10 不死腐狼

「流石、"レッドオークの信号鬼しんごうき"。ちょっと舐めてたわ。

 俺様が鬼ごっこで鬼に捕まる日が来るとはね」


 韋駄天の装いは、全身を覆う黒のコンバットスーツに近いが、軍用の硬さよりも軽量で伸縮性に優れた素材で仕立てられている。余計な装飾を排したデザインは空気抵抗を最小限に抑え、身体にぴたりと馴染む。膝や肘にはわずかな補強パッドが仕込まれ、激しい動きでも支障をきたさない。ランニングシューズを思わせるソールの軽靴を履き、まるで陸上選手が戦場に適応したような、極限まで機能美を突き詰めた姿だった。

 顔の半分を埋め尽くすような多機能ゴーグルを解除し、"韋駄天"泉田いずみだ夏樹なつきはその挑戦的な表情を張り付けた貌を晒す。


「で、信号鬼。わざわざ俺にちょっかいだして来た理由を一応聞かせてもらいたいね。アンタが本気出せば、多分もっと早い段階で追いつかれるくらいはしてたはずだ」


「ハァ……ハァ。…フー。

 韋駄天。端的に言うぞ。ラグーンに加入しろ。スカウトだ」


「へぇ。討伐じゃなくてスカウトか。まぁ、なんとなく分かってたけどさ。あんまり赤色使わねぇし、何より攻撃してこない。第一、人狼の巡りの件でてんやわんやしてるラグーンが俺の討伐を優先させる道理はねぇよな」

 韋駄天は足首を捻って鈴を鳴らす。

「……で、いくら出す?」


「傭兵じゃないんだ。基本的な給与体系はラグーンの諸規定に則る。成果報酬は交渉次第だろうが、俺からも掛け合うし、手付金で300万くらいは用意するつもりだ」


「………ぷ」


 韋駄天が小刻みに揺れ、次第に彼の脚が付くコンテナが大きく拉げた。


「アハハハハハハハハハハハハハハっ‼‼‼‼」

「……………………………」

「ちょちょちょっ……ウケる‼

 ぇえ⁉っどういうことォ⁉

 わざわざラグーンの看守長がスカウトにきて、手付金が300万⁉

 安いってぇ‼舐めてるってぇ‼俺がから俺の力が欲しいんだるぉおう⁉たかだかウン百万で悪魔の下僕に成り下がれってか、ボケ糞カス塵」


 力強い踏み込み。蹴り放った最初の挙動の反動だけで、コンテナが瓦解した。

 韋駄天の姿が闇に消える。風を切る音の中に僅かに鈴の音が混じるが、その遠さときたらない。

 先程までのチェイスの数倍の速度。ここにきて、韋駄天は本気の逃走に打って出た。


「捕まえてみろよ、無粋なスカウトマン。俺の影でも照らしてなァ」


 かなり距離が空いているというのに空気が揺れている。残像どころの話ではない。

 韋駄天の動きにより裂かれた空気が湊に乱気流を生み出し、踏み込んだ足元は足跡という名の破壊跡を刻む。踏み込む一瞬だけが視界の縁に余韻として残り、その鈴鳴りが聞こえる頃にはその姿は数歩先の空間に転移していた。

 

 青信号の重複効果により梅雨喜も再度速度を釣り上げる。もはや人間の動きでは再現できない領域に達しているが、それでもなお韋駄天の影を視認することすら叶わない。


――

「……ったく、なぁにが300万だ。馬鹿にしやがって」

 韋駄天は息一つ切れていない余裕の体力を以て愚痴をこぼす。

 こと速度対する絶対の自信。本気を出した自分に匹敵するものなどいないという自負が、先程の梅雨喜の発言に対する怒りを増幅させていた。


 再度、強い踏み込みで一気に距離を離す。一応、話を聞いてみるつもりで先程は投降するフリをしたが、この期に及んで鬼ごっこを継続する気は彼にはもうなかった。


「いやぁー。脚が速いってだけで随分とイキってますね。小学生男子ですか?」

「は?」


 韋駄天の背に衝撃が奔る。体が地面に叩きつけられ、反動で撥ねた体勢を立て直した途端、先程の攻撃の痛みが鈍痛となって全身に拡がる。


「ウ゛っ」


「っていうか。普通に攻撃当たるじゃないですか。スピードしか取り柄が無い割には追い付けましたけど。……人狼より速いっていう看板は降ろした方が良いのでは?」


 "人狼"芦屋邇都、参戦。

 闇の中から姿を現したそれは、人の形をかろうじて留めながらも、獣の威圧をまとっていた。全身を覆う体毛は濃い緑に染まり、湿った森の苔を思わせる光沢を帯びている。月明かりに照らされると、毛並みは風にざわめく草原のように揺らめき、背筋に沿って逆立つたびに野生の匂いが漂う。

 鋭く突き出した口吻からは白い牙が覗き、耳は尖り、眼光は暗闇を裂く双つの燐光となって標的を射抜く。人と獣の境界を逸脱したその姿は、まさに夜を徘徊する捕食者そのものだった。

 疾走中の韋駄天を横から叩いて撃墜させる膂力。少なくとも、韋駄天の速度に迫るスピードを維持していなくては、彼に攻撃を当てることは不可能。


 その点で言えば、芦屋邇都の先程の速度は韋駄天を越えていた。


「テメェ……コラ。タコ、コラ、カス、コラ。

 アシヤニトだな。ラグーンに飼われた人狼。ォおおお‼」


「……。在野の小物が何で私の事を知ってるんですかね。貴方、もしかして…」


 邇都の言葉を遮るように、韋駄天から放たれる殺気が空気を裂いた。


「俺が獣畜生より遅いってかァ⁉」

「いや、別に貴方が人狼より速いです遅いですを語る分には勝手にしたらいいんですけど、あんまり変にプライドばっか高くなって身の程を弁えないと早死にしますよ。

 …それに私だったら貴方に300万は出さないかなぁ。精々、3万とか…」


 韋駄天の右脚が金色に染まる。

 明らかな攻撃準備。ここにきて、ラグーンに対して逃亡ではなく攻撃を選ぶ程に韋駄天の矜持は踏みにじられた。


「よく言ったな、アシヤニト。それならこの一撃を止めてみろ。

 いやぁ、別に止めなくてもいいぜ。逃げても良いし、挑んできてもいい。

 俺がスピードしか取り柄が無いか、見せてやるよ」


「そういうのが子供っぽ――いッ‼?」

摩醯首羅まけいしゅら鳴合なりあい


 韋駄天の右脚がわずかに構えられたと思った瞬間、世界から音が剥ぎ取られた。蹴撃は視覚よりも速く、空気を裂く衝撃が遅れて鼓膜を叩く。まるで時間の方が蹴りを追いかけているかのように、残像すら生まれぬ速度で金色の右脚が振り抜かれた。

 その一撃が人狼の胸を捕えた瞬間、空間がきしみ、周囲の景色が一瞬ゆがんで波打つ。圧倒的な加速の果てに放たれた蹴りは、大砲を遥かに凌ぐ威力となって肉体を内部から爆ぜさせ、濃緑の毛皮も骨も肉も、すべて細切れに吹き飛ばした。


 耳に届く破砕音は遅れて響き、すでに人狼が消えた後の残骸と赤い飛沫だけが現実を証明していた。


 因果の外側にまで派生する速度のパラダイムシフトにより、韋駄天の蹴りは大砲の威力にまで昇華される。そして、その速度はライフルを超え、弾もリロードも反動もない即席の対人・対物迫撃であった。


「死に腐れろ。犬畜生が」


「いやぁ。腐るのは得意ですが、死んであげるのは無理ですね」

 

 腐肉を纏った人狼。

 先の砲撃が如き峻蹴にて肉骨粉に吹き飛んだかと思えば、砕けた臓腑のより集まった血溜まりの最中から、取り繕うように捏混ざって構築された獣の頭が顕れた。

 裂けた肉の隙間からは黄濁した液体が滴り、じゅうじゅうと音を立てて蒸気が立ち昇る。その蒸気はただの熱気ではなく、鼻を突く腐臭を帯び、周囲の空気をたちまちに淀ませた。

 骨が軋み、欠けた肢がぐにゃりと泡立ちながら形を戻す。爛れた皮膚の下で新たな筋が泡のように膨れ、裂け目を押し広げては塞いでいく。


 まるで死を嘲るかのように、黒ずんだ血と腐汁を撒き散らしながら、狼は再びその巨体を持ち上げた。


 人狼の巡り:4番

不死腐狼ふしふろう


 腐食再臨権能関数ふしょくさいりんけんのうかんすうという人狼形態時の常在能力により、擬似的な不死を実現する超絶的異能存在。

 不死腐狼は体内に”ブーカ”と”セラスミス”という2種の固有菌を有する。そのうちのブーカは人狼形態時の身体の欠損や細胞破壊、有機毒に反応して活性化し、人狼の肉体を腐らせる効果を齎す。ブーカの特殊な化学反応にさらに呼応する形でセラスミスが身体腐食を感知すると同時に、細胞の記憶を持つことによる生命最適化反応によりセラスミスは肉体そのものを形状の再構築を図る。

 2種の固有菌の反応により、結果として不死腐狼の肉体は外的要因による死を拒絶するのだ。


「逃げるも戦うもお任せしますが、さてさて、貴方は私に勝てるかな?」

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