22 行脚

○東棟3階


 鈍い衝撃音が連続して響き、施設の廊下が呼応するように震えた。塗装で繕った純白の壁面が抉れ、無機質なコンクリートが垣間見える。

 縦横無尽に跳ね回る二つの影がぶつかり合う。一度の衝突の合間に数度の跳躍と踏み込みが挟まり、その度に施設の内装が剥落再構築していくようだった。


 片方は毛皮を血に濡らした人狼。裂けた皮膚の下からは筋繊維が露出し、立ち昇る腐臭煙の裡から肉が泡立つように再生し、砕かれた骨が音を立てて元の形へと戻る。その異様な治癒の光景は、見ているだけで悪寒を誘うほどだった。

 もう一方は、白に取り憑かれた信者の装いとは一線を画した黒のコンバットスーツを纏った男。 

 通称”韋駄天”。風のような速さを持つ男。彼の蹴りは銃弾よりも速く、誇り高き俊足は彼の影を踏むことすらも許さない。


「まだ動くかよ」

 低く吐き捨てるように言い、韋駄天は体を沈める。床板がその足裏から悲鳴を上げるように軋む。対する人狼は、裂けた顎を鳴らしながら唸り声を上げた。再生したばかりの腕がわずかに痙攣し、やがて完全に動く。

 瞬間、音が消えた。次に聞こえたのは、爆ぜるような衝撃音。韋駄天の右脚が空を切り、人狼の頬をかすめる。衝撃波が壁面の鉄骨を吹き飛ばし、破片が火花を散らした。だがその間にも人狼は距離を詰め、鋭い爪を振り上げた。

 爪が金属を裂く音。韋駄天は身をひねってかわし、足裏で床を踏み抜く勢いで跳び上がった。その姿は残像のように分裂して見える。天井を蹴って反転、逆さのまま人狼の後頭部に蹴りを叩き込む。

摩醯首羅まけいしゅら猩々黶又しょうじょううずもち

 轟音。獣の巨体が床に沈み込み、床が蜘蛛の巣のように割れて人狼の姿が階下に堕とされる。


 だが、沈黙は一瞬。

 血に染まった床から、肉の裂ける音が立ち上がる。人狼の頭蓋が再生し、砕けた背骨が音を立てて繋がっていく。


「チッ、これじゃキリがねぇな。バケモンが」

「何だ。ノープランで喧嘩ふっかけてきてたんです?不死腐狼を相手取って肉体攻撃は意味ないですよ」

「たいてい修正能力持ちは体をぶっ壊し続ければ体力切れで限界がくるもんだろ?」

「別に私のは自分で治してないんで体力切れも何も関係ないです。というか、お分かりの通り、私の再臨速度は修復を重ねるほどには速まります。人狼形態が長ければブーカとセラスミスは増殖し、活性化する。正直、貴方は私の足止め以上の役割を果たせないし、その役割ももう時期失うことになる」


 不死腐狼は攻撃を受ければ受けるほどにその修復速度を向上させることができる。これまでの邇都はあえて積極的な回避を避け、受けれる攻撃を正面から受けることで不死腐狼としてのステータスを高めていた。


「そういえば、貴方お金が欲しいんでしたよね?

 ウチのボスに頼んで財布から10億円まで引っ張ってこれそうすが、ラグーン側に鞍替えしませんか?」

「あ……?テメェ、俺のことを小物呼ばわりしやがったのを忘れてねぇだろうな?」

「そこはほら、私も組織員なので個人的な思想はさておき、ある程度は組織の利益も考慮します。貴方がその気になればウチの下級戒兵が全滅する可能性もあるので、会話が通じるようなら交渉させてもらいたいところなんですよ」


 韋駄天は舌打ちし、再び床を蹴る。足元の粉塵が爆ぜ、音速の壁を突き破るように姿が消えた。

 次の瞬間には、人狼の顎を横から蹴り飛ばしていた。骨が砕け、血飛沫が噴き上がる。だがカウンターの体当たりを許したことにより、彼自身も壁へと跳ね飛ばされ、背中を強打する。


「グッ……!」

「交渉決裂。会話の余地なしと判断します」


 邇都は狼然とした雄叫びを上げる。

 すると、一機のドローンが彼女の傍に飛来した。一節の雄叫びは人狼変身により通信機を手放さざるを得ない彼女がコマンドポストに連絡を求める合図だった。


[芦屋一等戒兵より保留中だった韋駄天の暫定レートを改訂報告。最終レートをCで確定させ、臣海の杜討伐作戦遂行における討伐優先対象に確定。逃走能力・奇襲性・凶暴性を総合的に考慮し、鯵ヶ沢戒兵長の助力が叶わない場合、この場での生死不問の承認を申請します]


[申請許可。鯵ヶ沢戒兵長の援護は実現困難なため、状況判断を芦屋一等に一任。迅速な討伐を遂行されたし]


———

———


 人狼が吠え、爪を振るう。韋駄天はそれを掠めて身を沈め、連撃を叩き込む。脚が見えないほどの速さで振り抜かれ、風圧だけで鉄柵がねじ切れる。獣の胴体がひしゃげ、吹き飛ぶ。だが、また再生する。

 肺から空気が漏れ、視界が一瞬暗転する。

 人狼はすでに立ち上がっていた。片腕が千切れていたが、再生が追いついている。半分溶けた皮膚の奥で、筋肉が蠢いていた。


 韋駄天の能力。”踏点関数ステップポイントファンクション”は自分の脚の接地点を選択できる能力であり、これにより彼の疾走は自身が認識・想定できる進路における最高速度を実現できる。

 この能力自体が”摩醯首羅クラス”という能力体系に内包されるため、攻撃に技の全ては摩醯首羅クラスに設計された技術を継承していた。

 攻撃に伴う膨大な反動を制御できているのは摩醯首羅の力で身体強化を絡めていたからであり、本来なら韋駄天は己の本気の蹴りに耐えうる肉体を持っていない。


 摩醯首羅クラスの力を使用可能である点は韋駄天の戦闘力を飛躍的に向上させる強みでありつつも、対ラグーンにおいては無視できないデメリットも存在した。

 それはラグーン側が悪魔の図書館に登録されてる範囲内での摩醯首羅クラスの技を予め予習できること。

 事実、対狼が想定した韋駄天の攻撃は不死腐狼には有効打になり得ず、芦屋邇都が韋駄天に敗北する可能性は極めてゼロに近いものであった。


「摩醯首羅: 大自在炎炎體だいじざいえんえんてい

 炎熱を纏う豪脚が人狼の巨体から肉の塊を七度に渡り抉り取る。そこで生じた隙をつくように韋駄天は割れた窓からを身を乗り出し、東棟の外壁を駆け抜けた。

 眼下の中庭で起こる激しい戦闘に目もくれず、ひたすらに後を追ってくる獣を躱し、空いた隙間に攻撃を捩じ込んだ。不利な姿勢からの蹴りでも人狼の肘から先を分断させ、巨体を宙に追いやる一撃だった。

 人狼は自らの肉体を外壁上部に残る腕の先を起点に再臨させてみせた。それはこれまでの再生の様相とは異なる無法の再臨であり、切り離された体の一部から全身を再構築できるのであれば、実質的な瞬間移動でさえ可能であった。


「駄目だって。外出たら」

「っ‼︎」


 ドローンが飛来。上半身しか、形作られていない人狼が韋駄天の体躯をホールドし、動きを封じた。

 そして本日2度目の自爆劇。

 肺胞の破裂。鼓膜の破裂。圧力波による腸、肝臓、脾臓の損傷。頭蓋内圧の上昇に伴う出血及び重度の脳震盪。

 顔・首・胸部に生じた穿通傷により血が破裂した水風船のように宙に解き放たれた。


 韋駄天。重度の傷害により死亡。

 


———

———

○コマンドポスト


「芦屋一等戒兵、”韋駄天”の討伐に成功。申請に基づき対応手段は殺処分となります」

 小野はゴーグルを外し、形容し難い恍惚の笑みを浮かべてコマンドポストの椅子に掛け直した。

「韋駄天を殺したのは芦屋一等ではなく、お前が操縦して自爆させたドローンだろう、小野」

「いやぁ。私の操縦じゃあ韋駄天の脚は捉えられませんから。止めておいてくれたニトちゃんのおかげですよ」


 小野隼人。ドローン部隊長を任された彼は自身もまた卓越した技術力の操縦士であり、時には自らの手で射撃ドローンや爆撃ドローンの駆動に担っていた。

 穏健派で柔和な小野だが、その裡にはドローン操縦時に見せる嗜虐的側面が見え隠れし、ハンドルを握ると人格が変わるドライバーと似たものがあった。


「……韋駄天か。ラグーン側で雇えれば利用価値も大きかっただろうにな。少し残念だ」

「金で転がるような奴は信用できませんよ。その点でいえば10億で靡かなかった彼からはそこそこの矜持を感じます。でも、ニトちゃんには勝てないって直感的にわからないようじゃあねぇ」

「軽口が過ぎるぞ、小野一等」

「ぁあ。申し訳ありません。牢長殿」


 そこで別の戒兵が言葉を投げかけた。

「許司書に依頼していた信者たちの内部エネルギーの解析に結果が出ました。以前に観測された渦津禍津神の神格波長と一致しているため、何らかの加護により渦津禍津神の肉体・精神干渉が実現されていることが確定しました」


「まぁ、そりゃあそうでしょうけども。そうなると扱いが難しいですね。ジェネリック禍神判定で掃討戦になりますか、牢長殿」

「……判断保留だ。禍神が間接的にこの戦いに加わっているのであれば、やはり攻撃のレベルは慎重に選択せねばなるまいよ。相談役は禍神自体は動けないといっていたが、それもどこまで鵜呑みにしてよいものか…」


「加えて、報告致します。劇場内にて高濃度の渦津禍津神の神格エネルギーを感知。おそらく、化蛸の触手を含め、夜見と鯵ヶ沢戒兵長が戦闘状態にあるものと推察されます」


「それを早く言えッ‼︎」

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