第十三話 愛に似た匂い

 廃村急襲後、エスを含む数多のマーナ兵はギャザリアの軍事基地にある療養棟にて休養を得た。その間にオルト軍が侵略をしてきた等の知らせが走る事は無かったが、多くのマーナ兵が戦線から離脱している為依然として予断を許さぬ状況であった。

 ミランダの被害状況が明らかになったのは、廃村急襲から十日が経った後の事であった。

 マーナ兵負傷者数二五三名。死者・行方不明者数九八名。廃村・ミランダの壊滅。多大な犠牲者を生みだした一方で、マーナ軍はオルト軍から獣機二八台と飛行船十三隻を鹵獲。召喚獣・バハムートを死守。しかしこの戦いの結果は、誇るべき勝利とは程遠い物である事は誰の目にも明らかであった。

 辛酸の末に獲得した、ほんの少しの前進と大きな後退。


 その日、エス、テレサ、グレア、レイの四人は軍事基地内の空き地にいた。

 エスだけがその空き地の真ん中に佇み、彼以外の他のメンバーは端の方から彼に視線を注いでいる。皆、口をきつく縛り、どことなく緊張している様子だ。

 「準備バッチリ!ばっち来い!」

 グレアがそう叫ぶとエスはこくりと頷いた。そして右手を天に掲げると、雲の隙間から舞い降りてきたのは紫の竜・バハムート。そのままはドスンと地面に着陸すると、周囲に舞い上がったのは土煙。

 その召喚獣を見て、グレアは困惑とも落胆とも異なる微妙な表情を見せた。

 「あ~……まあ分かりきってたけど、本当に継承しちゃったんだね」

 「ごめんなさい……メシアがいつ魔獣を連れてくるか分からなかったあの状況ではこうするのが最善手だと思って、勝手にバハムートを継承してしまいました」

エスは気まずそうに俯きながらそう言ったが、勿論本心としてはバハムートを介して自らの記憶を垣間見る為だ。

 「まあ、うん、しょうがないかな。色々な所には私から話を通しておくから君は何も心配しなくて良いよ」

 その様なグレアの優しい口調が尚の事エスの心を締め付けた。

 やはり私情で召喚獣を継承するべきではなかったんだ――心の内ではそう歯痒く思いながら、何とか言葉を出す。

 「……ありがとうございます」

 グレアは彼の言葉を聞き、うん、と頷くとテレサの方に目線を移し、

 「テレサ、エスと一緒に帰ってあげて」

 「分かりました」と言うとテレサはエスと共にその場を去った。

 エスの方も彼らに対する気まずさからその場から早く離れたかったのだろう。その足元は見るからに軽い。

 グレアは去っていく彼らを見届けると、今度はレイの方に目を向けた――目の下には廃村急襲前には無かった隈が出来ており、一見して分かる程に沈んだ顔付きをしている。

 弟が何故か敵対勢力に与しており、妹はその弟に連れ去られて敵国に幽閉されている。

 現在の彼の心情は――。

 「レイ……その、大丈夫?」

 グレアは歯切れを悪そうにしてそう言ったが、レイは顔色一つ変える気配すら出さず、

 「一人にしてくれ」

 俯きながら返す言葉を思案するグレア。すぐに彼女は下がってしまった口の両端を上げ、ドンと彼の背中を叩き、

 「大丈夫だよ!すぐにフユを連れ帰して、弟さんを説得しに行けるから!」

 「……?どう言う事だ?」


 秋の気配はどこかへ過ぎ去り、紅葉していた木々も今では細々とした枝葉を残してすっかりと禿げてしまった。上空に溜まった雲々は下界の人間に薄い影を見せびらかしながらその場に留まっている。

 空き地から寮への帰り道。

 エスとテレサは肩を並べて沈黙が訪れない為に適当に会話をしていた。もしそれが訪れてしまうと、どうしても様々な不穏な事を考えてしまうからだ。そうやって中身の無い話をしていたエスだったが、ある瞬間、ポツンと大切な事を思い出した様子だ。

 「そうだテレサ……お前にずっと言いたかった事があるんだ」テレサに笑顔を見せながら、「廃村急襲の時、お前が炎魔法を使って氷鬼を倒してくれなきゃ、アーネールは多分オルトの奴らに連れ去られていた。あの時はお前に助けられた。ありがとう」

 「いやいや、僕はそんな大層な事を出来た訳じゃ無いし……」とテレサは恥ずかしそうに俯いた。

 しかしその俯いた顔は、すぐに憂いを孕む沈んだ物となった。

 「ねえ、エスはさ、オルト軍がミランダに攻めてきた本当の理由、何だと思う?」

 テレサの言葉を聞きエスは軽く考えを巡らせたが、ピンとくる答えは舞い降りなかった。

 「本当の理由?確か、アークが大声で言ってただろ?召喚獣・バハムートとオーディンを奪いに来たって」

 「うん、アークはそう言っていたね。でも……本当に彼らはそれだけの理由でオルト国から遥々やってきたのかな?軍事に転用出来る程発展していなかったはずの航空技術で無理矢理に空飛ぶ機械を作って、安全かどうかも分からない森の上を数日掛けて横切って……それで召喚獣を入手出来たから帰った、なら理解出来る。でも実際には一体も手に入れる事が出来ずおめおめと逃げ出した。沢山の博打を繰り返しただろうに、どうして手柄の一つも上げずにあっさりと帰っちゃたのかな」

 「そんな事、俺に言われたって……」

 テレサはごくりと固唾を飲み、

 「召喚獣の入手以外に何らかの目的があった。そしてオルト兵はそれを達成出来たから帰った。それが何なのか分からないけど……そう考えた方が自然な感じがしない?」

 エスは顔を斜め上に向け、テレサの言葉を咀嚼してみる。

 「そう……かも……?」テレサの方に首を曲げ、「そう言うのはお前やグレアさんの得意分野だからな……俺に出来るのは、ガンガン突き進む事だけだ。グレアさんはオルト国に攻める算段を練っているらしいから、その時にフユを連れ戻しに行こうぜ」

 「え!?オルト国に攻めるの!?君も廃村急襲での被害規模について聞かされただろう!?そんな事、出来るはずがない!」

 彼はそう言ってエスの胸元をグイと両手で掴んだ。

 「だからそんな事俺に言われたって……」

 テレサは両肩を落として、

 「……もしかしたら、グレアさんは気付いたのかな。廃村急襲、その真の目的を」


 その後も色々と会話をしている内に辿り着いた彼らの寮。

 最初の方こそ誰がどの部屋にするかや騒音の問題で揉めに揉めたが、そんな問題も全て無くなってしまった。フユ、アトリー、アーネール――彼らが去り、三人が生活するにしては広すぎる空間のみが残されてしまったからだ。現在、彼らの部屋にあった物は全て撤去され、まるで元から彼らが存在していなかったかの様にして何も置かれていない。

 「じゃあな、テレサ」とエスは自らの部屋に続く扉のドアノブに手を掛けた。

 しかしテレサはそれを拒むかの様にエスの手に自らの手を被せた。

 まだ話したい事がある――と言う事なのだろう。

 エスがドアノブからテレサの方に目を移すと、彼はエスと目を合わせたくないのか地面に顔を向けている。そのせいでどんな表情をしているのかが分からない。

 「ねえ、エスは……アーネールが死んで悲しくないの?」と俯いたままテレサが言った。

 「え……何だよ、急に」

 「僕はもうここ最近ずっと、頭の中がぐちゃぐちゃしてて……フユが連れ去られたのに、アーネールが死んだのに」ここで一度、軽く溜め息を付き、「……ずっと信頼してたアトリーがスパイだったのに、もう何も感じなくなったかもしれない。ただ、漠然と嫌な気分になるだけなんだ」

 そう言ってテレサが顔を上げた時、エスはようやく彼がずっと俯いていた理由が分かった――テレサは今にも泣き崩れそうになっていたのだ。唇は震え、息を吸おうとするたびに喉が詰まる様な音を立てている。

 「ねえ、エスはアーネールが死んで悲しくないの?」

 テレサがもう一度、そう言った。彼がそこまで感情を露わにしている事に若干面食らいながら、エスも考えてみる――出てきたのはグレアの言葉。

 「俺は……」僅かに下唇を噛むと、「俺だって悲しいよ。でも、ずっと前にグレアさんが言っていたんだ。『死にゆく者達の想いを、望みを引き継ぐ』、『悲しむのは、全てが終わった後で良い』って。だから……辛い時は、俺もそう思うようにしている」

 少し間が置かれた後、テレサは再び俯くと上ずった声で、

 「……うん、そっか。僕も……そう思うようにするよ……ありがとう」

 そう言うと満足したのか、彼は徐に自室に引き込まれていった。彼が部屋に入る直前に小さな笑みと共に自分に手を振ってくれたのを見届けると、エスもようやく自分の部屋に入った。

 そしてエスの後ろでバタンと扉が閉まった瞬間、突如として緊張の糸が切れてしまった。ふっと身に力が入らなくなってしまい、その場に立つ事すら困難に思えてしまう。そのまま扉に背中を預けながらずるずると滑り、床に座り込んだ。

 「俺達が想いを引き継ぐ。全てはその後だ。そうだろ……だから……」

 それと同時にエスの元に襲い掛かる巨大な感情。それを形容する名は――悲しみ。

 エスの呼吸が徐々に速く、荒くなっていき、喉仏が激しく上下に揺れる。胸の奥から押し寄せる嗚咽と瞳の奥から溢れそうになる物を無理矢理に抑え込み、頭を少し上に反らせた。拳を握り締め、爪が肉に食い込む痛みに頼って何とかこれ以上感情が滲み広がらないようにしたが――。

 「姉さん……」

 気付いた時には、そう呟いていた。

 それからどれ位の間奥歯を噛み締めていただろうか。何の前触れもなく開いたのは、エスがもたれ掛かっていた扉。

 「うわぁ!」と情けない声を出しながら、エスの頭は扉を開けた者の足に衝突した。

 そのまま目を開くと、そこに佇んでいるのは上下に反転した少女の影。細い手足に長い髪のシルエット。部屋の電気は付けていないので彼女の表情は分からないが、それでも扉の前に佇む者が誰なのかは一瞬で分かった。

 「……メシア?」

 エスはぽかんと口を開けたままそう言った。暗闇のせいでちゃんとは分からないが、彼女の顔は何一つ動いていない様に見える――無表情で自分の事を見下ろしているのだろうか。どうしても、エスには触れる事すら出来ない影が二人を分け隔てているように思えた。

 「エスはしんどい事があると、そうやって一人で泣く癖があるからね」

 ぽつんと暗闇の中に彼女の声が置かれた。それでも、エスは起き上がる事もせずに口を半開きにして彼女を見上げたままだ。彼女は軽く溜め息を付き、

 「取り敢えず、中に入れてよ。話したい事があるからさ」


 パチ、と電気を付けると照らし出されるエスの部屋。

 左には手前から洗面台、クローゼット、タンス。タンスの上には赤色の花が入った花瓶が置かれている。鮮やかな黄色の花が密集した絵が淡い水墨画で描かれているその花瓶は、随分前にメシアがエスにあげた物だ。右には手前から靴入れ、ベッド、机と椅子。机に置かれたノートは両開きのままになっておりそのページに何かが描いてある様に見えるが、入り口からでは何が書いてあるのかは到底見えそうにない。

 エスとメシアが隣り合わせにベッドに腰掛けると、木が軋む音が細々と聞こえてきた。

 「それで?何だよ、話したい事って」

 エスがそう言ってからしばらくの間、メシアは何かを言おうと口を開け、何も言わず閉じる事を繰り返した。彼女がそうする度に二人の間で気まずい沈黙が起こった。

 そうして彼女が遂に発した言葉は、エスにとっては要点を得ない物であった。

 「……エスは『森』から出たら何がしたい?」

 エスは何を言っているのか分からない、と言った口調で、

 「森……?何で今更そんな話をするんだ?俺達は……とっくに森の外にいるんだぞ?」

 メシアはふるりと首を横に振ると、

 「ううん……私達はまだ、『森』の中にいる」

 「なあ、メシア、お前本当に何言ってるんだ?」

 「どうして嘘を付くの?どうして忘れた振りをしているの?……どうして『エス』と名乗っているの?」

 「だから何の話をしてんだよ!?」

 エスがそう怒鳴った時、ようやくメシアが閉口した。その場に突如静寂が訪れたのはその瞬間だった。しんと静まりかえったその部屋は、つい先程までの二人の言い合いが存在していた事実を否定するかの様であった。二人とも徐々に落ち着きを取り戻していき、このまま話し合いが終わるかのように思われたが――メシアの中ではとっくに『何か』が消えてしまっていたか、又はそれがどうしようもない程に膨れ上がっていたのだろう。

 彼女は俯いて溜め息を付くと、肩を震わせながら、

 「……本当にそう思ってるのなら、答えてよ」

 メシアは顔を上げ、エスの顔を覗き込んだ。

 「曖昧に搔き消されたあの言葉の続きを」

 困惑するエスの元に、頭痛が襲い掛かる。

 「あの時、笑った理由を。あの日――」

 赫の瞳に反射する、『彼』の姿。

 「私を、殺した理由を」

 ドクン、とエスの心臓が重たい音を立てて鼓動し、頭痛が脈打ちながらエスの頭に触手を伸ばしていく。その触手はエスの血管の中で暴れ回り、遥か彼方に忘却されていたはずの記憶を深い暗闇の中から引っ張り出してきた。そして彼の頭の中に溢れ出す、『あの日』の片鱗。エスは両手で頭を抱え、それが脳内に滲み出てこないようにしたが――全て無意味であった。

 「違う……」

 全ては、とある子供の無邪気な悪戯だった。エスとは無関係だった彼の、無邪気な。

 なのに。

 アイツが僕の首を絞めてきて――恐ろしい形相で殺そうとしてきた――だから――聞こえてきた声に従って――ア□ツを――いや――□を――□□□――。

 「違う……!『あれ』は俺じゃなくて――」

 気付いた時には、エスの口がそう叫んでいた。

 しかしメシアは止めようとはしない。何故なら彼女もまた――。

 「私の知らないあなたは誰?」

 「やめろ!!」

 パリン、とその瞬間に空を切って割れたのはタンスの上に置いてあった花瓶。それがいつの間にか落下し、今では床に無数の破片を残しているのみだ。その破片と破片の隙間から透明の液体が漏れ出し、床に波紋状に広がっていっている。

 メシアがその花瓶の残骸に目を固定させていると、その部屋は再び静けさで満ちてしまった様だ。その静寂を切り裂く様に、エスが啜り泣く音だけが響いている。

 「本当に覚えてないんだ……でも……」

 「……ごめん」

 それ以上、彼らの間で何か会話が発生する事は無かった。


 そして大きな出来事が起こる事も無く、廃村急襲から一か月程が過ぎ去ったある日。その日はフェルトにとって人生で最も忙しい一日であっただろう。朝からマーナ兵の再編成、ギャザリアの巡回、九四期マーナ兵志願者の選定。そして昼からは『アレ』に関する会議が――。

 フェルトはごくりと唾を呑み込むとドアノブに手を掛けた。すっかり乱してしまった息を深呼吸して整え、扉を開けた――。

 中には、マーナ兵幹部の面々が張り詰めた表情で待っていた。部屋の真ん中には縦長の机が四つ繋がれており、その周りには左右に四脚、その奥に一脚椅子が置かれている。その椅子に座っていたのはグレアだ。彼女は他のメンツと比べると余り緊張していないのだろうか、いつものにやけた笑いをその顔に浮かべている。

 「悪い、遅れた」

 そう言ってフェルトは所定の席に腰掛けた。グレアはそれを見届けて頷くと、

 「うん、これで皆揃ったね」厚みを増した声で、「それじゃあ話し合おうか。オルト国侵略、その案について」

 それは昨日、グレアから聞いた案であった。その作戦を聞いた瞬間フェルトは即座に止めるよう説得したが、グレアは「詳しい事は明日話そう」と言って煙に巻いたのだった。

 今日こそ彼女を説得しよう。そう決意したフェルトは大きく溜め息を付くと、

 「待て待て待て……私はそもそもオルト国への侵攻に賛成した覚えはないぞ?今はマーナ軍の復旧・増強を優先させるべきだ。はっきり言って、オルトに攻めるような体力は今の私達にはないと言わざるを得ない程だからな」

 フェルトの言葉を聞いていたのか聞いていなかったのか、何とも言えない表情のグレアは彼女に目を移すと、

 「フェルト、そもそも、どうしてオルト兵がミランダに侵略したのか分かる?」

 「どうして?アークも言っていただろう?二体の召喚獣を奪取する為に襲撃したと」

 「うん、それもあっただろうね。でも廃村急襲の真の狙い、それは私達を威圧する事にあったんだ」

 フェルトは眉間に皺を寄せ困惑した口調で、

 「『私達を威圧する』?どう言う事だ?」

 「どこから説明しようかな……オルト国北部にある『アスフォーダル』と言う植民地、皆も知っているよね」

 そう言ってグレアが落とした視線の先、その机の上には大きな世界地図が置かれていた。その地図に掛かれているこの世界の地理情報――地図の真ん中にでかでかと存在する巨大大陸。その北側を支配するオルト国。その南に大陸の右端から左端まで、アレキサンダー街道を覗いて余す事無く太線を引いているのが巨大樹・ネスト。そこから南にはオルト国と同規模のマーナ国が。そしてオルト国の北端、海岸線上には港町・アスフォーダルの文字がある。

 「当然だ。確か、オルト国の最北端にある街で、植民地としては最大規模らしいな。それで少し前に政治的抑圧と民族問題が複雑に絡み合った結果、歴史上類を見ない程の暴動をそこの市民が起こして、それが一都市でどうこう出来る程じゃないとか……それがどうしたんだ?」

 「その暴動を抑えつける為にオルトはアスフォーダルから最も近い都市・『ヘイム』に一度、国の殆ど全ての軍を集めて暴動を一気に鎮圧しようとしているらしい……そうでもしないと今回の暴動はマズいと判断したって事だね。その間、他の都市は守りが手薄になるだろう。もしそんな場所を敵国が攻め込んできたら……どうなるかな」

 アスフォーダルから見て三十キロ程南西に言った所にはヘイムと言う都市が。グレアの言う通り、他の都市はアスフォーダルからかなりの距離がある。次にその町に近いのは南南東にある帝都・マーナだが、それでもヘイムからアスフォーダルの距離の二倍程はある様に見える。

 フェルトはそんな当然の事を確認しながらグレアの質問の答えを考えていた――出てきた回答は当たり前すぎる物であった。

 「まあ、その都市は一巻の終わりだろうな」地図に目線を落としながら、「つまり、ヘイムに国中の兵士を集めている隙にマーナから攻撃を食らうのは良くないと思ったから、今回の廃村急襲で召喚獣を回収すると共にマーナ兵の数を減らししばらくの間、攻められないようにした……って言いたいのか」

 フェルトは顎に手を当てながらグレアの言い分を反芻すると、頭の中が大量の欠点と疑問点で満たされてしまった。ごまんとある言いたい事の中から、取り敢えず一番重要そうな物を口にしてみる。

 「何故そう思う?今回の進軍とアスフォーダルの暴動は全く関係ないかもしれないだろ?」

 グレアは分かりやすく怯んだ表情をすると、

 「申し訳ないが確証がある訳では無い。でも強いて言うなら……廃村急襲で魔獣が来た程度でオルト軍が大人しく帰った事かな。あれ程の軍と博打を打ってきておきながら召喚獣を一体も獲得出来ずに帰ったって事は、そこには既に達成した他の目的があったからって思ったんだよね」

 フェルトは期待外れだ、と言いたげにフンと息を吐くと口の両端を歪め、

 「話にならないな。私達はお前の妄想を聞きに来たんじゃないんだぞ?」口を元に戻すと、「それにお前がそこまで考え、半端な勢力でオルトに攻め入る……ここまでがアークの想像の範疇にある可能性も無くはないだろ?その場合私達は本格的に復旧の道を閉ざされる。いや、それだけじゃない。この数百年続くマーナとオルトの戦争を、私達のせいでマーナの民の敗北と言う形で終わらせることになりかねない」

 フェルトの意見に賛同するかの様に周りから笑い声が聞こえてきた。口の片端を釣り上げて笑う、卑しい笑みだ。尤もすぐにわざとらしく咳をしてそれを収めた所を見るに、思わず溢れ出してしまった物だったのだろう。それ程にグレアの案は――。

 グレアは柄にもなくにやけた笑みを止めると真剣な顔で、

 「確かにそうかもしれないね……でももしここで進軍を見送るとしたら、いつオルト国を攻め入るつもりなんだい?」

 「それは……」

 「十二年前にミフュースを攻めて以来ずっと、私達マーナの民はオルトを攻めれていない。ずっと、一方的に被害を受けているだけなんだ。アーク達が廃村急襲をした理由は兎も角、オルトの軍はヘイムに集結しているんだよ。もしこんなチャンスを見送るなら……いつになったら、私達は進軍出来るんだい?いつになったら、私達は勝てるんだい?」一度全員を見渡すと、「ここは全てのリスクを背負ってでもオルトに攻めるべきだ。私は強くそう思っている」

 グレアがそう言い切ると、その部屋はしんと静かになった。それを終わらせる様にして大きく溜め息を吐いたのはフェルトだった。彼女は肩をすくめると、

 「……分かったよ。まだ決まった訳では無いが、オルト国に攻め入るとして、どの街を襲撃するつもりなんだ?まさかオルト国中の全ての都市を……なんて事を考えている訳無いよな?」

 「ああ、勿論。その地図に赤丸で書かれている四つの都市を見てくれ」グレアは目線を地図へ落とし、「オルト国最大の工業都市・ミフュース。極寒の大地に花開いた都市・ヒペリオン。国中の兵が集結する都市・ヘイム。そして、オルト国帝都・マーナ。その四都市が私達の攻める予定の場所だ」

 ミフュースはアレキサンダー街道から北東に行くとすぐに見えてくる都市で、ヒペリオンはミフュースから西へずっと移動すると見えてくる街だ。グレアの発言の通り、その四都市には赤丸がグルグルと付けられている。

 フェルトはそれらの赤丸をざっと見通すと、

 「まあ、概ね予想通りと言った所か。四都市とも経済的、軍事的に繁栄しているからな……まだまだ視野に入れなければならない事があるな。おい、グレア――」

 フェルトがグレアに目を移した瞬間、グレアの喉の奥底から溢れ出してきたのは大量の咳。彼女の胸を裂く様にして何度も、何度も、何度も。収まったと思っても、すぐに次の咳が喉を抉じ開けてくる。途中から口内に鉄の味が広がっていき、口を押えていた手元には気付いた時には大量の血液がべったりと付着していた。粘り気のあるそのくすんだ赤い液体を見ていると、更に別の咳が。

 「グレア!?大丈夫か!?」

 フェルトはそう言って彼女の背中をさすったが、余り効果は無かったのだろう。グレアが再び何度も咳をすると、指の隙間から血液が滴り落ちる。

 「ああ……ごめん……大丈夫だよ」激しく呼吸をしながら、「さっきは言わなかったけどさ、今すぐ攻めたい理由は他にもあるんだよね」

 「分かっている。お前の……寿命の話だろう?」

 グレアは奥歯を噛み締め、

 「天賦魔法使いは皆、例外なく短命なんだ。私にはもう……時間が残されていない」

 両手にこびり付いた血液を見ながら彼女が思い出すのは、彼女の親友・フィリアの死に際。彼女と交わした、あの約束。グレアの脳内では未だに、虚ろな目で語りかけてくるフィリアが記憶の中心に焼き付いているのだ。

 「君が今の私を見たら……笑われてしまうかもな……」


 「おや、随分とお元気な子ですね」

 最近よく夢を見る。

 真っ白な視界の中、温かい腕に包まれている夢。なのに自分は泣き叫んでおり、喉が今にも引き裂けそうだ。誰かの手が自分の後頭部を撫で、額に柔らかい感触がした。自分は未だに泣いていて、泣き止む気配はなさそうだ。

 「ええ、ネーメンさんのお陰です。ありがとうございます」

 女性の声。誰だろうか?そう言えばさっき聞こえてきたのは男の声だった。穏やかな、聞いているだけで安心できる声音だ。その声の主の名前がネーメン、と言うのだろうか。

 「いえいえ、私なんて……」男は謙遜して、「お名前は何になされるんですか?」

 名前?誰の?まさか――。しばらく間が置かれて、

 「この世界は冷たく、残酷で、真っ暗だから……この子にはそんな世界を明るく、温かい光で照らしてほしいの。だからこの子の名前は――」

 そして、いつもここで目覚める。気付いた時には真っ暗な天井を眺めていて、先程までの夢を反復するが、いつの間にか曖昧に他の意識と混じっていき――忘れ去ってしまう。

 エスはその日も、そんな夢を見た。ベッドの上でぼんやりとその夢を思い出すが、体を起こして顔を洗う頃にはやはりどんな夢だったか分からなくなってしまった。しかしそんな事はどうでも良い位にその日はエスにとって、いや、全マーナ兵、全てのマーナの民、そして人類にとって重要な日となった。

 人類史に新たな一ページが刻まれる時が近づいてきたのだ――マーナ兵によるオルト国襲撃。その決行日が。


 エスとメシアが三年前、ネストを抜け出した時に最初に彼らを迎え入れたのは、眩しすぎる程の真っ白な光だった。その次に目に映り込んだのは広大な草原。地平線の向こうまで続いており、草や低木は風に向かって楽しそうに靡いていた。遠くにそびえ立っているのは、見た事も無いギャザリアの建造物群。

 今、その草原ではおびただしい数のマーナ兵がひしめき合っている。

 人々の肩が重なり合いながら息遣いすらも交差しており、ひしめき合う姿は上から見ると一つの生命体が躍動している様に見える。足音、話し声、笑い声、喧噪が渦巻いており、空気その物が揺れるように響き渡っている。その中で最も目立っているのは、九隻の飛行船。横長で真っ白なガス袋の下には操縦室がちょこんと付いており、後ろの方には機体の大きさにそぐわない位に小さなプロペラが付いている。廃村急襲時に鹵獲した十三隻の内、九隻が使用可能な状態であったらしい。

 エスは飛行船の内の一隻をその足元から見上げながら、

 「本当に……これでオルトに攻めるのか……」

 隣のメシアも飛行船を見上げながらこくりと頷くと、

 「エス、もうバハムートを介してアーネールの記憶を見たの?」

 「いや、まだだ……もしかしたらこの進軍の最中に見る事になるかもな」

 エスは何とはなしに飛行船の中に入ってみると、そこには数多くのゲージが格納されていた。薄暗い船内にはサイズの異なるゲージが所狭しと縦にも横にも積まれ、その錆びた鉄格子の奥に潜んでいるのは――大量の魔獣達。体は人間の様だが頭部に暗黒の球体がくっ付いている魔獣に、眼球が蛇で出来た黄金色の巨大蛙。エスは彼らを視界に入れると、

 「え……こいつ等、魔獣か!?やっと正式に魔獣を使う許可が出たんだな!」

 「うん。まあ実際には、グレアさんが多方面に呼びかけてくれたらしいよ」大きく溜め息を付き、「エスが休養中にした事だから知らないんだろうけど、凶暴な魔獣に触れるの本当に大変だったんだからね~……」

 「頑張ったんだな」とエスが手を伸ばしたゲージには小さな魔獣が入れられていた。

 真っ黒な毛溜まりに小さな手足が生えた様な見た目の魔獣。それの前足がエスの腕に触れた瞬間――エスは奇怪な体験をした。

 周りにいた人が全員、どこかに消え去ってしまったのだ。音も無く、皆突然どこかに。

 「……!何だ!?」

 エスはすぐに異変に気付き周りを見渡してみたが、人影は誰一人として見えない。ついさっきまではマーナ兵であふれていたはずの草原。今では草木が音も無く悲し気に萎れているだけだ――一体何が起こったんだ?一瞬で自分以外の人物がどこかに転移させられたのか?

 いや、その静寂の場には三人だけ人がいたのだ。一人はエス。そして残りの二人は――。

 「早く会いに来てよ、エス」

 「え……?」

 突然、エスの背後から女性の声がした。訳も分からず振り返ってみるとそこには男と女が。男は金髪の前髪を上げており、額には何かで出来た切り傷が細く付いている。目元はぱっちりとしていて、年齢はエスと同じ程だろうか。女も彼と同じ年齢程度で、腰にまで伸びたうねり毛の赤髪だ。二人共心配そうな顔付きでエスの事を見ているが――誰なのだろうか?エスには見た事も無い者達だ。

 エスは無心に二人の事を見返していると、突然二人の姿が歪み始めた。二人の右肩から左腰へ、絵の具を水に溶かしたかの様にして彼らは背景と同化していった。そして霧の様にぼんやりと消え――その場にはエス一人になってしまった。再び周りを見渡し始めたその時、エスの脳内に女性の声が響いた。

 「エス……エス……?」

 今度は知っている人の声。メシアだ。彼女がすぐに近くにいるはずなのだが――。

 次にエスに襲い掛かったのは強烈な眩暈。目の前で光がチカチカと踊りだし、重心がどこにあるのか分からなくなってしまったかの様にして膝から崩れ落ちた。

 次から次へと何なんだ――少しのイラつきを覚えながら地面を見下ろしていると、両耳の奥で渦巻いていた波が平穏取り戻す様にして次第に気分が良くなってきた。エスがもう一度周りを見渡してみると、目の前にはメシアが。先程まで見えていた男女の様に心配した顔付きだ。

 「あれ……メシア……」

 「エス、大丈夫?」

 「……うん、多分」

 メシアは先程エスに触れた魔獣に目を移し、

 「多分この魔獣に触れたせいだね。こいつの手の平に触れちゃうと幻覚みたいなのを見せてくるんだと思う。エスも多分それを見たんだよね?私もこいつを捕まえた時に……幻覚を見せられたし」

 「ああ、そうなのかな」

 飛行船の外を見てみると多くのマーナ兵が変わらずひしめき合っている。先程までの景色は本当に魔獣による幻覚だった様子だ。ほっと一安心したその時――。

 「注目!!」と突然グレアの声が響いた。

 マーナ兵の話し声が一斉に止み、皆の視線が飛行船の上に佇むグレアに注がれる。彼女はそれを見届けると、

 「これより私達はオルト国への侵略を始める!この侵攻の最中、私達の元に数多の苦難が立ちはだかるだろう!だがしかし!その困難の先に私達マーナの民の未来があると信じて」大きく息を吸い、「進軍!」

 爆発したかの様にして周囲からマーナ兵の雄叫びが舞い上がり、大地を震わせた。喉が裂けんとする程に声を上げ、拳を空に突き上げた姿は体全体を使って叫び声を生み出しているかの様だ。その世界の震えの最中に、エスもいる。

 「ああ、そうだ!」

 空は晴れ上がり、今までにない程の光が彼らを照らし上げた。

 「俺達の闘いはこれからだ!」

 溢れんばかりの期待を胸に飛び上がった飛行船。彼らの背後から吹いた風はまるで彼らを後押しするかの様であり、まるで世界から受けきれない程の祝福を受けているかの様でもある。

 しかしこの二日後、世界は一変した。

 進軍したマーナ兵の内、最終的な生存者は二名のみ。世界人口の約三割が死亡。オルト国全主要都市の壊滅と引き換えに、この戦いの末に遺された物は、復興不可能な程の壊滅的被害を受けた世界と一体の化物の胎動、二匹の怪物の覚醒。

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向日葵の病 赤松一 @akamatsufirst

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