。」


意外な答えだった。

普通は、

「好きだから」とか、

「かっこいいから」とか、

そんな答えが返ってくるのに。

彼の言葉の重さに、

心がざわつく。


彼は、

ぎゅっと、

ボールを抱え込むようにして、

続けた。

まるで、

自分の体を、

守るみたいに。


「ミニバスの時も、

中学の時も、

ずっと言われてたんです。

『お前じゃ無理だ』って。

『背が低いから、諦めろ』って。」


彼の声は、

普段よりも、

もっと、

小さかった。

でも、

その言葉には、

悔しさ、

そして、

強い決意が、

滲んでいた。

彼の小さな体に、

どれほどの悔しさを、

抱え込んできたのだろう。


「だから、

俺は、

誰よりも遠くから、

点が取れるようになりたかった。

背が低くても、

誰もが驚くような、

シュートを、

決められるようになりたかった。」


彼の視線は、

真っ直ぐに、

公園のリングを見据えている。

まるで、

遠い未来を、

その目に焼き付けているみたいに。

それが、

彼の、

超ロングシュートへの、

こだわり。

彼の、

ひたむきな努力の、

理由。

そして、

彼を突き動かす、

原動力。


(そっか……)


彼の言葉に、

胸がぎゅっとなる。

私のコンプレックスとは、

真逆の理由。

だけど、

その根底にある、

「自分を変えたい」という思いは、

きっと同じだ。

私たちが、

ここにいる理由は、

意外なほど、

似ていたのかもしれない。


その日から、

彼が放つ、

届かないシュートの、

一つ一つが、

まるで、

彼の叫びのように、

私には聞こえるようになった。

そのシュートに、

彼の魂が、

宿っているのが分かる。


練習は、

さらに熱を帯びていった。

私たちは、

言葉を交わすよりも、

ボールを通して、

お互いを理解し合う。

それは、

言葉よりも雄弁な、

コミュニケーションだった。


ポン、ポン、ポン。

ドリブルの音が、

公園に響く。

彼は、

「手加減とか、嫌なんで」

と言った通り、

もう私にぶつかることを、

一切、躊躇しなかった。


いや、

躊躇しない、

というよりは、

ぶつかることを前提に、

その直前で、

より繊細なステップで、

私をかわそうとするようになった。


彼の足元は、

まるで生き物みたいに、

小刻みに、

素早く動く。

右へ、左へ。

体幹をずらし、

私の重心を崩そうとする。

その動きは、

想像以上に、

読みにくかった。

そして、

驚くほど、

スムーズになっていく。

まるで、

水の上を滑るように、

軽やかで、

予測不能なドリブル。


私がディフェンスのために、

ぐっと体を寄せる。

彼の小さな体が、

私の腕を、

かすめるように、

走り抜ける。


その瞬間、

彼の息遣いが、

すぐ近くで聞こえる。

少し汗ばんだ体温が、

私の肌に、

直接伝わってくる。

そのたびに、

私の心臓は、

ドキン、と、

大きく高鳴った。


(近っ……!)

(ちょっと……ダメ……)

(変なとこ意識しちゃうじゃん……!)


あの時のパニックは、

もう日常になっていた。

いや、

日常になったからこそ、

余計に、

そのドキドキを、

誤魔化せなくなっていた。

まるで、

彼の体温が、

そのまま私の体に移っていくみたいに、

私の頬も、

じんわりと熱くなる。


ある日、

練習が終わって、

二人でベンチに座って、

ペットボトルのお茶を飲んでいた。

空はもうすっかり暗く、

公園の街灯だけが、

私たちを照らす。

虫の声が、

遠くでリーン、と響く。


彼の額には、

まだ汗が光っている。

疲れているはずなのに、

彼の目は、

生き生きとしていた。

バスケをしている時の彼は、

いつもと違う、

まぶしい輝きを放っている。


「先輩、ありがとうございました。」


彼が、

ペットボトルを傾けながら、

小さな声で言う。

その声は、

いつもの遠慮がちな声ではなく、

どこか、

満足そうな響きがあった。

達成感が、

声に乗っている。


「どういたしまして。

でも、ほんと、

あんた、上手くなってるよ。」


私が言うと、

彼は、

少しだけ、

照れたように俯いた。

その耳が、

赤くなっているのが見える。


「先輩のおかげです。

先輩と練習するようになってから、

なんか、

相手の動きが、

前より見えるようになりました。」


彼の言葉に、

私は、

意外な気持ちになった。

私が教えているつもりだったのに、

彼もまた、

私との練習で、

新しい何かを掴んでいる。

それが、

彼の言葉から、

はっきりと伝わってきた。


(そっか……)


彼の言葉が、

私の胸に、

温かく、

じんわりと染み渡る。


この二人の練習は、

彼だけの成長の場所ではない。

私にとっても、

何か、

新しい変化を、

もたらしているのかもしれない。

そう、予感した。

私自身のバスケにも、

彼との練習が、

影響を与え始めている。


まだ言葉にはできない、

曖昧な感情。

でも、

この、

公園での、

二人だけの時間が、

私たちを、

どこか、

特別な場所へと、

導いている気がした。


秋の夜風が、

ひんやりと頬を撫でる。

ひぐらしの声が、

遠くでリーン、と響いていた。

アオハルな日常は、

静かに、

そして、確実に、

深まっていく。

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