二話 獣姫の胎動

 王都イグナリオ――瘴気に覆われた迷宮の深淵。

 かつては人の声が響いた大広間は、今や赤黒い霧と脈打つ魔核に支配されている。


 暗闇の中、少女のかすかな呻き声が響いた。


 細く冷たい手足を持つその少女は、迷宮の捕虜として囚われていた。

 彼女の名はメリア。遠征軍の生贄として差し出された元民衆の一人だった。


 彼女の身体を覆う瘴気が、次第に赤く染まっていく。

 魔核の瘴気が細胞の奥深くに染み込み、絶望と憎悪を糧に形を変える。


 「メリア……お前はもう、ただの人ではない――」


 どこからともなく、血の王アルスの低く響く声が迷宮の壁を震わせる。


 少女の瞳がゆっくりと開き、赤く輝いた。


 その瞬間、身体に刻まれた瘴気の紋様が血管のように脈動し、

 骨格が歪み、獣のような鋭い爪が生まれた。


 メリアの内なる声が囁く。


 「痛い……怖い……でも、もう逃げられない……」


 その痛みの中で、わずかな“人の心”が残っていた。

 それは孤独な叫びであり、血の王の心核に寄り添う唯一の光だった。


 「お前は我が“獣姫”。我が王都の母。血の王の花嫁となれ――」


 アルスの呪詛の言葉が響く中、メリアは完全に新たな存在へと変貌を遂げる。


 獣の咆哮が迷宮の闇を裂き、血の王都は新たな命を得たのだった。

 玉座の間で赤く脈打つ魔核の光が、暗闇の中で二つの影を映し出す。


 血の王アルスは、もはや人の形を失いながらも、かろうじて残る意識でメリアを見つめていた。


 「お前は……かつての人の心をまだ持っているのか?」


 メリアは静かに頷き、震える声で答えた。


 「わたしはもう完全な魔物ではない……でも、人でありたいとも思う。

  あなたが“血の王”であるなら、わたしは“その花嫁”として共にいたい。」


 アルスの赤い瞳が揺れる。


 「人の心は弱い……欲望は人を滅ぼす。

  だが、お前の存在は私に忘れていた感情を思い出させる――孤独だ。」


 メリアはその言葉に、胸の奥で痛みを感じた。


 「わたしは、あなたの孤独を知りたい。

  そして、あなたが壊れる前に、せめて一瞬でも人としての温もりを。」


 その瞬間、瘴気が二人の間に渦巻く。

 しかし、それは憎悪ではなく、不器用な愛情のようなものだった。


 アルスは唇を震わせ、呟いた。


 「我が迷宮は、この世界の牢獄だ。お前の存在は、唯一の救いかもしれぬ……」


 メリアは静かに微笑んだ。

 「だからこそ、私はここにいる。あなたの傍に、迷宮の中で咲く花として。」


 二人は交わることのない運命を背負いながら、暗闇の中でわずかな希望を紡いでいた。

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