19 闘志攪拌
〇臣海の杜本部_中央棟_儀謁館
眞丐市本部に滞在し、生活していた教団信徒は600人。これは総信徒の二割を占める数であり、それだけの人数がまるごと集合させられた儀謁館には、空気を揺らすような不穏なざわめきが渦を巻いていた。
蝋燭の炎が乱れ、白を基調といした祈祷服の群れが押し合うように儀謁館の中央に寄り集まっている。
「――がいる――」「――だ!―ない」「はや――」「もう――」
「だ―ダ」「――りだ」「――――‼」
誰かが叫ぶ。その言葉が導火線のように信徒の間を走った。
釣られて叫ぶものが全てではない。だが、確かに言葉にならない不安が伝播している。
臣海の杜とて一枚岩ではない。幹部の中でも五十嵐派と呼ばれる者たちは、金策的に教団を利用し財を成すことに重きを置いている。一方で夜見を担ぎ上げることで疑似的な夜見の集権体制を構築することに重きを置いている幹部を夜見派としている。
一般信徒においては幹部たちの派閥の在り方の影響は低いが、こと今回のような緊急事態に至っては、人狼関連の事情に関与していない五十嵐派の幹部らが持つ動揺と混乱が信徒にも波及していた。
夜見派はLAGO2Nとの抗争を見据えて準備をしていた。
アーカス・カッターネオが人狼でないというスタンスを貫き、兄であるスティーブ・カッターネオを幹部に登用した。LAGO2Nとの衝突はあくまでも無実の真人間であるアーカスの不当逮捕、不法収容を拒絶するという大儀に基づき、権力の横暴に対抗するという理由付けがされている。
だが、幹部格ならまだしも、一般信者においてはそも人生において"戦う"という概念が醸成されていない状況にあった。
殺す不安、殺される不安と無縁な平和な世界で生きてきた者たちにおいて、謎の組織から投降せねば命の保証はないと突き付けられたこの現状はあまりにも情報過多といえた。
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夜見が壮年の導師と共に、祭壇の前に立ち、掌を天に掲げる。
祭壇奥の滝のオブジェの先から、対を成し弧を描いた巨大な触手が姿を顕す。
大妖怪化蛸の肉体に憑依した"渦津禍津神"の姿。
臣海の杜に属する者ならば誰もが経験してきた
「……違う」
スティーブ・カッターネオはこれから起こることを言葉なくして理解した。
数々の力を持つ渦津禍津神の代表的な能力は"
これは信者の内面・外面の様々な要素に働き変化を及ぼす力であると夜見は説明した。この力により、信者の心の負のエネルギーを本人、あるいは別の信者の正のエネルギーと混ぜ合わせることで負のエネルギーを中和している。
だが、基本的に心に傷を負った者らが寄り集まる臣海の杜のおいて、信者の数と比例して幸福の絶対数は希薄化し、他人に提供できる正のエネルギーの総量は低下し、一個人が享受できる幸福の割合は減少する。
それでいてなお、信者が臣海の杜に絶対的な信仰心を持つのは、攪拌の力の中で残存する負の精神性を別の要因に紐付けているからである。個々人が抱える不安の種を外部環境、つまり臣海の杜の外にある世界に比重をつけてなすりつけることが出来る。渦御神は能力を発動した対象に自然と臣海の杜という"巣"に対する安心感と安堵感を強調させ、余った不安・恐怖を臣海の杜の外に向けるように攪拌に攪拌を重ねている。
要するに、渦御神は自分を信仰する者に対して、恣意的な感情・思想のコントロールが可能である。
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夜見は語る。渦津禍津神の言葉を代弁するように。
外の脅威。内の安寧。
人狼を護るのではなく、隣人を護るため。
敵を作り、納得させる。
個々人の意思は攪拌され、より恣意的な濃い熱意と混融する。
スティーブは己が感情の人柱であることを理解した。
でも、それは素晴らしいことではないか。
この想い、弟を護りたいという感情を皆と共有できる。
外からの敵への恐怖を自らの生存を勝ち取るため闘志に変えられる。
未明におきた殺人事件だって、ラグーンがやったことだ。
卑劣な奴らはどんな手を使っても弟を奪おうとする。
許してはいけない。
斃さねばならない。
愛と正義の名のもとに。
渦御神様の加護に応えろ。
全ては神が望まれる。
全ては我が望まれる。
渦津禍津神の一部として。
臣海の杜の家族として。
想いを一つに、力を併せて。
渦御神様、万歳。
臣海の杜、万歳。
渦御神様、万歳。
臣海の杜、万歳。
渦御神様、万歳。
臣海の杜、万歳。
渦御神様、万歳。
臣海の杜、万歳。
―――
―――
秘書の
視線を移した先にある夜見の額に浮かぶ大粒の汗をハンカチで吹き取り、再び懐中時計へと視線を戻す。
「4時間経過しました」
「ありがとうございます。間もなく、仕上がるでしょう。流石に600人同時は精神的負荷が膨大ですね。……私のレベルにあっても、精神汚染で脳が灼けそうです」
「LAGO2Nの強制介入目安である正午まであと1時間半となります」
夜見は閉じていた瞼を開き、掲げていた腕を下げた。
「あとは任せます。
夜見は傍らに立つ壮年の導師にそう言うと、身を翻して祭壇を降りた。
苦瀬は主に儀式を担当する上級幹部の"誓約官であり、日々の儀式の際では常に中心的な音頭を取っている。言わずもがな、彼も夜見派の一員であり、今回のLAGO2Nの侵攻に対する抗戦においても夜見から一任されていた。
「あぁ、万事任せろ。全ては渦御神様の為に」
「えぇ。最善を尽くしましょう」
―――
―――
白を基調とした廃病院の建物は、もはや聖域とは呼べぬ異様な気配に包まれていた。白い壁を照らす蛍光灯がちらつく中、長い廊下を埋め尽くすように、信者たちが整列している。
総勢六百人。老若男女の別なく、全員が同じ無表情で前を見据え、呼吸の音ひとつ揃えていた。
彼らの手には、武器と呼ぶにはあまりに歪なものが握られていた。
祈祷用の金属棒、祭壇の燭台、庭園仕事用の鍬や鎌、厨房から持ち出された包丁や肉叩き。それらがすべて、彼らが信ずる神の意思を代行する聖具として掲げられていた。
血の通わぬ瞳は、もはや人を見ていない。
誰もが何かに導かれるように立ち尽くし、かすかに唇を震わせて呟いている。
「禍福渦ありや」
「禍福渦ありや」
「禍福渦ありや」
「禍福渦ありや」
その囁きは祈りのようでいて、呪詛のようでもあった。
西棟では信者の男たちが廊下にバリケードを築き、東棟の階段には女たちが香油を振りまき、火を灯す準備をしている。
中庭では、白装束の集団が円陣を組み、交信士を中心とした幹部格の部隊を形造っていた。
スピーカーから、低く歪んだ声が響く。
[――残念です。もはや交渉の余地はありません]
金属が擦れ合い、足音が鳴り、息がひとつに溶け合う。まるで巨大な機械が起動したかのように。
誰も命令を出してはいない。
しかし彼らは自らの意思を手放した操り人形のように、診療室、廊下、屋上、儀謁館。すべての出入口にて信仰という大儀を掲げ、外の敵を迎える準備を整える。
その顔に、恐怖も怒りもなかった。
ただ、陶酔と信仰が混ざり合った静かな笑み。
狂信者たちは既に戦士と化していた。
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