第三十四話:復讐の魔女と守護の剣

神殿が崩壊を始めていた。

天井から降り注ぐ瓦礫を、私たちは必死に避けながら祭壇へと向かう。


「リヒト! 陛下を!」


侯爵が叫ぶ。

リヒトは即座に反応し、祭壇へと駆け上がると、拘束されていた国王陛下をその肩に担ぎ上げた。


「カレル、サラ! 二人を頼む!」

「お任せを!」


カレルとサラがリヒトと国王を援護し、神殿の外へと脱出路を切り開いていく。

これで後顧の憂いは断たれた。

残るは、この狂気の儀式を止めることだけ。


「……おのれ、小賢しい真似を!」


イザベラが、忌々しげに私たちを睨みつける。

彼女が手に持つ『禁書』をかざすと、地面から無数の黒い影の手が伸びてきた。それは龍脈から溢れ出した、負のエネルギーの化身。影の手は私たちを捕らえ、その動きを封じようとする。


「……侯爵様!」

「案ずるな!」


彼は私を背後に庇い、その腰に佩いていた剣を抜き放った。

その剣は、彼の一族に代々伝わるという、魔を断つ力を持つ聖なる遺物。


「――『光よ、我が剣に集え!』」


侯爵が詠唱する。

すると、剣の刀身がまばゆい白銀の光を放ち始めた。

彼はその光の剣で、迫り来る影の手を次々と薙ぎ払っていく。


その隙に、私はイザベラへと意識を集中させた。

彼女を止めなければ。


「イザベラ様! なぜこのようなことを! あなたの望みは王家への復讐だったはず! なぜこの国そのものを滅ぼそうとなさるのですか!」


私の魂からの問いかけに、イザベラは狂気に満ちた甲高い笑い声を上げた。


「復讐だと? ハッ、甘いな、小娘! 我が望みはそんな矮小なものではない!」


彼女の瞳は虚ろで、その奥にはもはや正気のかけらも残ってはいなかった。

彼女はすでに、『禁書』の力に完全に呑み込まれてしまっているのだ。


「我が一族は、この禁書の呪いをその身に受け止め、封じ込めるためだけに存在してきた! 代々、その力の代償で狂い死にしていく同胞を、王家はただ見ていただけよ! それどころか、王家は禁書と対をなす『聖遺物』の力で自らの権威を飾り立てながら、我ら守護者の犠牲を『呪われた一族の狂気』と蔑んできたのだ! この世界は真の力を理解せず、ただ利用し、恐れるだけ! ならば、そのような偽善に満ちた世界、いっそ無に帰してやるまでよ!」


彼女の絶叫が、崩壊する神殿に響き渡る。


「この禁書の真の力の前には、王も、民も、国さえも、等しく塵芥に過ぎぬ! 我は、この力と一体となり、新たな世界の破壊神となるのだ!」


彼女はもはや、ただの復讐者ではなかった。

自らが神になろうとしている、狂気の魔女。


(……ダメだ。言葉はもう届かない)


彼女の心は、すでに人のものではなくなっている。

ならば、残された方法は一つ。

彼女を、その狂気の源である『禁書』から無理やり引き剥がすしかない。


「侯爵様! 彼女の動きを止めてください! 一瞬でいい!」


私は叫んだ。

侯爵は私の意図を即座に理解したようだった。


「……承知した! 必ず隙を作る!」


彼は大きく息を吸い込むと、自らの魔力の全てを解放した。

その体から、青白いオーラが立ち上る。


「――我が魂の全てを賭けて! この一撃に全てを懸ける!」


彼の光の剣が、今までで最も強く輝いた。

そして彼は、一直線にイザベラへと突撃していく。


「愚かな!」


イザベラが禁書の力で黒い障壁を展開する。

だが、侯爵の剣はその障壁を紙のように貫いた。


「な……!?」


イザベラの顔に、初めて驚愕の色が浮かぶ。

その一瞬の隙。

私は見逃さなかった。


私は、自らの魂と共鳴した写しの禁書の力を解放する。


「――『魂よ、還れ!』」


私の手から、青白い鎖のような光が放たれた。

その光はイザベラの体をすり抜け、彼女が持つオリジナルの『禁書』へと直接突き刺さる。

そして、その魂を強引に引き剥がしにかかった。


「ぐ……あああっ! 我が力が……! 我が力が消えていく……!」


イザベラが苦悶の叫びを上げる。

彼女の体から、黒いオーラが急速に失われていく。

彼女と禁書との繋がりが、断ち切られようとしているのだ。


だが、オリジナルの禁書の抵抗も凄まじかった。

私とイザベラ、そして、二つの禁書。

四つの魂が、互いにその存在を賭けて激しくせめぎ合う。


神殿の揺れが、さらに激しくなる。

巨大な天井の岩盤が、私たち全員の頭上へと崩れ落ちてきた。


「……アリアッ!!」


侯爵の悲痛な叫び声が聞こえる。

もう、ダメだ。

間に合わない。


そう思った、その瞬間。

私の体は、温かい何かに強く突き飛ばされた。


侯爵だった。

彼は最後の力を振り絞り、私を崩落から庇ってくれたのだ。


そして、彼の体は、オリジナルの禁書から放たれた最後の呪いの奔流に、飲み込まれていった。


「……侯爵様……?」


信じられない光景だった。彼の手は温もりを失い、その魂の輝きが、砂のように霧散していくのが、私には分かった。魂そのものが、消滅しかけているのだ。


「……あ……ああ……」


私の口から、声にならない嗚咽が漏れる。


「……あああああああああああああああああああああああっ!!!!」


私の魂が絶叫した。

愛する人を失ったその絶望が、私の中に眠っていた禁書の力を完全に覚醒させた。


私の体から、凄まじい黒と金の入り混じった光の奔流が迸った。

それはイザベラが持つオリジナルの禁書の魂を一瞬にして完全に弾き飛ばし、そして崩壊する神殿そのものを内側から木っ端微塵に吹き飛ばした。


世界が光に包まれる。

そして、私の意識は、深い、深い闇の中へと沈んでいった。

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