25 偽典

〇劇場


「彼は人狼ではありません」


 劇場に低い声音が沈む。

 梅雨喜は水浸しの足元に注意しながら観客席の一つに腰を掛け、ずぶ濡れの服を苦し紛れに絞った。雨に打たれていた時には気が付かなかったが、既に彼の体温は著しく低下し、指先はふやけて震えだしている。

 室内で雨に打たれる。その厄介さが改めて身に染みた。近代社会において雨から逃れる術がないというのは、身体活動における明確な脅威だった。


「アーカス・カッターネオを匿う組織のトップがその発言をして、はたしてLAGO2Nを説得できる見込みはあるのか?」

「さぁ。説得もなにも、私は必要とあらば説明をするまで。下らぬ時間稼ぎと誹られるのであればそれまでです」

「………」

 

 夜見は常に相手に対して優位性と主導権を振りかざしている。言葉の柔らかさこそ、知識人や立場のある人間のそれだが、その奥で見え隠れする油断ならない支配力のようなものがどこか突き抜けている。


「良い沈黙です。

 では、貴方の面目躍如のために勝手に続きをお喋りさせていただきます。

 うーん。どこから話しましょうか。人狼?それとも臣海の杜?…私の身の上話なんかは流石に退屈でしょうし……」

 そこで夜見は思い出したように指を鳴らして見せた。

「ぁあ。そうだ。私の目的からは話ましょうか。私の目的は即ち、臣海の杜の目的、そして渦津禍津神の目的です」

「…………」


 夜見は観客席から立ち上がり、梅雨喜と入れかわるように舞台に向けて歩みだす。


渦津禍津神うずつのまがつかみ禍神まがつかみの巡り:10番に位置する紛れもない確定神格。他の禍神らが世界中に散らばり、各地に根付きながら己が力を高める一方、渦津禍津神様は運悪く深い深い深海の絶海に爆誕し、本来得るべき神の形を持たぬ魂魄だけの存在として臨界なされた。

 肉の器を持たぬ渦御神は致し方なく、その海の覇者たる"化蛸"に憑依されました。おそらくご存じのことでしょうが、化蛸は北欧にて伝わるかの高名な怪物、クラーケンの系譜に当たる日本の近代大妖怪です。原種クラーケンのように積極的に船を襲うことがなかったため、日本ではその姿を確認されていませんでした。

 近代戦争期に"怪獣王者:グラジオ"が頭角を現し、怪獣王者の鎮圧に時間がかかった中で、グラジオの捕食対象であった日本の水棲妖怪たちもまた活性化しました。終戦後に近海で暴れ出し、水産業に大打撃を与えた化蛸の対処は当時の"宍汪連"が担いましたが、完全に殺しきることは出来ずに化蛸は深海にて長らく休眠状態に在りました」

 夜見がプロセニアムステージに立ち、濡れて重たくなったジャケットを脱ぎ捨てた。

「全盛の時代に比べて遥かに弱体化していた化蛸ですが、それでもギリギリなんとか渦御神の憑依先に成り得るだけの肉体強度を持ちました。しかし、化蛸の"にく"を以てしてなお、禍神の器としては分不相応でした。渦御神が禍神として人間社会で存在感を真に放つためには、ヒトの形を持った新たな器、詰まるところ受肉に耐え得る"神懸り先の人間"が必要となったわけです。

 さしあたって、臣海の杜は渦津禍津神に新たな神懸り先を奉納するための組織としての役割を持ち、誕生しました。私と渦御神の出会いは小恥ずかしいので省きますが、とにかく私は元来このワンイシューを胸に秘めて教団の運営と発展に身を捧げてきました。

 出来ることなら実際にこの身を捧げて渦御神の神懸りを成せればよかったのですが、私の魂のレベルは問題なくとも、肉体のランクが低いあまりにとても渦御神の偉大なる魂を享受することは叶いませんでした」


(……おいおい、つまりそれって)


「基本的には教団の拡大と共に資本力を高め、信者の数、社会的な影響度を高めるために日々取り組んでまいりました。ゆくゆくは教団に神懸り先に足る人材を引き込むための地盤固めと環境整備といったところです。しかし、我らに幸運な風が吹いたのは2カ月ほど前でしょうか、セントドラゴニアに在るとある知人から願ってもない贈り物がありました。

 我々の内部にも聖星讀圓パルヴアーツの関係者がおり、ある程度は人狼の巡りについて理解があります。しかし、実際にその現物たる人狼を目の当たりにした際、私も渦御神も確信したのです。

 人狼こそが渦御神の神懸り先として最たる適材であると」


「人狼に憑依させ渦津禍津神を地上に再臨させるってことか」

「ええ」

 夜見はにっこりと微笑んだ。

「それを実現したら、どうなる?眞丐の人間は皆殺しにされるのか」

「さぁ。そこまでは予想できませんし、さして興味もありません。ただ、渦御神は人間を殺す、殺さないといった些事には意欲的でないという印象はあります。もし深き海の呪縛より解き放たれ自由の身となった渦御神が戯れに人間を亡ぼそうと、私にとってはそのご活躍ぶりに万雷の喝采を送りたい所存です」


 梅雨喜は両手を胸の前で交差させ、赤色唐土を発動。

 周囲に展開された十本近い信号機から漏れなく赤い光が迸り、舞台の上に立つ夜見の全身を赤く染め上げる。


「結局のところ貴様らは看過し難い危険思想を持ったテロリスト集団だったことが明らかになっただけだな。禍神の受肉幇助なぞ、LAGO2Nとして放置できる事案じゃない。その頭のおかしな野望ごと監獄塔にぶち込んでやる」

「できますかね」

「やるんだよ……。お前のホラ話を信じる、信じないの前にやらなきゃいけないんだ」

「ほら話なんてしていませんよ。先程お伝えしたのは単なる説明。事実の列挙です」

「お前、アーカス・カッターネオは人狼じゃないと言ったが、それはセントドラゴニアから人狼が送られてきたという内容と矛盾している」


 そこで夜見は既にバラバラに破壊されてしまったグランドピアノを見下げ、赤色の光による強烈な行動阻害を受ける中、足元に落ちている黒い鍵盤と白い鍵盤をそれぞれ拾い上げる。


「何も矛盾していませんよ。

 件の人狼。人狼の巡り:6番。

 "偽典魔アポクリファ"」


 夜見は鍵盤を交互に指先に絡め、黒と白を交錯させる。


「セントドラゴニアから贈られてきた人狼はスティーブ・カッターネオです」

「ん?」


 天井が軋み、次の瞬間、木片と梁が一斉に爆ぜた。

 十体の異形が、雨を連れて劇場内へ降り落ちる。

 衝突音が床下まで響き、舞台の板が裂け、観客席が波打つ。

 立ち上がった影は、すべて同じ姿をしていた。包帯と革帯に締め上げられた痩躯、目隠しの奥は無表情、手には赤黒いカタール。雨に濡れた刃が鈍く光り、全身から水滴が滴る。


 異形たちは言葉も発せず、同じ角度で首を傾ける。

 空気が歪む。舞台の幕が風に揺れ、濡れた木が沈痛な音を放つ。


「「「「「「「「「「あ゛な゛い゛み゛し゛」」」」」」」」」」


(こいつら……ここで来るか。しかもなんだこの数は)


「そもそもですね。アーカス・カッターネオなんていう人物はこの世界に存在しません。アレは偽典魔アポクリファが有する"主客転倒投影権能関数インヴァーテッド・エゴ・プロジェクション"という能力が持つ高次の偽現インスタンスの投影物あり、我々が存在認知を錯覚させられているだけの虚像に過ぎません。

 スティーブ・カッターネオという個人の人格もまた、偽典魔が捏造した虚偽の聖人格。彼は自分がアーカス・カッターネオの兄であると思い込み、怪物の疑いがかけられた弟を護らなければならないという設定を遵守するためだけの仮想人格とでも結論付けられましょうか」


「は?」


「人狼は常に【潜み紛れる者】の側面を持ちます。

 人狼としての内面が色濃い程、それを繕う外面もまたある種の真実味を帯びる。

 さぁ、LAGO2Nの皆様は今なお、存在しないアーカス・カッターネオという虚像を探し求めて暴力による制圧に勤しんでおられますが、果たしてそれでよいのでしょうか。

 我々はスティーブが人狼の姿を真に曝け出す姿を待っています。

 これまでも何度か、寝ぼけた人狼が信徒を喰らうのを見過ごしてきました。

 しかし今、自らが護らねばならぬと決め込んだ弟が悪魔の下僕に狙われている。

 私の役目はこの戦いのどこかでスティーブの裡にある人狼が覚醒するその瞬間まで、貴方という最強の外敵をこの場に留める時間稼ぎをすることなのです」

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