第三十五話:破壊と再生の果てに

意識が戻った時。

私がいたのは、静寂に包まれた瓦礫の山の上だった。

邪神の神殿は跡形もなく消え去り、その場所には巨大なクレーターだけが、ぽっかりと口を開けている。

『嘆きの湿原』を覆っていた不吉な瘴気も、嘘のように晴れ渡っていた。


空は、どこまでも青い。

まるで長い、長い悪夢から、ようやく目が覚めたかのようだ。


「……侯爵様……」


掠れた声で、彼の名を呼ぶ。

だが、返事はない。

私のすぐそば、巨大な岩の下から、彼の血に濡れた手だけが力なく伸びていた。


「……嘘だ」


私は這うようにして、その手に近づいた。

そして、その冷たくなった指先にそっと触れる。


温もりは、もうなかった。

彼の魂の輝きも、もう感じられない。

彼は死んだ。

私を守るために。


「……あ……ああ……」


涙さえ出なかった。

心が空っぽになってしまったかのようだ。

彼がいないこの世界に、何の意味があるというのだろう。


その時、瓦礫の向こうから人影が現れた。

リヒト、カレル、そして、サラ。

彼らもまた、奇跡的に助かっていたのだ。


「アリア様……! ご無事で……」


リヒトが駆け寄ってくる。

だが、彼は岩の下から伸びる侯爵の手を見て、言葉を失った。


「……閣下……」


彼の顔が絶望に歪む。

カレルとサラもまた、青ざめた顔でその場に立ち尽くしていた。


「……イザベラは?」


私は、感情のない抜け殻のような声で尋ねた。


「……あちらに」


サラが指し示す。

その先には、ボロボロの姿で気を失って倒れているイザベラ公爵夫人の姿があった。

彼女から禁書の魔力は完全に消え失せている。彼女はもはや、ただの無力な人間だった。


「……そう」


私はゆっくりと立ち上がった。

そして、イザベラの元へと歩み寄る。


復讐、するのだろうか。

この手で、彼女の命を奪うのだろうか。


だが、私の心にはもはや怒りも憎しみも湧いてはこなかった。

ただ、果てしない虚しさだけが広がっている。


「……」


私はイザベラの隣に静かにしゃがみ込んだ。

そして、彼女が胸に抱きしめていたオリジナルの『禁書』をそっと手に取る。

その禁書は、もはや禍々しい気を放ってはいなかった。主を失い、ただの古い書物としてそこに存在しているだけ。


「……あなたも、独りだったのね」


私は禁書に、そして気を失ったままのイザベラに語りかけた。


「あなたも誰にも理解されず、その強すぎる力に苦しんでいた。……だから、世界を憎んだ」

「……」

「でも、あなたは間違っていた。力は破壊のためだけにあるのではない。……誰かを守るためにも使えるのよ」


私の頬を、ようやく一筋の涙が伝った。

侯爵様が、その命を賭して私に教えてくれたこと。


「……さようなら。哀れな魔女」


私は立ち上がると、侯爵の亡骸が眠る岩山へと向き直った。


(……侯爵様。あなたとの約束、まだ果たせていません)

(……あなたに、まだ伝えられていない言葉があります)


私は胸に抱いたオリジナルの『禁書』と、自らの魂と共鳴した写しの禁書の力を解放した。

黒と金の入り混じった膨大な魔力が、私の体から溢れ出す。


「アリア様! 何を……!」


カレルが驚愕の声を上げる。


「……もう一度だけ、奇跡を起こしてみせます」


私は彼らに微笑みかけた。

そして、全ての魔力、生命力、魂の全てを一点に集中させる。


向かう先は、過去。

彼が岩盤に潰される、あの絶望の一瞬前。


禁書に記された、究極の禁断の秘術。

それは、神さえも恐れたという、時の流れに干渉する力。


私は胸に抱いたオリジナルの『禁書』と、自らの魂と共鳴した写しの禁書の力を解放した。


禁書に記された、究極の禁断の秘術。

それは、神さえも恐れたという、魂を紡ぎ直し、運命を編み変える力。


『魂の編纂ソウル・ウィーヴィング)』。

その術を行使すれば、私の意識と記憶は完全に砕け散るだろう。

だが、私の魂の欠片は、彼の魂の中に永遠に生き続ける。


(……構わない)


彼が生きていてくれるのなら。

彼のあの優しい笑顔を、もう一度見ることができるのなら。


(……愛しています。レイドン様)


心の中で、最後の告白を呟いた。

私は光の中にその身を投じた。それは、彼を救うための光の糸となるために。


世界が白く染まる。

そして、次の瞬間。

私は見ていた。


神殿が崩壊し、巨大な岩盤が頭上から降り注いでくる、あの光景を。


『……アリアッ!!』


侯爵が私を突き飛ばそうと、手を伸ばす。

だが、その手は空を切った。


彼の体は、私の作り出した金色の光の障壁によって弾き飛ばされ、安全な場所へと運ばれていた。

そして、私一人がその岩盤の下へと飲み込まれていく。


(……よかった)


最後に見たのは、私の名を呼び、絶望の表情でこちらへ手を伸ばす、彼の愛おしい姿。

その姿をこの胸に焼き付けられるのなら。


私は、幸せだ。


ありがとう。

さようなら。

私の、ただ一人の愛した人。


闇が、私を優しく包み込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る