第29話 犬上の夢

 土浦での屈辱的な出来事から数日後、強志は自宅に閉じこもっていた。あの夜の情けない記憶が、脳裏から離れない。ハリケーンGXの修理も手につかず、ただぼんやりと天井を見つめていた。

 そんな時、スマートフォンが震えた。犬上からのメッセージだった。

「強志、生きてるか?ちょっと話があるんだ。悪い、今からそっち行ってもいいか?」

 強志は返信する気力もなかったが、すぐに玄関のチャイムが鳴った。犬上はもう家の前にいたのだ。

 リビングで向かい合う二人。犬上は強志の顔をじっと見つめ、切り出した。

「あのさ、土浦の件、マジで気にすんなよ。誰だって、ああいう状況になったらビビるって」

 犬上は強志を慰めるように言葉を続けたが、強志は何も言わず、ただうつむいていた。

「……でもさ、俺、あの夜思ったんだ」

 犬上の声が、いつになく真剣な響きを帯びる。「強志も、俺も、もっと強くなる必要があるって。あの時、何もできなかった自分が、すげぇ悔しくてさ」

 強志は顔を上げた。犬上の瞳には、今まで見たことのない強い光が宿っていた。

「俺さ、将来、技術教師になりたいんだ」犬上は訥々と言葉を紡いだ。「あの夜、お前のチャリがぶっ壊されて、何もできない自分が情けなかった。でも、俺にはモノを直す技術がある。自分で工具を握って、何でも作れる、直せる。そういう技術を、若い奴らに教えてやりたいんだ」

 意外な告白に、強志は驚きを隠せない。犬上はこれまで、将来について具体的な夢を語ったことはなかったからだ。

「……技術教師?」

「ああ。技術って、すげぇ力になるんだ。モノを直す力もそうだけど、何かを作り出す力、自分の手で問題を解決する力。そういうのを教えることで、子どもたちがどんな困難にぶつかっても、自分で立ち上がれるような、そういう強さを身につけてほしい」

 犬上は、自らの手のひらを見つめながら語った。「あの日の俺たちみたいに、何もできなくて悔しい思いをする奴を、少しでも減らしたいんだ。それに……強志のチャリも、俺がちゃんと直してやるから」

 犬上の言葉は、強志の凍り付いた心に、ゆっくりと温かい光を灯していくようだった。土浦での屈辱、赤堀との因縁、そして坂東クーデターの混乱。それらの重荷が、犬上のまっすぐな言葉によって、少しだけ軽くなった気がした。

 強志は、これまで見たことのないほど真剣な犬上の横顔を見つめた。彼の言葉には、単なる夢以上の、強い決意が込められているように感じられた。

「……そうか」強志は、ようやく声を出した。「お前なら、きっと良い教師になれる」

 犬上は、はにかむように笑った。「だろ?だから、お前もいつまでも塞ぎこんでないで、前に進むんだよ。俺たちは、まだこれからだろ?」

 その言葉に、強志は静かに頷いた。犬上の夢が、強志自身の心にも、新たな希望の光を灯した瞬間だった。壊れてしまったハリケーンGXも、そして傷ついた強志の心も、きっとまた、走り出すことができるだろう。


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