14 カッターネオ兄弟
かつてのアーカス・カッターネオは、影のように沈黙し、無機物のような静寂を纏っていた。家族が人狼に引き裂かれ、血と絶叫が交じり合ったあの夜の光景は、まだ年端も行かない少年の精神を容赦なく灼き上げた。それからは生き残ったことすら罪のように思え、言葉を失い、笑顔も消えた。兄、スティーブ・カッターネオは何度も励まそうとしたが、ただ膝を抱えて震える姿や悪夢に魘される様子を見守るしかなかった。
だが今、礼拝堂の白壁に反射する燭火の明かりの中、少年は小声ながらも兄に問いかける。
「兄さん、今日の祈り……みんなが歌う声、きれいだったね」
その目にはかすかな光が宿っていた。
臣下の杜の儀式は、異国から来た兄弟にとって驚くべきものでもあり、馴染み易いものでもあった。
幹部の一人。白い法衣に金糸をあしらった壮年の導師は、祭壇の前に立ち、掌を天に掲げる。その声は朗々と響き、信者たちが一斉に跪くと、堂内は静かな調和に満たされる。鐘の音に合わせて歌が重なり、焚かれた香が甘やかに漂う。
滝をモチーフにしたような祭壇奥のオブジェの先から、決して尋常の生命では表せないような大きな大きな一本の”触手”がその影を映し出し、その触手にびっしりと埋め尽くされた吸盤が見開いた眼球のように儀式の最中にある信者たちを見守っていた。
浮世離れした異郷の儀式でありながら、不思議と少年の胸を締め付ける恐怖は生じず、むしろ柔らかな安堵が広がっていった。
”交信士”と役職にある幹部たちは、彼らを単なる客人ではなく守るべき同胞、或いは家族の一員として遇した。また、この眞丐本部の臣海の杜で”総務顧問”という重要なポジションに立つ夜見もまた、カッターネオ兄弟をとても気にかけていた。
儀式の際、灰髪の老導はアーカスに近づき、祭壇の灯火を指し示しながら穏やかに言った。
「闇に呑まれし魂も、炎を分け与えられれば再び輝きを取り戻す。お前の歩みもそうだ。恐れず進め。幸福も、安寧も、自ら歩まぬものには訪れないのだ」
その声音には威厳と同時に慈愛が宿っていた。アーカスはうつむきながらも、その言葉を心に刻むように何度も反芻した。
儀式が終わると、信者たちが輪をつくり、兄弟を囲むように挨拶を交わした。敬虔な信徒の女性が編んだ花冠を弟の頭に載せ、周りの他の信徒が笑みを向ける。
夜見は兄の肩を叩く。
「家族を失った悲しみは簡単には消えないでしょう。ですが、私たちも君たちに新たな家族の絆形を見せてあげることくらいはできる。それで救われろ、なんて言いません。ですが、どうか、この杜の中に皆さんの敵となる者がいないことを……どうか心に留めておいていただければ、と。」
異国の空の下で、彼らは確かに新たな居場所を得つつあった。
「兄さん、僕……もう怖くないよ」
―――――
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○眞丐府
「あら、スティーブ君。そんな所でなにしてるの?」
海を望む高台にある公園は、臣海の杜施設の敷地だった。石畳の遊歩道には苔むした祈念碑が点々と残り、朱に染まった夕陽がその輪郭を金色に縁取っている。
視界の先には、穏やかに波打つ海面が広がり、水平線は燃えるような橙から藍へと静かに溶け込んでいた。
「こっちの方に夜見さんの姿が見えた気がしまして……」
「夜見さんなら、今度の講演会の準備で外出してると思うけれど。何かすぐに聞きたいことでもあるの?」
スティーブが僅かに眉を顰めた。
その数瞬に満たない様子の変化を受け、すぐに何かを察した。
「もしかして、この前のこと?……おにぎり屋でおかしな子の言ってたことが気になっているとか?」
「……。そうですね。やっぱり、気になります。
もちろん、アーカスが人狼とかなんとかの怪物なわけがない。でも、この世界に超常的な上位存在が実在することは渦御神様を通して理解しているつもりです。
世界を正しく導く慈愛の神がいるのであれば、それを対極をなすような災禍の獣が存在することを真っ向から否定することはできません。……だからせめて――」
スティーブは友人亭にて、芦屋邇都に制圧されたタイミングで気絶していたため、彼女が人狼に変身できることを知らない。
「人狼がこの世界に存在するかどうかが知りたいの?」
妙に上ずったような藺草の口調に、スティーブはどこか怯みながら頷いた。
「―――はい」
潮騒の音が一瞬だけ弱まった。
「いるわよ。人狼以外にもいろいろといるわ。例えば、日本で有名な所だと天狗とか河童とかは探せば結構見つかるだろうし、セントドラゴニアの伝承にあるベガホースなんかも日本で目撃例があるわ」
「え?」
藺草陽子はカッターネオ兄弟とも親交が深く、親子ほどの歳が離れていたこともあり、ある意味で日本における母親のような親近感を持っていた。それだけに、いつもの藺草とは違うえもいえないオーラのようなものをスティーブは敏感に感じ取った。
「それって……」
「あら、夜見さん。お疲れ様」
「え?」
「お疲れ様です。まだこれから少し出払う必要があるのですが、何やら真剣なお話が聞こえてきたのでつい」
「あ。お、お疲れ様です」
おずおずとしたスティーブの目を覗き込むようにして、優男夜見の顔が彼に近づく。外国人由来で体格の良いスティーブと比べても夜見は一回り長身だった。
「スティーブさん。貴方は今後、臣海の杜の組織において幹部格の役職についていただく方です。今までは事件の傷を癒すための時間を尊重してきましたが、アーカスさんも随分と快復された今、改めてお話しなければいけないことは様々あります。貴方の命に関わることでもありますので」
そこで夜見は緊張を解す意図で微笑んで見せた。
「場所を変えましょうか」
―――――
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○宗教施設
地上から伸びる長い石段を下りきると、湿った空気が肌にまとわりついてきた。そこは宗教施設の奥に隠された地下の聖域でありながら、神殿というより洞窟に近い。
岩肌はざらつき、壁の隙間から絶えず海水が滲み出しては、床に不規則な水たまりをつくっている。時折、どこからともなく寄せてくる波が岩場に打ちつけ、低く鈍い響きを洞窟全体に広げるまさに大自然。外界の海がこの場所を心臓にして血脈を通わせているかのようだった。
群青と黒が交じる灯火が岩壁に揺らぎ、影が長く伸びたり縮んだりしている。
しばらく、夜見は口を噤んでいた。
スティーブは純粋な眼差しでその言葉を待っていた。時折、背後の闇から聞こえる不気味な音。水音と獣のうなりを合わせたような響きに思わず肩を震わせることもあった。
「まずは大切なことから包み隠さず単刀直入に申し上げると………。
臣海の杜が篤く信仰する神。”渦津禍津神”様は【邪神】であらせられます」
夜見はゆっくりと顔を上げ、暗い天井に視線を送る。そこには海の気配とともに、形容しがたい圧迫感が漂っている。スティーブは、その沈黙の仕草に導かれるように天を仰ぎ、見えもしない闇の奥を凝視した。
すると、昏い岩肌だと思っていた闇の奥底が開眼した。
身体の芯から震え上がるような恐怖と同時にこの世の奇跡を目の当たりにしたかのような歓喜を覚えた彼の心中は、まさに渦に呑まれたようだった。
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