第二章 1
水戸とはすぐに連絡が取れた。事務所でいいなら話をしてもいい、そう言われて箕島と加藤は武蔵小杉にある水戸の事務所に向かった。事務所は駅からそう遠くないマンションの一室だった。
「自宅兼事務所でしたか。押しかけてしまって申し訳なかったですね」
加藤は無愛想な水戸ににこやかに話かけた。そもそも事務所まで来いと言ったのは向こうだ。そんなこと言ってやる義理はないのにと箕島は心の中で毒づいた。太めの黒い縁の鼈甲眼鏡にきっちりと切り揃えられたボブカット。かつて一世を風靡したデザイナーズブランドのモノトーンの上下。お高めのインテリアショップのショールームのようなセンス溢れる部屋。箕島はなんとなく息苦しさを感じてそっと襟元に指を入れた。水戸は箕島にとって苦手なタイプだった。
「武蔵小杉に出版社って珍しくないですか?」加藤は無邪気に質問を続けていた。
「一応株式会社っていう体裁は整えていますが、始めたばかりの弱小ですから。それにここならアクセスもいいですしね。都内の変なところに住むより時間の無駄になりませんし、家賃もお安いですから」
「いやあ、家賃は都内と変わらないんじゃないかなあ」
水戸は打ち合わせ用と思われるリビングのガラステーブルの席につくように促した。そして自分はキッチンへと進んで行った。箕島は椅子の背に手をかけた。
「すげえ、この椅子めっちゃ高いのですよ」加藤がそっと小声で囁いた。
だろうな。箕島は不安定な三本脚の椅子に黙って腰掛けた。生活感が無さすぎてどうにも落ち着かなかった。
水戸が木製のトレイを手に戻ってきた。二人の目の前に凝った細工のグラスが置かれた。グラスの縁に小さな気泡が浮かんでは消えていた。
「炭酸水ですか?」加藤は嬉しそうに声をあげた。「確か炭酸水って身体にいいんですよね!」
水戸はそれを聞き、満足そうに頷いた。
「炭酸ガスは血流を良くするし、冷えも改善するんですよ。でも驚いたわ、刑事っていうからそういうのに興味ないのかと思った」
「確かに身体に良さそうな習慣は身につきそうもないですけど」
加藤がそう言って笑うと水戸も頬が少し緩んだ。箕島はそれを黙って聞きながら水戸を観察していた。水戸は警察に好意的ではない、むしろ嫌悪感すら抱いているように思えた。
「それで? なんか書類が必要なんでしょ? 何を聞きたいの?」
加藤が説明しかけると、それを箕島が制した。言いにくいことを聞くのは自分の役割だと判断した。加藤は水戸が機嫌を損ねた時にフォローして貰わないと困る。
「坂口美穂さんの夫の死亡時刻は打ち合わせをされていたとか」
「ええ、そうです」
「その時の美穂さんの様子はいつもと変わりなかったですか?」
水戸は不機嫌そうに片眉をあげた。「変わらなかったわよ。というか何その質問。まるで美穂さんが何かしたみたいな言い方ね」
「あくまで形式的な質問です。打ち合わせは結構長い時間行われていたようですが、その間に休憩を取ったり席を外すようなことは?」
「休憩を取ったらなんなの? 脳梗塞と心筋梗塞って聞いてるわ。もしかしてそうじゃない可能性にするつもり?」
「いえ。ですからあくまでも形式的な質問です」いま、そうじゃない可能性に<する>と言ったか?
「冗談じゃないわ。そんなことさせるもんですか!」水戸は急に音を立ててテーブルを叩いた。ガラス製というのをすっかり失念しているようだった。
「そっちがそのつもりならこっちだって訴えてやるわ! 権力を持つ側はいつもそうやって」
あまりの変容ぶりに箕島は面食らってしまった。
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