あのときのお巡りさんが？　そんなことを？

　なんかショックだわ。すごく真剣に話を聞いてくれて、ご協力ありがとうございますって言ってくれたのに。全然信用されてなかったってことよね。あ、ごめんなさいね。わざわざ札幌から来てくれたのに、いきなりぐちぐち言っちゃって。

　今さらだけど、すてきな娘さんになったわねえ。ふーん、あのヒナちゃんがこんなに大きくなって、一人で旭川まで訪ねて来てくれるなんて、私も歳を取るわけだわ。お父さんはお元気？　え、交通事故で？　ごめんなさい、全然知らなくて無神経なこと聞いちゃった。ほんとにごめんね。お母さんもあのままなんでしょ。

　じゃあ、今は――

　あ、お父さんのご実家が札幌なのね。おじいさん、おばあさん共にご健在で、そう、良かったって言うのは違うんだろうけど、ちょっとほっとしたわ。あら、お母さんのあのことは最近まで知らなかったの？　お父さんが亡くなって、おじいさんから初めて教えてもらったってこと？　それで、今、こうしていろいろ調べてるのか。そりゃあ気になるよねえ。それにしてもお父さん、どうして内緒にされてたのかなあ。

　えっと、何のお話だっけ。そうそう、お母さんが出て行くところを見逃したんじゃないかってことだったね。

　あ、いいのよ。ヒナちゃんが謝ることじゃないもの。お巡りさんからそんな風に言われたら、そうかもって思うよね。うん、でもね。それはお巡りさんの間違い。間違いって言うか、見逃しは絶対なかったって言い切れるのよ。私があのとき立ち話をしていたのは山根さんっていう人なんだけど――あら、もう先に会ってきたのね。元気にされてた？　うん、そうそう、ふんわりした感じのね。わかるわあ。全然変わってないのねえ。

　で、その山根さんは官舎に背中を向けて立っていて、私は山根さんと向かい合って立ってたってわけ。わかる？　この位置関係。私から見た山根さんの後ろには官舎があるのよ。そういうこと。山根さんと話をしている間、私にはずっと官舎の入り口のところが見えてるの。いくら話に熱中してたって、そこに人の出入りがあったら絶対気づくでしょ。動くものって目立つしね。見逃すわけないじゃない。あのときも、お巡りさんにはちゃんと説明したのになあ。

　だからね、生協のお兄さんが来るまでの一時間の間に官舎から出て行ったのは、ヒナちゃんちのお向かいの加藤さんだけなのよ。もうこれは絶対に間違いなし。お巡りさんには、ヒナちゃんのお母さんと加藤さんを見間違えたんじゃないかって、しつこくしつこく確認されたけどね。体格が全然違うんだもの。間違うわけないじゃない。あ、知らなかった？　ヒナちゃんのお母さんって、とってもちっちゃく華奢だったのよ。百五十なかったんじゃないかな。逆に加藤さんは大柄でぽっちゃりタイプ。後ろ姿だけでも見分けがつくわ。

　でもそれじゃあ警察としては困るんでしょうね。人が一人消えちゃったなんて報告はできないだろうし。私たちが見逃したってことにしておくしかなかったのかなあ。納得はいかないけど、まあ、仕方ないかもね。それにしても不思議よね。太田さん――あなたのお母さん、どうしちゃったんだろう。

　お母さんのこと？

　ああ、どんな人だったかってことね。そうねえ、どう言えばいいのかなあ。ちなみに、それを聞く理由って、たんにお母さんがどんな人だったかを知りたいだけじゃないよね。お母さんがいなくなった理由とか、今どうしてるのかとか、そういうことを考えるためのヒントになればってことだよね。

　じゃあ、正直に言うよ。とにかく圧の強い人だったな。ぐいぐい来るの。悪いことではないの。すごくポジティブなのよ。でも気の弱い人とか、社交的じゃない人にとってはちょっとしんどいなって思われてたかもしれない。官舎の敷地内で家庭菜園を始めたときも、自作の回覧板を作ってＡ棟の人全員を誘ったりとかね。それで人が集まったら先頭に立ってどんどん進めていくタイプなのね。内容も本格的というか本格的すぎって感じで、ミニトマトがちょっととれたらいいな、ぐらいの気持ちで参加した人にはきつかったと思うよ。結局一人抜け、二人抜けして、最後まで残ってたのはお向かいの加藤さんだけだったはず。

　加藤さんのこと？

　そうね、無口でおとなしい人だったから、あまりお話ししたことがなかったなあ。旦那さんは出張だとか研修だとかであまり家にはおられなかったわね。あのすぐあとに旦那さんが昇進されて、三月には東京の本省に戻られたのよ。転勤が早まったからって、まだ雪の積もってる二月のうちに加藤さん一人で家庭菜園の土を起こしたり、肥料入れたりしてたみたい。律儀なのよねえ。でもね、せっかく加藤さんが手入れをしてくれたけど、肝心の太田さんがいないものだから、春になっても放置されたままで、夏には草ボウボウになっちゃってた。

　ごめんね。この話、なんかいい感じしないよね。

　そうねえ、あと当時の話を聞くとしたらその加藤さんでしょうね。今、どこかなあ。どんどん昇進する人って全国あちこち転勤されるからねえ。同じ職場の人ならご存じかもしれないけど、ちょっとわからないな。お役に立てずでごめんなさいね。