第56話 かけるもの

 オチアイのあまりの迫力にシンキロウは言葉に窮する。

 語尾を上げて問いかける形だったが、オチアイは別にシンキロウに返答を求めてはいなかったようだ。

「ふーーん」

 自己完結している様子だった。

「許さない」

 その言葉には、ここに来てからずっと弱々しく儚げだった少女とは思えない凄みがあった。

 オチアイは傍らに置いていた、ハセガワの残した不恰好なナイフを手に取り、ゆらりと立ち上がった。

 オチアイは何も言わず出口へと向かおうとする。

「行くのか?」

 ハザマが馬鹿げているとも思える質問をした。

 単にカムイの元に行くかどうかを訊いているのではないことはわかる。

 オチアイの覚悟を確認しているのか。止めるなら今と忠告しているのか。

「うん」

 オチアイは短く答えた。力強いとは言い難い頷きとともに。一方で、彼女の声ははっきりと響いた。

 さっきのように冷え切った声ではない。

 かといって、いつものオチアイの声の調子でなない。

 いつもの儚げな弱々しさは影を潜めている。

 いや、こっちが本来の、普段の、生前のオチアイなのか。

 シンキロウが見てきた儚げなオチアイは、ここに来てからの姿に過ぎなかったのかもしれない。

 むしろ、そう考えるのが普通か。

 死んでしまい永遠に『お兄ちゃん』に会えない絶望に打ちひしがれながらも、生き返るために足掻いていたオチアイの姿しか、シンキロウは見ていなかったということだろう。

 出口の前まで歩いたオチアイは立ち止まり、振り返った。

 仰向けで寝ているままのハザマを見つめる。

「コウくん」

 ハザマに呼びかけて、口を閉じた。

 そして、口を開き、唇をわななかせ、口を閉じた。

 それからまた開き、

「ありがとう」

 そう言ってシンキロウとハザマに背を向け、隠れ家を後にした。


 オチアイはカムイの元に向かった。

これで戦いはおしまいか。意外な結末だったと言うべきか

 オチアイはカムイに挑む。

 そして負ける。

 これで事実上、勝ち残り生還する5人は決まった。

 カムイ。

 大太刀の女子。

 物を軽くできる男子。

 隠れているであろう誰だかわからないやつ。

 そしてシンキロウ。

 いや、それ以外の可能性もあるにはある。

「おい、よかったな。お前に生還の芽が出てきたぜ」

 シンキロウはハザマに話しかける。

「ほんのちょっぴりだけどな。オチアイがカムイと引き分けて。ロープのやつが先にくたばれば、残り5人だ。お前は生き返られる」

 現状ではハザマの体力が持ちそうになかったが、カムイの元へオチアイが赴いたことで決着が早まるかもしれない。

 シンキロウは大げさに肩をすくめた。

「ま、無理だろうな」

 ハザマがロープの少年よりも長く苦痛を耐え抜くことがではない。

「オチアイじゃ、カムイを倒せない。引き分けだって無理だろうさ」

 理由は色々。カムイの能力が凶悪だとか、それを使いこなすセンスみたいなのが抜群ららしいところとか。

 一番は性格というか人間性だろう。

 お兄ちゃんのために戦いを覚悟したからといって、いざカムイをナイフで切るなら突くなりしようとした時に、オチアイはためらわずにいられるか。

 ハセガワが言っていた。この戦いにおいて、容赦なく相手を攻撃できる人は強いと。つまり、それがオチアイとカムイの決定的な差だ。

 カムイだって自分が負けるはずがないと判断したからこそ、オチアイを呼び出したのだ。彼女だけを呼びだせそうだったのが理由としては大きいだろうが。

「そうかな?」

 苦しそうにハザマが言った。

 息も絶え絶えのハザマに返事を期待したわけではなかったので少し驚く。

「あ? どういうことだ?」

「オチアイは、あいつを倒すよ。勝てはしなくても必ず」

「なんでそう思う」

「ーーオレが彼女の立場だったら、やるからだよ」

「なんでそう思える」

「お兄ちゃん、じゃないけどさ。妹が、いるんだよ。あの子を傷つけようって、やつがいたら、オレはやるさ。だから、オチアイも、お兄ちゃんのためなら、やれるさ」

「そういうもんかね」

 オチアイのお兄ちゃんへの思いの強さを軽んじるつもりはないが、それで戦いに勝てるもんじゃないだろうに。いや、厳密に言うとハザマは、オチアイがカムイに勝つとは言っていない。

「なら、賭けるか?」

 シンキロウはニヤリと笑う。

「オレは、オチアイじゃカムイを倒せない方に賭ける。

 オマエは、オチアイがカムイを倒す方に賭ける」

「いいよ」

 不謹慎とも言える賭けの提案を意外なことにハザマは受けた。不謹慎なんて言うのは今更な話であるが。

 シンキロウはまたニヤリと笑った。意外に思いつつも楽しくなってきた。

「賭けをするにしたって何も賭けるもんがないけどよ」

「あるよ」

「あ?」

「オレたちは、何のために、戦ってきたんだ?」

 ハザマの問いかけの意味をシンキロウはすぐに察した。またもやニヤリと笑った。

「それ、オレになんの得があるわけ?」

「そうだな。だから、条件を、付けよう。オチアイが、カムイを倒す、だけじゃなくてーー」

 シンキロウは口の端を歪めた。

「ま、もともとオレが勝つのは見えているわけだし。いいぜ、その条件で」

 賭けは成立した。

「ありがとう、シンキロウ」

「礼を言われることじゃないし。もう何もやることもないと思っていたからな。退屈しのぎになる」

 ここでぼけっと全部終わるまで待つよりは、賭けでもした方がよっぽど面白い。

「なあ、オマエ、オチアイに惚れたか」

「いや。なんで、そう、思うんだ」

「別にぃ。やけに気にかけているからさ」

「ハセガワのことも、気にしてた、つもりなんだが。あいつのことを、思うと、胸が痛む」

「そうだろうけどよ。なんでそんなになってまでアイツを守ったんだ?」

「ーー妹が、いるって、言っただろ」

 シンキロウは笑った。

「ああ、アイツがお兄ちゃんお兄ちゃん言っていたからか? 自分の妹のことを思い出して放って置けなかったってか? 同い年なのによ」

 ハセガワも背が低いから、妹のことを連想したのだろうか。

 コウは苦しげに笑う。苦笑したのかもしれない。

「違うよ。俺は、オチアイの、お兄ちゃんのことを、考えていたんだ」

「はぁ?」

「オチアイが、帰って来なかったら、オチアイのお兄ちゃんは、悲しむ、だろうなって。俺なら、妹が死んで、帰って来ないとなったら、耐えられない」

「……はんっ」

 なんと反応したらいいのかわからなくて、とりあえずシンキロウは笑い飛ばした。

「つまり、お前は会ったこともないオチアイの『お兄ちゃん』を悲しませたくないから、あいつを助けてやりたいと思っていたわけか?」

「ああ」

「なんだよそれ。見ず知らずの他人のお兄ちゃんのために、そんなになってよ。オマエの妹がオマエが帰って来なくて悲しむのはいいのかよ。ひっどいお兄ちゃんだな」

 責めるようなシンキロウの言葉に、ハザマは反論しない。

「ああ、そうだな。その通りだ。ひどいお兄ちゃんだ、俺は。ごめん、ナユタ」

 最後に弱々しく呟いたのが妹の名前か。

 シンキロウはフンと鼻を鳴らして、そっぽを向いた。ここにはいない妹への謝罪の言葉を口にするハザマに、それ以上とやかく言う気が失せた。もともと他人事だ。

「じゃあ、オレはもう行くぜ。 

 オチアイがカムイを倒すかどうか。賭けの結果がどうなるか見に行かないとな。

 ああ、薙刀も回収しとかねえと。

 どうせ要らないだろうけどよ」

 ハザマがかすかに笑った気がした。

 シンキロウは出口へと歩み、出て行く前に何の気なしに後ろを振り返った。

 そして、すぐまた前を向き、隠れ家を後にした。

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