第3話
朝が明ける前、空がまだ群青色に沈んでいる頃、羽青は小鳥の亡骸をそっと抱えて庭に降りた。
庭は広く、整えられた芝と白い飛び石が淡い光の中にぼんやりと浮かび上がっている。
植え込みの間を縫うように細い小道が延び、端には低い木蓮と沈丁花が並んでいた。
夜露を含んだ草の香りがかすかに漂い、踏みしめるたびに湿った土の感触が足の裏に柔らかく伝わる。
庭の真ん中には、ひときわ大きな楓の木があり、
その根元には小さな影がいくつも揺れていた。
風がそっと枝を揺らし、葉の間からこぼれる月明かりが
まだ残る夜の静けさをやさしく照らしている。
花壇には、昼間の名残をとどめるように白い花が咲いていて、
薄闇の中でも淡く光って見えた。
整えられた庭は、清らかで穏やかで、
小鳥を眠らせるにはふさわしい、静かな場所だった。
夜の涼しさがまだ残る庭の隅に、小さな穴を掘る。
白い布の端をきれいに畳んで、その上に小鳥を置いた。
夜の涼しさがまだ残る庭の隅に、小さな穴を掘る。
白い布の端をきれいに畳んで、その上に小鳥を置いた。
「ありがとう……」
声は震えず、静かだった。
けれど胸の奥が波立つように熱くて、何度も深呼吸を繰り返す。
手を合わせて祈ると、ちょうど朝日が昇り始めて、ひどく眩しかった。
その光に背中を押されるように、羽青はゆっくり立ち上がった。
部屋に戻ると、まだ眠気が残った頭で自分を見下ろし、やっと気づいた。
(……裸だ)
羞恥というより、現実に引き戻されるような感覚。
制服のシャツに袖を通すと、ささやかな安堵が胸に落ちる。
ボタンを一つずつ留めながら、心の中にあったざわめきが少しずつ静まっていった。
制服に着替え終えると、羽青はそっと白巴菜の部屋に入った。
姉はまだ夢の中で、静かに寝息を立てていた。
(寝顔、子どもみたい……)
小さく笑って、そっとベッドに腰を下ろす。
姉の頬に髪がかかっていて、それを指先で払った。
胸が温かくなって、不意に涙がこぼれ落ちる。
(どうして泣いてるんだろう)
理由はうまく言えなかった。
ただ、何か大事なものが満ちて溢れて、堰が切れたように感じた。
白巴菜が顔に落ちる雫を感じて、薄く目を開けた。
まだ寝ぼけた声でつぶやく。
「んん~…?…ん?…?……なにしてんの? なに?なに? 泣いてんの?」
羽青は涙を拭わずに、笑って答えた。
「……姉の寝顔が可愛くて」
「……なんなの?」
「なんでも」
「おはようございます」
「……おはよう」
白巴菜が動こうとして眉をひそめる。
「てか……どいて。重いじゃない。起き上がれない」
「……もう少し」
「は? なんなのこの子は……」
羽青は少しだけ力を緩めた。
泣いているのに穏やかな気持ちだった。
今朝、守られたものと失ったものが、全部ひとつに混ざって、胸の奥で静かに燃えていた。
白巴菜は羽青の涙の跡をまだ頬に残したままの顔を見つめながら、眉をひそめた。
言葉に出さずとも、何か大きなことが起きたのだと察していた。
「……なんかあったの?」
白巴菜の声は珍しく真面目だった。
羽青は少しだけ黙ってから、小さく息を吐いて答えた。
「いろいろ」
白巴菜は、あえて軽く返す。
「ふーん。……例えば?」
羽青はベッドの端で膝を抱えながら、遠くを見るような目つきで言った。
「門蔵聡里さんと契約した」
一瞬、部屋の空気が止まった。
「……なんの?」
羽青は顔を姉の方に向け、静かに言った。
「結婚」
白巴菜は唖然とした。
「え゙、なに言ってんの?……結婚? あなたね?相手は女子小学2年でしょ?」
羽青は頷いた。
「うん」
白巴菜は目を細め、まるで爆弾処理班のように慎重に言葉を選び始める。
「まさか所有権とかなんとか言って、その子に……手出したとか……?」
羽青は無邪気な調子で言った。
「ちがうよ。私が所有されたのー」
白巴菜は一瞬、呆れて口を開けたまま黙る。
「……意味不明」
羽青は少し肩をすくめて、にこっと笑った。
「そうよね」
白巴菜は再び小さくため息をつき、
「……てか、どけ。重いんだけど」
羽青は「はい」と言いながらも、名残惜しそうに姉の身体から体を離した。
二人の間に、静かな朝の空気が流れる。
白巴菜は羽青のその不思議な熱に少し気圧されながらも、心のどこかで、妹の中に何か確かな「変化」が芽生えたことを感じていた。
それが良いものなのか、危ういものなのかは、まだわからなかったけれど。
白巴菜は心底めんどくさそうに布団を蹴飛ばして起き上がると、枕元に置いたスマホをつかんだ。
羽青はベッドの端にちょこんと座って、姉の動きをじっと観察している。
「……姉は、ちょっと電話しなくてはいけないから」
白巴菜はわざと事務的な口調で言った。
「誰に?なんの?」
羽青はすかさず問い詰める。
「ノエルだよ。モーニングコールしなくてはいけないから」
白巴菜は淡々と説明したが、羽青は首を傾げる。
「モーニングコールって?」
「ノエルを起こす電話だよ」
「じゃあ、居ても、いいでしょ? 起こすだけの電話だし」
羽青は当然のように言う。
白巴菜はわずかに目を細める。
「だめだよ。大事な話あるから」
「大事な話も?あるわけ? 大事な話って? 実妹に言えない話?」
羽青は興味津々という顔をして、白巴菜の顔を覗き込んだ。
「(・д・)チッ」
白巴菜は小さく舌打ちした。
「……いてもいいけど、邪魔するなよ」
「わーい」
羽青は嬉しそうにベッドの上で膝を抱え、にこにこしている。
「……朝から、なんなん?」
白巴菜はスマホを操作しながら、心底疲れた声で呟いた。
画面にはノエルの名前と可愛らしいスタンプの履歴が並んでいる。
白巴菜は一瞬だけ溜息をつき、それから通話ボタンを押した。
部屋にはコール音が鳴り響く。
隣で膝を抱えた羽青が、まるで劇を観るみたいに目を輝かせていた。
『おはようございます、ノエル』
『あ、おはよう白巴菜』
『起きた?ノエル』
『別に、もう起きてたし』
『白巴菜のモーニングコール潰し?』
『ちゃんとコール聞いたよ』
『腹立つ』
『なんで』
『せっかく彼女からのモーニングコールなのに?喜べよ』
『彼女?誰が?』
『私以外に誰がいる?』
『あ、お前かあ。キープNo.222』
『は?キープ?』
『なに腹立てるの?白巴菜』
『彼女をキープとか?ひどい
、ノエル』
『そのショートコントいつまでやるの?新しいのいつ出来るの?白巴菜』
『最近妹が結婚しまして………。』
『―――この電話は現在使われておりません。ガチャ。プー。―――』
「あ、電話キルな、ノエルー」
白巴菜はしばらくスマホを見つめて固まった。
画面には「通話終了」の表示。
「……あ、本気で電話切れた」
ひとつ息をつくと、隣で膝を抱えていた羽青が、けらけらと笑い始めた。苦笑&一言。
「古典落語みたい(笑)」
「笑うな。真剣なの、こっちは」
白巴菜は頬を膨らませ、スマホをぽんとベッドに置く。
羽青は片手で口を押さえながらも、笑いが止まらないようだった。
「だってさ、モーニングコールから、いきなりキープNo.222とか言われて…」
「しかも結婚の話したら電波障害?だもん(笑)」
「電波障害じゃない。ただの故意切断」
「……ノエルさん、面白すぎる」
「面白くないから。あの子、ああ見えて一応、私の親友だからね」
白巴菜はむくれた声で言ったが、羽青はますます笑いをこらえられない。
「でもさあ……」
羽青は目尻に涙を浮かべて笑いながら言った。
「彼女がモーニングコールして、相手がキープとか……仲良し、すぎじゃない?」
「仲良しじゃなくて、腐れ縁だよ。あの子、変なところだけ冗談きついんだから」
「そういうの、ちょっと羨ましいかも?」
羽青はふと真面目な顔になって、白巴菜の横顔を見つめた。
「……なに?羽青」
「私も、そうやって言いたいこと言える関係が欲しい」
白巴菜は一瞬だけ目を細め、妹の髪を軽くくしゃっと撫でた。
「……門蔵聡里さんとは、そうなれるんじゃない?」
「……そうだといいけど」
朝の光がゆっくりカーテン越しに伸びてきて、二人の影を並べた。
それは、もう、しばらく変わらないでいてほしいと思える穏やかな時間だった。
***
羽青は自宅で白巴菜と朝ご飯を食べると、自宅を出て門蔵聡里に会いに行った。
道を抜けると、やがて木立の向こうに門蔵の家が見えてくる。
門蔵聡里の家は、二階建ての少し古い造りだった。
白い漆喰の壁と、深い焦げ茶の瓦屋根が柔らかく陽を受けて光っている。
一見すると洋館のようにも見えるが、庭に面した縁側がその印象を和らげ、
どこか日本家屋らしい落ち着きを漂わせていた。
縁側の前には、小さな池と、よく手入れされた苔むす石畳。
柿の木とツツジの茂みが緩やかに風に揺れ、
葉の間からこぼれる木漏れ日が、縁側の板の上にまだら模様を描いていた。
涼やかな風が、竹垣の間を通り抜けるたびに、
庭の隅に吊るされた風鈴が、ひとつ鳴ってはまた静まり返る。
道沿いには白雪陽花の花が残っており、
雨上がりの名残のような水滴が、朝の日差しに光っている。
どこからか、遠くで子どもの笑い声がして、
それが風に運ばれてすぐに消えていった。
門蔵の家の敷地は、町の喧騒から少し離れたところにある。
だからだろう、家の周りには時間がゆっくりと流れているような静けさがあった。
羽青は門の前で小さく息を吸い込み、
懐かしい木の匂いを胸いっぱいに感じながら、敷居をまたいだ。
門蔵聡里は、庭の縁側に腰をかけて、ぼんやりと空を眺めていた。
淡い光が頬を照らし、指先には湯のみが握られている。
白い湯気がふわりと立ちのぼり、それが風に溶けるころ、
彼女はようやく羽青に気づいたように、静かに顔を上げた。縁側でぼんやりしていたみたいである。
「なにしてんのー?門蔵さん」
「ぼんやりです」
「羽青は入っていい?」
「やだって言っても………」
「入るけど」
「なんにも言ってない」
「今は女子小学2年なんだよね、門蔵さん」
「何?」
「今は私の方が学年上だよね」
「まあ」
「羽青に甘えていいよ、門蔵さん」
「例えば?」
「膝枕とか?一緒にお昼寝する?とか?ご飯作ろうか?それともhする笑」
門蔵聡里は縁側から顔を上げて、少しだけ目を細めた。
「……随分、選択肢が雑ですね」
「えー、どれがいいの?」
「どれも、あまり必要性を感じない」
「でも、一緒に過ごすのは必要でしょ?」
「……あなたがそう思うなら、あなたにとっては必要かも……?」
「じゃあ決定」
「何を?」
「私が勝手に膝枕する権利を行使します」
「……勝手ですね」
「だって神様でしょ?許してくれるんでしょ?」
「……仕方ない」
羽青は、にこりと笑い、縁側に座り込むと、膝の上に門蔵聡里の頭をそっと乗せた。
門蔵は最初こそ無表情のままだったが、髪を撫でられると、目を閉じて静かに息を吐いた。
「……少しだけだ」
「ふふ、可愛い」
「可愛いなどと言うな」
「はいはい、わかったわかった」
「……」
羽青は門蔵の髪に指を滑らせながら、自分の胸の奥が不思議に静まっていくのを感じていた。
今だけは、どちらが神でも人でもない気がした。
正午を過ぎて、薄いカーテン越しに射す陽の光が、部屋の奥にまで静かに届いていた。
門蔵聡里がゆっくりとまぶたを開けると、すぐ隣に羽青が横になっていた。寝息を立てていたはずの羽青も、気配に気づいたらしく穏やかに目を開ける。二人の視線が重なると、自然に小さく笑い合った。
「……いつの間に運んだ」
門蔵が低い声で問うと、羽青は眠たげなまま微笑んだ。
「寝てるうちに、だよ。重くなかったよ」
「余計なことを」
「いいでしょ。外は暑いし、ここ、涼しいし」
門蔵は軽く息を吐く。どこか呆れているようで、それでいて拒む気配はなかった。
「あなたは、本当に遠慮がない」
「だって、もう結婚したからね」
「……正式な意味では違うが」
「でも神様と契約したのは事実でしょ?」
門蔵はしばらく黙った。部屋に夏の蝉の声が遠くから届いて、白い壁に淡い影が揺れた。
「……そうだ」
「じゃあ、今から私と暮らして」
「どこで?」
「ここでもいいし、私の家でもいいし。神様って住む場所にこだわる?」
「……あまりない」
「じゃあ、私が決めてもいい?」
門蔵は小さくまぶたを伏せた。
「……」
「だめ?」
「別に。あなたが望むなら」
羽青はうれしそうに笑った。小さな声で「ありがとう」と言ってから、視線を重ねたまま問いかけた。
「ね?……神様は寂しくなること、ある?」
門蔵はすぐに答えなかった。長い時間を生きてきたものだけが持つ、遠い影のような沈黙があった。
「人間ほどではないが……孤独は、在る」
「なら、私がそばにいてもいい?」
今度は、ほんの少し間を置いてから門蔵が応えた。
「……許可する」
羽青はそっと門蔵の手に、自分の手を重ねた。小さく細い指は、子どもらしいのにどこかひややかで、頼りなくも決意が宿っていた。
「……手が温かい」
門蔵がつぶやく。
「門蔵さんの手、冷たい」
「そうだろうな」
「でも、それでいいの。……そういう人だから、好きなんだと思う」
「変わった人」
「お互いさまだよ」
門蔵はわずかに唇を緩め、かすかな笑みを浮かべた。羽青も同じように笑った。
部屋の外では蝉の声が高まり、夏の真昼を知らせていた。
二人はその声を聞きながら、黙って手を重ねたまま、そこにいた。
羽青は門蔵聡里の小さな手を引いて、自宅に戻った。
夏の午後の陽射しが廊下に淡く射し込む。白いスニーカーの足音が、いつもより心持ち弾んでいた。
両親も親戚も、近所の人たちも、門蔵が一緒に住むことをまるで不自然には思わなかった。幼い少女を伴って帰った羽青に向かって、「あら、お友達?」と気さくに声をかけるだけで、何か深く問いただされることはなかった。
門蔵は小さな顔に変わらぬ無表情を湛えて、礼儀正しく頭を下げた。
部屋に二人きりになってから、羽青は不思議で仕方なくなった。
「……ね?どうして誰も変だと思わないの?」
畳の上に座り、用意してきた麦茶を渡しながら尋ねると、門蔵は一口飲んでから視線を上げた。
「調整したから」
「調整?」
「人間の知覚を調整した。私がここにいることは不審ではない、と受け取るように。必要最低限だけ操作した」
「……なるほど」
羽青は思わず息を吐いた。
「……本当に、神様なんだね」
門蔵は首を傾げた。
「そう定義するなら、そうだろう」
「なんだか……面白い。現実なのに、ぜんぶ夢みたい」
羽青はそのまま立ち上がると、廊下へ出て、白巴菜の部屋をノックした。
「お姉ちゃん、ちょっといい?」
「どうぞ」
ドアを開けると、白巴菜がベッドに寝転んでスマホをいじっていた。羽青が門蔵の手を引いて入ってくると、白巴菜はスマホを置いて目を細めた。
「そっか、もう一緒に住むんだ?」
「うん……あの、いろいろ話したくて」
羽青が小さく俯くと、白巴菜は少し笑った。
「よかったじゃない」
「……え?」
「ずっと一人で考えてたでしょ。どうしたらいいか?どうしたいのか?」
羽青は目を丸くした。
「……なんでわかるの?」
「私の妹だもん」
白巴菜は当然のように言った。
「……幸せになりなよ」
「……ありがとう」
羽青は門蔵の手をぎゅっと握った。
白巴菜は立ち上がって二人の背を軽く押した。
「……あなたたち、これから忙しいんだから」
「忙しい……?」
「契約とか責任とか、大きい言葉背負ったんでしょ?それだけの覚悟があるなら、ちゃんと生きて、ちゃんと守りな」
羽青は黙って頷いた。
門蔵は相変わらず静かに羽青の隣に立っていた。
その小さな肩が、いつかどこかで、羽青の支えになるのだと、不意に確信のように思えた。
白巴菜は二人の視線を順に見比べて、小さく笑った。
「……ほんと、夢みたいだね」
白巴菜の部屋を出ると、羽青はそっと息を吐いた。
門蔵の小さな手を握ると、彼女はすこし不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「ううん……ちょっと、安心しただけ」
白巴菜に認めてもらえたことで、胸の奥に小さく絡んでいた不安が溶けていくのを感じた。
この子と生きると決めた。契約と呼ぶにはあまりに幼くて、けれど揺るがない想いがあった。
「門蔵さんの部屋だけど…好きな部屋を決めていいよ」
門蔵は少し考えてから、淡い声で言った。
「どこでもいい。お前の近くにいられるなら」
「……ありがとう」
その言葉があまりにも真っ直ぐで、羽青は視線を逸らした。
頬が熱い。けれど、不思議とくすぐったい幸福だった。
廊下を歩いて自分の部屋に戻ると、窓から夏の光が差し込んでいた。
机の上には、昨日、埋めた小鳥のために置いた白い小さな花が一輪。
門蔵もその花を見て、少しだけ目を伏せる。
「……あの鳥の魂は、お前と共に在る」
「知ってる。守ってくれるって言ってた」
「そう」
羽青はベッドに腰掛け、門蔵を隣に座らせた。
二人で並んで座ると、年齢も立場も違うのに、妙に自然に感じられる。
「門蔵さん」
「?」
「……ここにいてくれて、ありがとう」
門蔵は何も答えなかった。
けれど、その手がそっと羽青の膝に触れた。
小さな温もりが、胸の奥に沁みていく。
「あなたの時間は有限だ。だが……私は出来るだけ、あなたのそばにいる」
「うん」
外で蝉が鳴いている。
遠くで人の声がする。
そんな当たり前の世界に、きっともう戻れないとわかっていた。
でも。
この子がいるなら、それでいい。
羽青は目を閉じた。
光の中、門蔵の小さな存在を胸に感じながら、心に誓った。
——私があなたを守る。
あなたが誰であっても。
ゆっくりと、午後の時が流れていった。
門蔵は結局、羽青の部屋に住むことに決めた。
白いカーテンが揺れる午後の光の中、羽青は遠慮がちに問いかけた。
「門蔵さん、私物って……何か持ってきた?」
小さな身体に不釣り合いな静けさで、門蔵は隣に置いた紙袋を指差す。
「ノートと、ボールペンだけ」
「えっ、それだけ?」
羽青は思わず声を上げた。
女子小学二年生くらいの姿をしていても、着替えや持ち物くらいはあると思っていたのに。
「服とか……下着とかは? そういうのは持ってないの?」
門蔵は首をかしげてから、何でもないことのように告げる。
「服や下着は、必要になったら造ればいい」
「造るって……どこから?」
「光」
「光から!? あの、物理法則って知ってる? 神様って、そういうの無視できるんだっけ……」
羽青は額に手をあてて笑いをこらえた。
門蔵はどこか無関心な表情で、淡々と続ける。
「仕組みが分かっていれば、だいたいのものは生成できる。衣類も、食料も、簡単」
「……すごい」
それ以上言葉が出てこなかった。
さすが神様、と羽青は心の中で呟く。
この小さな人が、人間では到底理解しきれない知識と力を抱えている。
それなのに、自分の部屋の端で膝を抱えて、ただの子供のように座っている姿がひどく不思議で、愛おしかった。
「ねえ、門蔵さん」
「?」
「……なんでもできるなら、どうして私と一緒にいるんだろうって、思うよ」
その言葉に門蔵は視線を上げた。
大きな瞳に光が映って、しばらく黙っていた。
「あなたが呼んだから。私を必要だと言った。それだけ」
「それだけで?」
「それだけで、充分だ」
胸の奥に、あたたかいものが満ちる。
どこか遠くで蝉の声が鳴いていた。
羽青はそっと笑みを浮かべた。
「……これからは一緒に暮らそうね。ちゃんと人間としての生活、教えるから」
「必要だろうか?」
「必要だよ。だって、私も……あなたも、この世界で生きるんだから」
門蔵は頷いた。
ほんのわずか、幼い唇が微笑んだ気がした。
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