第28話 白椿の遺児

 ――天文九年・常陸国、部垂。


 燃える本丸、倒れる城兵。義元が自刃したその夜、城の裏手にある竹林を、一人の少年が駆け抜けていた。


 名は、宇留野竹寿丸。齢八つ。


「竹寿……生き延びろ。義を、継ぐのだ……」


 父・義元の最期の言葉が、頭にこびりついて離れなかった。


 追手を撒くため、付き従っていた老臣・笹岡十左衛門は自ら囮となって斬られ、竹寿丸は雪に埋もれた沢へ身を投げた。


 奇跡的に命をつなぎ、身を寄せたのは、那珂の山奥にひっそりと暮らす薬師・琴羽ことは婆の庵だった。


 彼女は、かつて宇留野家の侍女であった。


「……おまえさんは死んだことにして、山の子として生きなされ」


 そう言われて、竹寿丸は名を捨て、**「山彦やまびこ」**と名乗るようになった。


 だが、彼の胸に宿る「義」は、火種のように消えなかった。



---


 時は流れ、永禄元年(1558年)。


 佐竹義篤は病に伏し、その後継は若き義昭が担うこととなっていた。だがその治世は混乱しており、内部では小場氏と江戸氏の対立がくすぶっていた。


 その頃、奥久慈の山中に、ならず者どもを束ねる謎の若者が現れた。


 名は――山彦丸(やまびこまる)


 盗賊とも、義賊とも噂されたその男は、佐竹の重臣の荷を襲っては民に米を配り、かつての部垂衆の遺族を密かに支援していた。


「……あれは、義元様に瓜二つだ」


 かつての家臣、小場義忠は山彦丸の噂を聞いて愕然とする。


「まさか……あの時、討たれたはずの……竹寿丸が……?」



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 永禄三年(1560年)、桶狭間で織田信長が今川義元を討った報は、常陸の山中にも届いていた。


 山彦丸は決意する。


「もう逃げるのはやめよう。私は、宇留野竹寿丸。父の志を、もう一度この地に……」


 同じく山に潜んでいた旧・部垂衆の若者たちが立ち上がる。


 農民に身をやつしていた大賀新九郎、鍛冶職人になっていた笠間源八、女装して生き延びた女武者・お鈴(実は義元の姪)――


 彼らは密かに「白椿党しろつばきとう」を結成し、佐竹家内部の腐敗と対峙する。


 だが、佐竹家はすでに武田氏や上杉氏との外交にも追われ、内憂を取り除く余裕などなかった。


 ある晩、小場氏の屋敷に文が届く。


> 「そなたは、かつて父の敵に与した。だが我らは、義に殉じた父を誇りとする。


 今こそ、誤りを正す時だ。城を開き、再び“部垂”の名を掲げよ」


――宇留野竹寿丸


---


 大館の地に、ひとつの椿が咲いた。


 雪の降る季節、常陸から出羽に移った元・部垂衆の末裔たちは、密かに竹寿丸の系譜を受け継いでいた。


 小場義忠の子・義弘は、その椿を見て言った。


「かつて、父祖が戦いの末に命を落とした地。その名は“へたれ”と蔑まれたが、真の“義”とは、へたれず貫くものだ」


 白椿の咲く丘に、竹寿丸の墓標が建てられたのは、文禄三年(1594年)のことであった。


 彼はその後、佐竹家の使者として上洛し、豊臣政権の下でひとつの役目を果たして消える。


 その人生が伝説となったのは、秋田藩の古老たちが夜な夜な語った物語――


> 「義を貫いた者がいた。名を捨て、名を継ぎ、義を咲かせた者が」





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