11 韋駄天の行方
〇眞丐市中央区_
「ハァ……ハァ」
最近はどうにも走ることが多いが、そもそも鯵ヶ沢梅雨喜は自らの脚を用いた駆けっこは好きではない。彼の観懲三色顕現はかつての愛車であるシボレー・ベルエアで道という道を駆け抜けた際には無類の強さを発揮した路道支配能力であるが、密に物品やコンテナ、特殊重機が詰め込まれた湊では使い勝手が悪かった。
向上した動体視力で捉えた韋駄天の軌道とずば抜けた洞察力と勘の良さから割り出した逃走者の進行方向。そこに突き進んだ梅雨喜は、跳ねる鼓動と上がる息の根の押しのけてせり上がる不満を口にせずにはいられなかった。
「ウぉい芦屋ァ‼お前、また勝手に戦闘なんぞ始めやがって‼」
「……。鯵ヶ沢看守長。今更追いつくようでは韋駄天との追いかけっこは不毛だったのでは?…戦闘を始めたとは言いますが、私は逃走する韋駄天をコンクリートに撃墜させて動きを止めただけ。人狼より速いっていう看板を掲げている以上、私がそのレベル感を確かめるのはある意味合理的かなぁ、といった所です」
「そういう問題じゃない。討伐任務でもないスカウト任務で不用意な武力行使は認められていない。特に人狼であるお前が変身するということ自体が眞丐府においてそもそもどういう意味を持つのかよく考えろ」
めんどくさ。という感想を喉に押し留め、邇都は韋駄天に向き直った。
「まぁまぁ。過ぎたことは置いておいて、話を前に進めましょう。韋駄天は自分の速度感にとても高いプライドを持っており、彼を召し抱えるにそれなりの大枚を叩く必要があるようです。私としては韋駄天をラグーンに加えることと支出を天秤に掛けた際、そこまで利がある存在とも思えません」
「だァれが悪魔の下僕になんざ成り下がるかよ」
韋駄天は地団駄を踏む。強化された脚がコンクリートに当たるたび、重々しい地響きが唸りを上げる。
そんな韋駄天を邇都は持ち前の慧眼でしかとねめつける。彼女としては絶対に勝てる相手だが、戦闘の際に生じる余剰な動きや体力消費を嫌う彼女は、相手の呼吸や視線、わずかな筋肉の強張りか次の動きを常に予測していた。
(……怒り心頭。でも、逃げない、仕掛けてこない。何故?
看守長の能力を知ってるなら、私に攻撃される可能性がある中で赤信号を喰らうのは極力避けたいはず。看守長が交渉のために赤を出さないのを期待して逃げるタイミングを伺ってる?それともなんだかんだ言いつつ、値段交渉してラグーンに下る腹つもりなのかな)
「韋駄天、改めてラグーンへの勧誘をさせてほしい。我々には腹を割った対話が必要なんだ」
しかめっ面で対話を望む梅雨喜。そんな彼を改めて嘲るように、韋駄天はベロを出して嗤った。
「必要ねぇよ」
―――
―――
その時、何かが彼らの合間に降り立った。
轟音と共に鉄が悲鳴を上げる。それが着地の際の緩衝のために経由した電灯が軋み、無残にへし折れながら地に叩きつけられる。火花が弾け、光源は破裂したように暗闇を一瞬だけ裂く。
降り立ったのは、人とも獣ともつかぬ異形。
不気味なほどの痩躯で歪な筋肉が張り付いた全身を革帯と金属具に締め上げられ、顔には目隠しと包帯とが乱雑に張り付いている。両の手には赤黒く染まったカタールを握っており、蜘蛛の脚のように長い手足の先で小刻みに刃を震わせている。
着地の衝撃で周囲の路道は砕け、破片が周囲に飛び散っている。耳を劈く金属音と焦げる臭いに梅雨喜らは息を呑み、言葉を失った。
「は?」
異形は崩れた街灯の残骸を背に、骨の軋むような不自然な姿勢からゆらりと立ち上がる。目隠しに覆われた顔は無表情のまま空を仰ぎ、刃がゆるりと構えられる。その瞬間、場を支配したのは梅雨喜でも韋駄天でも邇都でもなく、ただこの存在がもたらす圧倒的な緊張だった。
「看守長。何ですか。コレ」
「知らん。
空から冷たい雫がぽつりと落ち、次の瞬間にはざあざあと雨が地を叩き始める。水滴は火花を消し去り、泥を跳ね上げ、空気を一層重苦しく染め上げた。
「あ゛な゛い゛み゛じ゛」
異形が言葉を発する。と同時に、それは奇抜な体勢の変化でブリッジし、そこからさらに跳ね上げた上体を捩じりながらカタールの刃を邇都に向けて振り捌いた。
「ぉお⁉」
邇都の反射神経はそんな緩急のついた一撃を余裕を以て止めた。しかし、驚いたのはその攻撃の重みだった。見た目の細々とした印象とは裏腹に、妙に勢いづいた攻撃の重みは大型獣のそれを想起させた。
異形は全身を複雑に捩じりながら邇都を追撃した。このままでは場が乱れすぎると判断した梅雨喜は観懲三色顕現を発動しようと両手を胸の前で交差させたが、その瞬間にまた別の人間が自分らの前に姿を表したことを察知した。
狂乱に染まりつつある場に乾いた音が響いた。――手を叩く音だ。
「そこまでだ」
静かに歩み出たのは一人の男。上質な外套を雨に濡らしながら、異形に対し自らを主として主張し、支配するように掌を掲げた。異形は刹那、糸の切れた傀儡のごとく動きを止め、うなじを垂れる。
男は周囲の者へと視線を巡らせ、涼しい声音で言った。
「お騒がせしました。
我が同士たちが共々、物事の加減を忘れてしまったようだ。どうかご容赦を」
その場の緊張は雨音に溶けていったが、誰一人として、男の笑みを信じる者はいなかった。
「………おやおや。貴方がそういう感じでこの場に現れると、少し話がややこしくなりますね。
"臣海の杜"総務顧問、
「はい。私です。友人亭以来ですね、こうも早く再会することになるとは思いませんでした」
雨に濡れる邇都と梅雨喜。二人の鋭い視線を受け付けながら、夜見は小脇に抱えていた上質な雨傘を韋駄天に差し出した。
「何もややこしいことなんてありませんよ。韋駄天こと泉田夏樹氏には、数日前に我が臣海の杜との専属契約を結ばせていただいております。故に、ラグーンのスカウトが叶わぬ旨をお伝えしようと参じましたが、何かあっても困るため用心棒を連れてきた次第です。
その用心棒が分別もつかずに芦屋氏に襲い掛かった点、重ねて謝罪致します」
そこで邇都は先程までの韋駄天の態度に得心がいった。
韋駄天が逃げもせず鯵ヶ沢梅雨喜と芦屋邇都という実力者の前に在り続けたのは、自身の後ろ盾として臣海の杜の存在があったから。それでいて、用心棒とされる異形の存在の介入を十分に評価し、その登場によって逃げるに十分なタイミングが訪れることを知っていたからだった。
「臣海の杜が俺にいくら払ったか教えてやろうか?
5億円だよ。ご・お・く・え・んー‼‼
ちったぁ自分らの財布の小ささ見直して出直せや悪魔の下僕ども」
「それで。臣海の杜がわざわざそんな逃げ足ばっかり速い奴を引き込んで何を企んでいるんです?しかも五億って…馬鹿らしい」
「ぁあ⁉」
「いけませんよ。韋駄天。不死腐狼に感情で挑んでもどうにもなりません」
「チっ」
韋駄天は不服そうに邇都を一瞥すると、夜見に傘を押し返して踵を返した。
「傘なんか要らねぇよ」
そう言うと、またもやコンクリートが弾けるような圧倒的な爆発力を持った跳躍で彼らの元を去っていった。
「うーん。まぁ、彼も彼なりに実力と遍歴がありますから、自らの実力に対する矜持を持っているのは自然なことです。しかし、もう少し思慮深くても良いと思いますがね」
「さっきの芦屋の質問に答えてくれ。この臣海の杜の立ち回りはラグーンに対する挑発行為に近い」
「……ええ。まぁ、受け取り方は様々でしょうがね。
彼を招いたのは単純です。ラグーンの方々と同じ道理です。
人狼より速い人材が必要になったのです」
「………………」
そこで邇都は唾棄して言葉を吐き捨てた。
「何にせよ、立場上で臣海の杜を無視するということはできませんねぇ。
貴方がたが囲い込んだアーカス・カッターネオには人狼の容疑が掛けられています。韋駄天を引き入れようが、包帯変態を用心棒にしようが、我々ラグーンが威信をかけてアーカス・カッターネオを捕捉します。
覚悟しておいてくださいね」
「ええ。お待ちしていますよ」
夜見は不敵に笑うと邇都に傘を渡して去っていった。
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