第32話 佐貫先生
2000年5月。強志は、作家になるという新たな夢を胸に、ノートに日々を綴っていた。彼のノートは、沖縄での出来事から始まり、土浦での屈辱、南栗橋での「坂東クーデター」と、彼自身の内面で起こった変化が克明に記されていた。
そんなある日の午後、放課後のざわめきが残る校舎で、奇妙な知らせが強志の耳に飛び込んできた。
「なぁ、聞いたか?佐貫先生がさ……」
ざわめく生徒たちの会話に、強志は耳を傾けた。佐貫先生は、強志たちのクラスの担任で、柔道の顧問も務める熱血漢だった。
「……霞ヶ浦で、遺体で発見されたって……」
強志は、その言葉に思わず立ち止まった。佐貫先生が、霞ヶ浦で。彼の脳裏に、土浦の花火大会でゾッキーに囲まれたあの夜の記憶が鮮やかに蘇る。あの時、犬上が言っていた暴走族の名前――「霞ヶ浦レクイエム」。
翌日、学校は重苦しい雰囲気に包まれていた。佐貫先生の死は、生徒たちに大きな衝撃を与えていた。警察の捜査が始まり、複数の生徒が事情聴取を受けることになる。強志もその一人だった。
刑事の質問は、佐貫先生の普段の様子、生徒との関わり、そして彼が最後に目撃された状況に集中した。強志は、知っている限りのことを正直に話した。佐貫先生は、生徒思いで、正義感の強い人だった。時には厳しく、しかし常に生徒たちのことを第一に考えていた。そんな彼が、なぜ霞ヶ浦で、そしてなぜ「殺された」のか。
強志の心には、ある疑念が芽生えていた。佐貫先生は、柔道の指導者として、地元の不良グループとの間にも顔が利く人物だった。もしかしたら、あの「霞ヶ浦レクイエム」と、何か接点があったのではないか。そして、その接点が、今回の事件に繋がっているのではないか。
放課後、強志は犬上と顔を合わせた。犬上もまた、佐貫先生の死に大きな衝撃を受けているようだった。
「信じられねぇよな、佐貫先生が……」犬上が唇を噛みしめる。「でもさ、強志。俺、なんか引っかかるんだよな」
「何がだ?」強志は問い返す。
「佐貫先生って、昔から、霞ヶ浦の環境保護活動にも熱心だったんだ。それで、あの辺りで、不法投棄とか、そういうのを取り締まる活動もしてたって、聞いたことがある」
強志の脳裏に、点と点が繋がり始める。不法投棄。霞ヶ浦。そして、土浦で強志たちを襲ったゾッキー集団「霞ヶ浦レクイエム」。彼らが、そうした違法行為に加担していた可能性は十分にあった。
「もし、佐貫先生が、奴らの違法行為を突き止めて、それで……」強志の言葉が途切れる。
犬上は黙って頷いた。二人の間に、重い沈黙が流れる。強志は、自分のノートに書き記してきた、「理不尽な暴力」の根源が、また一つ姿を現したように感じていた。そして、その根源が、これまで彼が経験してきた出来事の全てに繋がっているような、不吉な予感が彼の心を支配した。
強志は、再びノートを開いた。佐貫先生の死は、彼にとって、単なる悲劇ではなかった。
それは、彼の「物語」に、また一つ、新たな、そして最も暗いチャプターを加えることになったのだ。ペンを握る強志の手には、微かな震えがあった。彼は、この現実を、どのように言葉にしていくべきなのだろうか。
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