24 異形

〇中庭

 

 臣海の杜本部中庭には、呻きと呼吸が混じり合うような低い音が漂っていた。

 地面には無数の靴跡と血の滲んだ泥が重なり、倒れ伏す者たちはもはや祈ることすら忘れたかのように、ただうつ伏せたまま微かに動くだけだった。討伐部隊の戒兵たちは散開し、残存者の確認にあたっている。彼らの手つきは正確で、冷静で、感情を排していた。


 空は昼であることを疑うほどに暗く沈み、雲は重く垂れ込め、風も吹かない。やがて小さな雨粒が落ち、静かに土の上で弾けた。しばらくしてそれは本降りとなり、音を伴って降り続けた。雨は瓦礫の上を、倒れた身体を、折れた信仰具を等しく濡らしていった。呻き声は徐々に途切れ、代わりに雨の音が中庭全体を覆っていく。


 その中央に、不死腐狼が立っていた。

 彼女の毛並みは泥と血で重く沈み、雨を受けてゆっくりと滴を落とす。息をしているのかどうかも分からないほど、動かない。彼女の足元には、狂信者たちの身体が幾層にも折り重なり、その隙間から薄い蒸気のようなものが立ちのぼっていた。人狼は彼らを制圧ではなく、ただ斃した。

 東棟の上部から降り立った不死腐狼は、鬼人の如き勢いで中庭の騒乱に参戦。瞬く間に暴れる信者を薙ぎ倒す中、誰もそれを止めることができなかったし、いまも誰も近づこうとはしない。


 戒兵の一人が無線に報告を入れる。短く、事務的な声。

 しかしその声さえ、降りしきる雨に吸い込まれていった。中庭の空気は次第に均され、すべての音が遠ざかる。人の気配も、熱も、次第に雨の層の下に沈んでいく。


[こちら第四班。芦屋一等の合流により中庭の制圧完了。西棟、東棟併せて残存する反抗勢力の排除を確認]

[こちらコマンドポスト。第四班はただちに中央棟の第二班および第五班に合流し、信者の制圧ならびにアーカス・カッターネオの捜索に移行せよ。

 なお、中央棟には多数の幹部が討伐部隊に対抗し、双方に多数の死者が出ている。装備の点検、補充を再度確認せよ]

[了解]


―――

〇コマンドポスト


「西棟、東棟、西棟。――眞丐本部の信者数をそのまま戦闘員の母数とするなら、制圧率は丁度50%といったところでしょうか。幹部格は五十嵐派の数名が中庭で応戦していましたが制圧完了、夜見派はスティーブ・カッターネオのみが東棟でニトちゃんと当たりましたがこれも対応済み。残る幹部は中央棟に集結して戦闘力が底上げされてます。

 特に中央棟では"守秘士"に属する者らがかなりの戦闘力を発揮し、一般戒兵が大いに競り負けている状態です」


 小野は手作りのサンドイッチを頬張る。レタス、ベーコン、チーズが口の中で混ざりあった。


「第四班の合流は規定路線として、ニトちゃんも中央棟の制圧に加わらせますか?

 それとも、劇場へ鯵ヶ沢戒兵長の援護に向かわせるのが賢明でしょうかね」


「劇場内の神格係数観測数値がオーバーフローし、先程から降り始めた雨によって各種測定器に乱れが生じ始めた。劇場内の様子が外部から観測できない以上、不用意に貴重な戦力を追加投入することはリスクに成り得る」


「では、芦屋一等も中央棟に向かわせます。

 とはいえ、難しい采配になってきましたねぇ。劇場がぶっ壊れて禍神が躍り出てくるとかならわかりやすいですけど、現状の観測だと鯵ヶ沢戒兵長殿が夜見と禍神を抑え込めている可能性もあるわけで。……いや、もう戒兵長殿が殺されてる可能性の方が高いのかな?

 つーか、アーカス・カッターネオを本気で匿うなら、一番強い夜見や禍神の近くにいるというのが割と在り得そうなシチュエーションですが」


「小野。芦屋一等は中庭に待機だ」


「へ?」


「どうにも、キナ臭い」


「……大丈夫ですかね?」


「私の予想だと、そろそろアレが出てくる」


――――

――――

〇西棟_正面入り口_討伐軍中継地点


 雨雲を貫いて、黒い影が流星のように降下する。

 次の瞬間、地を砕く衝撃が響き、コンクリートの床が波打つように陥没した。砕けた破片が雨とともに宙を舞い、金属梁が軋みながら崩れ落ちる。


 不気味なほどの痩躯で歪な筋肉が張り付いた全身を革帯と金属具に締め上げられ、顔には目隠しと包帯とが乱雑に張り付いた異形が膝をついていた。両腕の先には歪んだ形のカタールが嵌め込まれている。刃の表面には光を吸い込むような黒い紋様が走り、雨に濡れてなお、そこだけ闇が凝っているかのようだった。


 周囲の戒兵たちはその異様な存在感とプレッシャーにより言葉を失った。

 生き物のような音を立てながら、異形の鉄帯の継ぎ目からは淡い蒸気が漏れ、まるで呼吸をしているかのように膨らんだり縮んだりしている。

 一歩、異形がゆらりと立ち進む。水たまりが震え、瓦礫の上を滑るようにして、カタールの刃が低く構えられた。


〇東棟_屋上_ドローン部隊仮拠点


 実戦部隊の戒兵と異なり、偵察・追跡を任とするドローン部隊では自衛のための実弾拳銃が標準装備とされていた。

 

 、その場にいた誰もが、反射的に銃を構えた。

 だが、撃つことができなかった。

 その存在から滲み出るものが、言葉にできない“拒絶”を感じさせたのだ。目隠しの奥の瞳からは強烈な視線を感じさせ、眼を合わせた瞬間、世界そのものが一瞬だけ歪むようなプレッシャーが迸る。まるで、この生物の存在が現実の構造を侵蝕しているかのように。

 表情という概念が欠落した顔が、ゆっくりと首を傾げて兵士たちを見下ろした。


〇中庭


 雨が強まった。

 空が裂けた。

 雨脚の向こう、灰色の雲層の奥で何かが蠢いたと思った瞬間、五条の黒影が同時に墜ちてきた。閃光を伴わず、ただ重力だけを従えて落下してくるそれらは、音よりも先に空気を押し潰し、次の瞬間、中庭全体を轟音と衝撃が呑み込んだ。


 瓦礫の散らばる地面が隆起し、石畳が砕けて吹き上がる。植え込みは根こそぎ飛び、兵士たちは衝撃波に煽られて転がった。

 降下した五体の異形は、まるで計算されたかのように不死腐狼を中心に円を描くように着地していた。それぞれの着地痕からは煙が立ち上り、雨に混じって土と鉄の匂いが鼻を刺す。


 彼らは、すべて同じ姿をしていた。

 包帯と革帯に締め上げられた痩せた躯、歪な筋肉の張り方まで酷似している。目隠しに覆われた顔には一切の感情がなく、両手に握られたカタールの刃先がわずかに震えている。

 五体が同時に立ち上がる。骨の軋むような乾いた音が雨音の中に紛れ、円陣の中心に在る人狼の上空に重苦しい静寂が落ちた。


「な、なんだあれは……!?」

 近くにいた戒兵が思わず無線を掴む。

 

[こちら第四班!中庭に異形出現ッ‼……複数体だ、五体確認ッ]


 混線した通信が全域で鳴り、西棟の入り口、東棟の屋上でも同時に警報が上がった。

 だが、異形たちは反応しない。報告の声が届く前に、彼らはゆっくりと首を傾けた。まるで同じ意識を共有しているかのように、まったく同じ角度、同じ速度で。


 刃が、雨粒を伝って滑る。

 一本、二本、三本。

 五つの刃が同時に低く構えられ、カタールの金属音が重なり合った瞬間、空気そのものが軋んだように感じられた。

 誰かが息を呑む。


「なんか、いっぱい降ってきましたね」

 邇都は爪を剥き、牙を晒す。

 良明湊での一件以降、臣海の杜の討伐戦においてこの異形が関与してくることは彼女にとって確定事項。自らの手で対峙することを想定していた邇都にとって、この状況は予想の範囲内だった。


「いや、でも、まぁ。おんなじのが複数体いるのは……ちょっと予想外だったかな」

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