13 樹海にて
〇眞丐府
眞丐府有数のパワースポット、
その麓に拡がる原生林は、全国的な知名度を誇る"樹海"として名を馳せていた。
約1000年前の厷山の噴火によって形成された樹海には、人間の手による管理を離れた長大な規模の大自然を湛えており、ある時期からは人目を付かずに自ら命を擲つ者らが集うようになったことから、自殺の名所という不名誉な評価を受けていた。
――
――
都市の外縁に広がる樹海は、夜半を過ぎた今も湿った匂いを濃く漂わせていた。
風が梢を撫でるたび、血と鉄の匂いが葉裏から滴るように地面へと降り積もる。
丑三つ時まで響いていた咆哮と叫喚はようやく収まり、朝日を待つ僅かな暇を待つようなこの時において、ただ残るのは戦いの痕跡だけだった。
折れた枝にこびりついた鮮血、抉れた土に散らばる矢じり、倒れた仲間たちの姿。
その場に立つ者らは、勝利の安堵よりもむしろ、胸の奥に重石を抱えたような沈黙を守っていた。
張り付けられた人狼の死骸は、古木の幹に荒縄で縛り付けられてなお、恐ろしい威容を誇っている。毛並みは濡れ羽色に黒く、口元の牙は砕けてもなお人間を噛み裂く幻影を呼び起こす。討ち果たされたはずなのに、目を逸らせば次の瞬間にも跳びかかってきそうな迫力があった。
その亡骸を見据え、宍汪連が誇る二人の戦士が並び立つ。ひとりは肩に深い裂傷を負った背の曲がった老人で、血に濡れた布を固く巻きつけている。もうひとりは若い女の剣士で、額に泥と返り血をつけたまま特殊な黒曜石で出来た"黒杖"という武器を手放すことなく握りしめていた。
「……
男が唸るように言った。声は低く掠れて、長い戦いの疲労が滲んでいた。
「評価?
宍汪連が自らの職責の範囲において人狼の3番"レッドフェイク"を処分した。ただそれだけのことだろう。何を評価することがある、
氷鉋は視線を逸らさずに答える。縄に吊された人狼の眼窩からは、なお鈍い光が残滓のように滲んでいた。
「此度の人狼退治に参じた我ら十人中、五人が戻らぬ……いや、戻った者も、この先まともに歩けるかどうかすら怪しいものよ。獲物を仕留めたと言うには、あまりにも割に合わん」
猛掻老人は人狼の亡骸を恨めしそうに睨んだ。
「なんだ、そんなことか。
樹海を調べた限り、この人狼はかなり積極的に人間を襲い、喰らう存在だった。その被害者の量は日に十人じゃあ済まない大喰いだと伺える。コイツを放置していた際の無辜の民への被害を想えば、宍汪連が五人死んだからなんだというんだ」
「冷たいのぉ。仲間が死ぬことを簡単に割り切れるものか」
風が梢を渡り、縄に吊られた死骸がかすかに軋む。二人は無意識に武器を構え直したが、死んだ獣はもう反応しない。ただ、敗北を拒むように牙を剥いたまま動かない。
「宍汪連は自らの在り方を強制されない。命を賭して戦う道を選んだ彼らを愚かと嗤うことはないが、それでも自らの命を惜しむ度量であれば、ハナからこの組織に属する価値すらない。
彼らは自らの身命を賭して、職責を全うした。その殉死に誉れこそあれど、指折り数えて嘆き悲しむ程の道理はない」
「……なあ」
猛掻がふと口を開いた。
「お前はどう見える?この獣の貌が」
氷鉋はしばらく沈黙し、黒杖を土に突き立ててから答えた。
「どこまでも哀れな獣の貌だ。……だが、人間と同じ目をしてる。獣として殺したのに、最後に残るのは、似たもの同士の影だ」
猛掻は短く笑った。
「ラグーンのようなことを言いよるわ。人間を狙い、その末に殺したとあれば、俺たちはただの屠殺人と変わらん。……見ろ、牙の根元にはまだ肉片が残ってる。あれは仲間の腕だ。ヒトがヒトなど喰らうものか」
樹海の奥では、夜鳥が一声鳴いた。血に濡れた大地はまだ生温かく、夜風に溶けて漂う鉄臭さが、勝利という言葉を拒むかのように濃かった。
二人はしばし言葉を失い、それでも死骸から目を逸らさなかった。今宵の狩は、続く夜の一幕に過ぎない。やがてまた、別の影が眞丐府の何処から姿を現すだろう。
「コイツを斃してみて、少し考えてみようと思った。…人狼は我々が思っているよりずっと、ヒトなのかもしれない」
「らしくないのぉ。……まぁ、よい。この場の守は任せた。ワシは仲間の亡骸を弔ってやらねば」
そう言うと、二人は背を向けた。縄に張り付けられた人狼は、梢に揺れる影とともに沈黙し、ただ夜の樹海に異様な存在感を残し続けていた。
―――
―――
―――
その場に残る氷鉋。
猛掻老人が少し離れた場所で仲間の遺体を布で覆い、埋葬の準備をしていたが、その姿は網密とした木々の隙間からちらりと見えることすらない。
そのうち、大地を覆うような雑草を踏み締める靴音が背後から近づいてきた。
戦いの残り香の中、その足音に宿る僅かな緊張感を氷鉋は捉えていた。
現れたのは、黒いスーツに上等な外套を羽織った男。
姿勢は柔らかく、口元には笑み。
だが、その笑みの裏に潜む冷ややかさは、ただの優男のものではなかった。
「お疲れさんです。おにぎり屋ではどーも。……エライ闘いのあとで悪いけど邪魔するで」
声は訛りに彩られ、低く撥ねて響く。
氷鉋は黒杖を握り直し、鋭い視線を送った。
「思いがけないこともあるものだ。貴様がこの場に姿を表すとは、どういう風の吹きまわしだ?……確か名前は
寂翟は片手を上げ、制するように笑った。
「名前覚えてくれとったんやねぇ。まぁまぁ、そう血ぃ急かさんと。
俺はただの"商人"や。簡単なビジネスの話だけさせてもらおうかとおもてな」
彼の視線が、縄に縛られた人狼の死骸へと移る。薄らんできた月光に照らされるその毛並みはなお妖しく、鋭い牙が闇を反射していた。
「――これや。これが欲しい。この人狼の死体を買い取りたいんや。
金を積もう。そっちも犠牲が多かったやろ?治療費も要るし、特別な武器も揃え直さなあかん。ここで少しでも得に変えとく方が理に適うんちゃうか?」
「何を言うかと思えば……。人狼の死体は
氷鉋は黒杖を地面が引き抜く。
「それとも私から奪ってみるか?」
寂翟は一歩、静かに近づく。色眼鏡の奥の瞳は冷たく光った。
「ほんなら一応交渉をば。金には糸目をつけんで、何桁でも言うらたええわ。欲しい額を出させてもらうで?」
「論外だ」
「うーん。まぁ、せやろなぁ。ぶっちゃけ、アンタやなくてあっちの爺さんならまだいけたんかもしれへんけど、アンタは金に靡く女ちゃうやろし」
「何故、土着のヤクザが人狼の死肉など欲しがる?」
黒杖の穂先が、わずかに寂翟へ向けられる。
「交渉の余地のない相手にビジネスの話はできんわ。まぁ、今日の所はええわ。
アンタらまだまだ人狼狩りするやろ?……そんとき死体を売りたなったら俺らを頼ってや。悪いようにはせんで」
彼は肩をすくめ、口端を歪めて笑った。
「血を流した仲間に報いようと思うなら、生き残った者らの明日を守ることも考えなあかんやろ。――金は、その力になる」
――
――
――
僅か数分間の寂翟の来訪。
姿を消した彼の行方を追うようなことは彼女はしなかった。
しかし、半日後、その判断を僅かに後悔した。
人狼の回収を担当した聖星讀圓の一行が、謎の勢力により襲撃され、輸送中の人狼の死体が闇社会の何処かへ消えて行ったという知らせを聞いたからだった。
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