6
道路の照り返しは最初こそ心地よかったが、だんだんと悪意に満ちているように思えてきた。古い道路は崩れかけていた。生体素材だからだろうか、男はその道を踏む度に鎮守の森に無断で入った時のことを思い出した。天然の腐葉土は踏みしめる度に柔らかい反発が足の裏を伝った。
あの車を捨てて近くの廃墟に入った。既に半日立っている。本気で追うならばもう追いつかれているだろうが、その心配も無さそうだった。だれもが、外の世界に出るなど正気の沙汰だと思っていないだろう。啓蒙局と清掃局にさえ気をつけさえすれば、衣食住は保証されるのだから。おそらく、そっと戻った物も少なくないだろう。
廃墟はぐずぐずに崩れた生体素材が構成していた。伝説に聞いた核ミサイルで破壊された街もこんな風なんだろうか。男の前にある建物は穴だらけで、支えになるために材質強化された柱部分だけが、残っている。
プライベートもなにもあったものではない。後ろを振り向けばひたすら荒野が続いている。映画のセットかと二人とも外に出た時に思った。生き残った生体素材がサボテンのように点々の生えているだけで何もない。寂しい大地だった。故郷は随分豊かだったんだ、と男は独り呟いた。
「ちょっと来て」
少女の楽しげな声がした。音が空にこもらない素晴らしさを感じながら、腐葉土の街を進む。彼女はこの街で見つけた大きめシャツとジーパンを無理矢理着ている。袖をいじくったりする様が妙に子供っぽく男には見えて、くすくす笑ったら機嫌を損ねて奥に行ってしまったのだ。
少女は中古のカー・ショップ後にいた。今時、旧式で大型のホバーカーや人工筋肉を用いた高速バイクなんて骨董品でも無ければ何だというのか。これこれ、弾けたように車体の影から飛び出した少女は緑色の薄い膜に包まれた車を差した。ワンボックスタイプのようで、死にかけの生体素材で包まれている。
「プレゼントの包装みたいよね」
びりびりとその包装を引きちぎる。マナー違反、という言葉を男が連想する前に古くさい車体が顔を出した。ソーラーパネルが各所に着けられいることから、電気エンジン普及前のソーラーカーのようだ。新品のようなのは生体素材の死骸のおかげだろうか。充電用のパネルなども一揃いあるようだ。
「この子、使えるみたいね」
少女はエンジン部分の蓋をあけて、ハッキングを始めた。中のコンピューターは生きているようで、放棄された人工衛星からの映像をまだ受け取っているらしい。
「今日中に動かせるよ、あなたはちょっと旅に必要な物持ってきて。特にお腹に入りそうな物」
男は力強く頷くと、緑色の廃墟の奥へと進んだ。
天井が落ちた薬局の横を通り過ぎ、人工畳の腐敗が妙に生々しい民家の後を抜けた。学校跡があり、たくさんのたんほぽが屋上だった平べったい部分に生え、その影に恐竜がいたころのような大きな羊歯類が生えていた。どういう生態系になっているのか、よく分からない。羊歯類を避けて学校跡を半周すると橋があった。
川を挟んで向こう側にある、コンビニ跡を一つ見つければもう物は揃ったも同然だ。街が崩れていく代わりに、緑色の繭に包まれて中にあった物は比較的に無事だった。そうやって男はいくつかのコンビニや民家を回っていた。人気はなく、生き物も少ない。だが、焼け始めた空の光はコロニーと違い、色の層とゆるやかな変化がしっかり見えた。星が太陽が落ちていく度に見えるのは目新しかった。
男が戻る頃には、完全に日は落ちていた。コロニーのような温度調整がない廃墟では、寒さは倍近く感じる。
荒野は水蒸気を巻き込んで冷える。明日も霧酷いだろう、男は上の空に考えながら旧型のガスコンロのガス栓をゆるめた。レジャー用の小型のもので、ガスがきちんと残っていた数少ないものだ。電気式の発火装置は動かないため、ライターで火を付けると、一瞬、男の髪がちりちりと焼かれた。
「火、ついた」
禿げないよな、これくらいじゃ。男は髪をいじりながら少女の方を向いた。二つある義腕のうち、一つが相変わらず稼働していて、内部のランプを緑色にちかちかさせている。唸るファンからは暖かな風は送られてくるが、この荒野の冷えを吹き散らしてはくれない。もう一つの義腕を湯たんぽ代わりにしていた少女は、火がつくのを確認するといそいそとガスコンロに寄った。
「まだ」
「そうまだ、ね。昔の方がこういうのしっかりしてるみたい」
男はカンパンの缶を渡して、頷いた。今の時代、電子戦を想定した技術はほとんど無い。
「他の収入は」
パンの味を噛みしめるとその固さに妙な顔をしていたが、その内に味が出てきたのか、少女の顔は綻んだ。じっくり眺めてから男は木箱を差した。
ガスコンロをたいまつ代わりに近寄ると、食料や予備のガス、スプレー類、レジャー用のナイフが何振りか、寝袋が三袋、そして絵本やら本が数冊ずつ詰まっていた。大量じゃない、少女は言うと振り向いて笑った。
男は一冊の絵本を渡した。何世代も読み継がれてきたのだろう。彼が民家で見つけたそれは元々は図書館のものだったらしい。延滞のために残り生き残った、妙な本だった。
「はいはい、じゃあ寝袋だけ広げてからね」
二人はくすくすと笑った。
次の日、また次の日と二人は放浪した。目的地は最初に寄った街の標識から推測すると東に随分行った所ようだった。
沈みかけたた太陽は歪み、赤い光を荒野へも車へもぶつけてくる。太陽は我々を炙り出すつもりでは、男は常々そう言いたかった。
「今日はここで休みましょう」
疲れている様子で助手席の少女は声を漏らした。男と交代で運転しているが、ずっと車では疲れがたまる。周りには代わり映えしない荒野が相変わらず広がっていて、ある種の拷問にも思えた。本当に残っているのだろうか、故郷は。もしかしたら、こうして迫ってくる荒野に浸食されたんじゃないか。いや、もしかしたら荒野自体がランニングマシーンのようになっていて我々を進ませてくれないのかもしれない。
目が据わって、乾ききった赤い目がミラーに写った。大丈夫、と少女の気づかう声にも気がつかない様子で男はボウっとしていた。上を見上げると車の中には天井がある。ほっとして男はまぶたを隠した。疲れていた。何日も何日も荒野に彷徨うことは車の中にいるとはいえ楽なことではない。
「休む、休む」
そういって意識を投げ離すと、返ってこなかった。忍び込んでくる寒さに気がつくまでは、男は目を覚まさなかった。
車の戸が開いていることに気がついたのは、夜半過ぎてからだった。
冷たい風が車の隙間から吹き込んでくる。寝袋が男の上に重ねられていた。どこかへいってしまったのだろうか。後部座席に広げてあった少女がいつも使っている寝袋には暖かさはない。
男は車から転がりながら、駆け出した。ぴかぴかと安っぽそうに月が光っていて、冷たい空気のせいで余計安っぽく男には見えた。
外にある足跡は腐った道路にくっきりと残っている。
東の方へ続く足跡は暗く、月の光は届きそうもない。その軌跡を追いながら、男はびくびくと震えた。このままでは故郷の方へといってしまうんじゃないだろうか。
青々とした草原の丘が荒野との堺にある、あの丘を越えればだろうか。
その上に光る半月は決してあの毒づいたような赤でも、嘲笑してもいない。男は後ろを振り向いた。遠くに車が一台ぽつんと見えた。発電できるはずもないだろうが、ソーラーパネルを羽根みたいに広げた車。周りは荒野と草原の間で、ちらちらと草が伸びている。男は一歩進んだ。すぼっと腐葉土の道路に足が沈んだ。何度も確認するように足踏みすると、注射をこらえる子供のように目を瞑って飛び出すように丘をあがった。
「あ、起こしちゃった?」
恐る恐る目をあけると月明かりが畑を照らしている。菜の花畑が、きちんと整備され育ててられている畑がそこには広がっていた。夜だというのに黄色い花を咲かせて半月の光を反射している。その中に少女と老人がぽつんと立っていた。老人に敵意はなく、笑みを浮かべていた。
男の頭の中で、あたりは春になった。青い季節で花は若い。
実りには遠いけれど冬が越えていった季節。荒野の風が匂うような気がして目を閉じるとまぶたには土手に咲く菜の花が見える。芥子菜や野良大根が川沿いを埋めていた。若い雑草は踏めば柔らかいクッションのようだったが、足をどかせばすぐに活力を取り戻した。
目を開くと少女は駆け寄ってくる。無骨な義腕を振って大地を踏みしめていた。
老人もまた逃げ出してきた者だった。男は昨夜付き合った苦労話にげんなりしながら、老人が寝床にしている生体マンションにいた。老人はぐっすり眠っていて、二人は死んでいないかとついつい確認してしまった。
「いつまでここにいるの」
少女はあの菜の花のおひたしで玄米を食べていた。両者とも正確には荒野でも育つように遺伝子改良された物で彼の望むものではなかった。
「本物の、菜の花、見たいんだ。本も、集めたい」
パン食の彼でも、空腹が味方して玄米が口にするすると入っていく。老人の炊いたものの暖め直しでも、カンパンのように何度も噛むと甘い米の味がある。
いつまでかかるか、分からないよ、と少女はもごもごと呟いた。男は一口をきちんと噛みしめてから、木箱から絵本を一冊取り出して声高に読んだ。
「おしょうさまはこうして、おみずのながれだけでおじそうさまをつくりました」
少女は玄米をほおばって、止まっている顔はリスかなにかのようにも見える。茶色い目をくるくるさせて飲み込むに飲み込めない。固い音で茶碗を叩いているのはあの義腕だろうか。小刻みな音に体が震えた。男は久しぶりに何も考えず笑ってから、手元の水を飲み干した。喉に詰まっていた物がすっと胃へと落ちていった。
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了
クラリス 五部臨 @5bn
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