29 淘汰
〇中央棟_儀謁館
礼拝堂として使用される儀謁館はもはや祈りの静寂とは無縁の荒れ狂う戦場へと変貌していた。曇天にて光の差し込みすら途絶えたステンドグラス。漂う塵煙と血飛沫を鈍く反射させ、聖域だった空間を異様な銀色に染め上げる。
崩れた長椅子の間を、討伐隊の重装靴が激しく踏み鳴らし、狂信者たちの裸足が砕けたタイルの上で荒ぶる音と交錯する。祈祷の残滓のように揺れる蝋燭の火が、刃と銃口に不吉な影を落としていた。
渦津禍津神の力を混ぜられた狂信者たちは人ならざる腕力と痛みを厭わずに猛進する狂気を得た。しかし、討伐隊の有する個人武力は狂信者たちの抗戦に十分に対応するだけの力があり、単に力を得て暴走状態に陥っている狂信者たちは徐々に劣勢を強いられていた。
血で濡れた足跡を残しながら突撃する信者たちを討伐隊の戒兵たちは陣形を組みつつ後退し、破壊された内部のオブジェクトの影から制圧射撃を放つ。巨大な空間を震わせ、反響が儀謁館全体を殴打する霹靂のように響いている。
それでも狂信者たちの絶叫に似た咆哮が掻き消されることはなく、コーディングされた関数処理を完遂するためのロボットのように戦いは続いていた。
「ハハ‼いいねぇ、こりゃあ傑作だ」
他狂信者とは僅かに様相が異なる一人の男が戒兵隊の陣形の中央に突っ込む。信者の大半が鉄パイプや畑作業用の鍬、祈祷用の信仰道具をありあわせの武器として利用しているのに対し、男が握っているのは明確な武器と呼べる"
「幹部だ‼交信士の
戒兵が臣海の杜のネームドである幹部の矢田を目に留め、即座にその正体を共有。しかし、その声が周囲に届くとほぼ同時に戒兵の喉笛を蛇矛の波打つ刃が掻っ捌いた。
「オラオラ、どうする?止めてみろよォ悪魔の下僕どもがよォ‼‼」
矢田は4mに迫る長大な蛇矛を空間をかき混ぜる様に振り抜く。軽々とした閃撃により戒兵たちはたちまちに陣形を崩し、数秒の合間に三名の戒兵が蛇矛による斬撃で重症を負った。
制圧の為に放たれたゴム弾を受けながらも矢田はなお止まらず、他信者と同様に渦津禍津神の力を分け与えられた彼の身体能力は尋常でない攻撃軌道と速度を実現させていた。
「幹部以上は明確に武装している点に注意しろ‼一般信者とは動きのキレも随分違う‼」
戒兵たちが身を寄せるように集まり、矢田に対して一斉射撃を行おうとした時、その集団に対してさらに別角度から襲撃を掛ける幹部が一人。
「――その通り。我々はそこいらの凡庸な蒙昧共と異なり、真に渦御神の御心に寄り添ってきた。昨日今日で力を分け与えられた傀儡とは肉体の完成度が違う」
青龍刀が瞬き、戦闘服の上から戒兵の胴が裂かれた。下手をすれば人体を両断しかねない深々とした斬撃を繰り出したのは、一見すれば華奢にも見える女の幹部だった。
一般成人男性でさえ扱うことが難しそうな青龍刀を片手に"守秘士"
―――
―――
儀謁館の滝のオブジェが激しい揺れと共に崩れ落ちた。
戒兵、狂信者の双方がその凄まじい攻撃の余波に一瞬だけ手を止めて視線を集める。だが、その滝のオブジェに在ったはずの二つの影は残像を残しながらなおも目まぐるしく動き続けていた。
戒兵たちの視界に映る老導師と人狼の戦いは、もはや常識で理解できるものではなかった。不死腐狼を相手取る中で"三叉槍"を振るう老導師は、枯れ木のような姿に反して信じ難い速度で動きながら壁を駆けた。不死腐狼との激突の際に突き立てられた槍先は風を裂くどころか、空間そのものをえぐるように見えるほどだ。
両者が揉み合いながら落下した際の余波でさえ床石が切り払われ、破片が兵士の足元まで転がってくる。
人狼は、巨獣めいた四肢をしならせ、壁や柱を爪で掴んで跳び移り、目に留まらぬ速さで老導師の背後へ潜り込む。戒兵の誰一人として、その動線を追い切れない。次の瞬間には老導師の槍が人狼の脇腹を浅く裂き、飛び散った血が床に黒く濡れを作る。しかし人狼は呻き声すら上げず、肉が盛り上がるように傷を閉じ、再び地を蹴る。
二人が行き交うたびに礼拝堂の空気が震え、壊れた椅子が吹き上がり、剥落した石片が雨のように降る。兵士たちは声も出せずにただ見守るしかなく、その背筋には、同じ戦場に立っているはずなのに、自分とは別の次元の存在同士が争っているという冷たい実感がじわりと沁み込んでいった。
「感動的な強さだ。不死腐狼。よもやかように未熟な小娘がこれほどの荒神が如き腕を持つとは」
臣海の杜"誓約官"
「私が未熟な小娘かは置いておいて。そっちこそ、老いさらばえた爺さんの割には良い動きですね。十中八九禍神パワーでしょうが、スティーブ・カッターネオと違って与えられた力に十分に適応しているように見える」
邇都の権能により傷が塞がり、衰えることのない勢いによって苦瀬と再度肉迫した闘いを繰り広げる。
「スティーブを殺したか?」
「さぁ。ドローン爆撃に堪えられる人体なら生きてるんじゃないですかね」
緩急をつけた爪撃により三叉槍の死角を縫い、苦瀬の貌に僅かだが創傷を刻んだ。
「……そうか」
「………?」
―――
―――
「ハハ、あれはあれでデタラメだな。等々力さん、苦瀬さんがアレを止めてるうちに悪魔の下僕共を片付けちまいましょう‼」
「ええ。話に聞く"レッドオークの信号鬼"はおそらく夜見様が抑えてくれている。不死腐狼と信号機を除けば、ありがたいことに悪魔の下僕共の戦力層はそこまで厚くない」
「違いない。これじゃあ弱い者いじめだ‼」
矢田が駆ける。踏み込みから走りだしまでの速度は戒兵たちの準備を許さず、初動から振り回して距離感を狂わせる蛇矛の一撃は敵の頭蓋を叩き割るのに十分な威力を持っていた。
詰め寄り様の姿勢変化により縦横無尽な蛇矛の軌道を実現させ、抵抗に出た戒兵たちを陣形ごとたちまちに瓦解させてしまう。
「ハハ」
上体を捻転させ十分に遠心力を高めた蛇矛の先端が若い戒兵の横っ腹を薙ぐ。戦闘服の防御力を貫通する衝撃と波打つ独特な刃が戒兵の腹を掻っ捌き、鮮血に混じって臓腑が毀れだした。
弱者を蹂躙する感覚が矢田に悦びを与えた。
討伐隊の襲撃により与えられたこの虐殺のチャンス。自らの不遇な過去を捨てさるだけの愉悦がこの戦場には在る。
「オラオラ、やろうぜ。もっと、ブチまけろ。生存競争しようぜ。どっちが上からわからせてやる」
そこから続け様に二名の戒兵を屠り、なお勢い付く矢田。
その目には次なる標的の弱者が映り込んでいた。
「ハハッッ‼‼ぼさっとしてると轢き殺すぞ爺ィ‼‼」
骨董品のような刀を佩く五十過ぎの戒兵に詰め寄り、身に引き寄せた蛇矛を下段から掬いあげる様に突き上げる。
「楽しいよな。チャンバラ」
矢田の姿勢が崩れる。蛇矛が空振り、片膝をつく形で姿勢が前傾してしまった。
見かけは老いて気迫に欠けていた戒兵が、恐ろしく流れるような所作で刀を抜く音が耳に届く。
「ん…?」
「なんだ小僧。そんなにうなじを見せつけよって……欲しがりさんか?」
「え、ちょ。ま」
困惑しているうちに矢田の頭が頸より落ちた。
「幹部でこれか。……この程度の輩に殺されるウチの兵士共のレベルが嘆かわしいものよ」
対狼所属二級戒兵:
源は手首のスナップだけで切先を僅かに揺らし、振り下ろされた青龍刀の剣線を弾いて逸らしてみせた。
「お嬢ちゃんが相手してくれるのかい」
「"観芭の鬼蜻蛉"だな。この戦いに貴様が参加しているとは、儘ならないものだ」
「そりゃあ俺を見た連中が報告を上げられる程に元気なままでいられることは稀だからなぁ」
源の身体が沈み、抜刀済みの刀身が揺れる。発条のように延びる刀の軌道と特殊な踏み込みからなる突進力により、斬撃と青龍刀の腹で受けた等々力の全身が宙に浮いた。
そのあまりの気迫と殺意の高さに等々力は全身から汗が噴き出た。
着地と同時に彼女は周囲を確認し、退路を見繕う。この一瞬の攻防の中でさえ、源を相手取り勝機が無いことは身体が直感したのだ。
「しかし、アレだな。幹部はそこそこ良い得物を使っていやがる。
この蛇矛もお嬢ちゃんの青龍刀も"
源は矢田の亡骸が握ったままの蛇矛を拾い上げる。
「槍身の曲線には古い龍紋がうっすらと浮かんでいる。手に触れれば微かな脈動を返してきて何とも愛らしい。刃の根元から柄の端に至るまで一切の継ぎ目がなく、まるで一匹の蛇をそのまま鋳造したかのような見事な出来栄えだ」
骨董品のような刀を腰に佩いた鞘に納め、改めて源は蛇矛を手に馴染ませるように手早く取り回す。
「どこから武器を仕入れたか行ってみろ……バザールか?
「何を言っているのか判らんな。我らの得物は神からの賜り物だ」
等々力は青龍刀を持ちながらも全速力での遁走に打って出た。源が蛇矛に気を逸らしているのを好都合とし、一旦体制を立て直すべく距離の確保を試みる。
「無垢に背中なんぞ晒しやがって。どいつもこいつも欲しがりさんだ」
源は蛇矛を投擲した。
宙を滑る蛇矛の先端は、弧の描く軌跡の先に在る等々力の心臓を背後から貫いた。
―――
―――
―――
激戦の只中に在る邇都の胸の奥で、微かな虫の報せがざわりと羽を震わせた。
世界のどこかで糸がひとつ切れたような、不吉な認識の空白が生まれる。彼女にはそれが何により齎される感覚かを理解することができ、逆に彼女を除く大多数の人間には感じとることが出来ないものだ。
人狼は自分以外の人狼がかけた偽現インスタンスと自分の偽現インスタンスが干渉しあう状態を識別することができる。基本的に偽現インスタンスは人間形態時に人間社会に溶け込むために周囲の空間に催眠効果をかけるもので、邇都は東棟に潜入する際に臣海の杜の本部全体に作用する規模での催眠効果を発動させていた。
そこには当然、臣海の杜に潜伏している人狼が、臣海の杜の信者たちに対して常時発動している偽現インスタンスとの重複干渉状態が生じていた。だからこそ、偽現インスタンスの干渉状態が成立し、臣海の杜の外部に新たな偽現インスタンスの発動が認められない限りは敷地内に人狼が存在している状態を感知することが出来ていた。
既に人狼形態に変身して時間が経過していることから、臣海の杜の信者たちにかけた邇都の偽現インスタンスはかなり薄れている。それでも、つい今の今までは自分の偽現インスタンスと他の人狼の偽現インスタンスの干渉状態を感知することはできていた。
しかし、ここにきて突然、臣海の杜の信者からLAGO2Nの戒兵たちにまで及んでいた討伐対象の偽現インスタンスが消滅したのだ。
(偽現インスタンスの干渉が途絶えた……?源特別遂行班がアーカスだと識別する前に信者として殺してしまったの…か?)
「……???…………アーカスって誰だ?」
暴威に満ちていた不死腐狼の動きが硬直。思考が白黒に明滅し、意識が泡立ちながら弾け合う。
彼女にとって今の己の感覚を形容することは至難の業だった。
また、儀謁館に集う戒兵から源唐塘に至るまで、己の認識と現状の誤差に見舞われ一様に動きを止めてしまっている。
単なる偽現インスタンスの消失に留まらず、偽典魔が展開していた世界を欺くレベルの催眠が解かれたのだ。
それにより、スケープゴートとして生み出していたアーカス・カッターネオの存在誤認を被催眠者の脳に直接送り込むことになった。当然、アーカス・カッターネオを討伐するための作戦の中に在る戒兵たちの脳には本来存在し得ない認識のバグが発生し、動きを止めるに至ってしまった。
「フン、何とも情けない」
動きを止めた邇都の巨躯を苦瀬の三叉槍が穿つ。心臓を刺し貫いてなお勢いづく槍撃は苦瀬の突進と共に邇都の身体を大きく後退させ、やがては儀謁館中央の滝を模したオブジェクトまで到達した。
三叉槍がオブジェクトに深く食い込み、返しのように力が作用することにより邇都の身体はオブジェクトに縫い込まれてしまった。
「う゛っ」
「スティーブの権能関数が解かれたか。ともすれば、人狼の姿を晒してまでして渦御神への捧身を逃れんと足掻くか。禍神の器と成り得るだけの幸運に恵まれながら、何とも不調法な痴れ者か」
「何を言っている……?スティーブ・カッターネオは私がさっき殺した。弟のアーカス・カッターネオが人狼で………。。。。??…アーカスをどこに……隠した?」
「憐れよなぁ、不死腐狼。渦御神の御魂を享受するのは貴様となったわけだ。さぁ、心安らかに辞世を決意せよ。弱き者、無知な者が淘汰されるのはこの世の理だ」
えも言えぬ緊迫感。邇都は己の身に何か大きな危機が迫っていることを肌から感じ取った。
その緊迫を断ち割るように、想像を絶する緊急事態が飛び込んで来る。
礼拝堂の正面入り口から怒号と破砕音が同時に押し寄せた。
片手剣と丸盾を構えた青年が、靄に包まれた悪魔のような何かを追い駆け、激しい戦闘と逃走の様を織りなしながら転がるように儀謁館に飛び込んでくる。
その青年の姿は先ほど東棟で邇都が葬ったスティーブ・カッターネオその人に相違なかった。そして、彼は鬼の形相で追い駆ける悪魔のようなそれは、"人狼"と形容するのが最も適した生き物であると彼女はこれまた肌で感じ取った。
スティーブは盾で爪撃を弾き、剣で必死に間合いを作るが、人狼はまるで霧そのものが形を持って襲いかかるように軌跡を歪め、刃をすり抜ける。しかもその動きの奥には、何としてでも逃げ出そうとする焦りが滲み出ていた。
さらに、その激闘すら一瞬でかき消える更なる非常事態が勃発。
儀謁館の反対側、分厚い石壁が地鳴りと共に膨らみ、次の瞬間には轟轟たる破砕音と共に内側へと爆ぜ飛んだ。砕けた壁の向こうから現れたのは、クラーケンの系譜を引く稀代の大妖怪"化蛸"――の裡に巣食う"禍神の巡り10番-
空間そのものを押し広げるような巨体が、触手をうねらせながら儀謁館へ侵入してくる。瓦礫を踏み潰す音さえ、空気が悲鳴を上げているように鈍く響く。天井までも押し上げそうな圧倒的質量が内部を満たし、薄暗いホールは一瞬で深海の底に引きずり込まれたような絶望の色に染まった。
化蛸の背、と呼ぶには余りに常識外のスケールの肉瘤の上に立つ一人の男が、儀謁館の内部に雨を引き連れ絶叫する。
「ふははははははははははははははは‼
ぅうふははははははははははははは‼‼
さぁ、饗宴の始まりだ‼
必要な駒は盤上に並んだ‼これより先は見果てぬ運命の針路‼‼
ここに強者生存の理を‼‼
神とヒトの世の運命の戯曲を始めましょう‼‼‼」
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