第20話 稲敷派遣切りブルース
犬上利昭、四十六歳。
稲敷市の自動車部品工場に派遣として入り、三ヶ月目だった。
ベルトコンベアの前で、同じ部品を一日五百個。腰をやられ、手首には湿布。
社員とは一線を引かれ、休憩所でも挨拶は無視。誰も名前を呼ばない。
ただの“派遣のアイツ”だ。
その日、昼の終業ベルが鳴ったあと、背広姿の工場長が作業服のままの犬上を呼び止めた。
「犬上さん。ちょっと…派遣元から連絡きてましてね。今月いっぱいで終了ということで」
「……急ですね」
「いやぁ、あのね、現場の都合っていうか。ま、頑張ってくれたんですけどね。派遣元にも伝えてますんで。お疲れさまでした」
「いつまで?」
「今日で」
背広は軽く頭を下げて去っていった。
それだけだった。
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夜。稲敷の道の駅のベンチで、缶コーヒーをすすりながら、犬上はスマホを見つめた。
どの派遣会社も「今は厳しくて」「3月以降なら」――。
持ち金、7,200円。所持品、着替え一式と折れた折りたたみ傘。
冷たい風が足元をすり抜ける。
「……あいつら、“人”として扱ってねえ」
犬上は立ち上がり、ポケットの奥にある折れた定規を取り出した。
かつて、高校の技術教師だったころ、生徒に渡した安物の定規――それだけが過去をつなぐ最後の記憶だ。
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「こんな目に遭うのは、もうごめんだ」
犬上はつぶやいた。
彼の中で、何かが静かに音を立てて切れた。
次の日、稲敷の派遣会社の事務所に火炎瓶が投げ込まれる。
犯人は――まだ捕まっていない。
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