第9話 道玄坂スネーク

 ――1998年、初夏の渋谷。


再びスクランブル交差点に立った小池強志は、あの日と何も変わらぬ喧騒の中にいた。だが、自分の中だけは何かが壊れていた。ヒトカゲも、ゲームボーイも、部垂での平穏な日々も、もう遠い。


ポケットにナイフ。首からカメラ。背負ったリュックの中には、母の目を盗んで持ち出した現金が3万円。目当てもなく歩いていたときだった――


「おい、あんちゃん、写真やってんのか?」


声をかけてきたのは、サングラスに金チェーン、腰履きのジーンズ。渋谷の裏通り、《道玄坂スネーク》と呼ばれる半グレ系ギャング集団の一員だった。名はユウキ。左腕には、タトゥーのように「蛇」と彫られていた。


「なんだよ、シャバ僧かと思ったら、目つきいいじゃん。どこ中だよ?」


「部垂…」


その言葉を聞いてユウキは吹き出した。


「ダッセー! でもまあ、田舎者でも使えるヤツはいる。根性、見せてみろよ」


それが“スネーク”との出会いだった。



---


数日後、強志はスネークのアジト――渋谷・百軒店の裏手にある空きビルの一室で、ユウキたちとポラロイドを囲んでいた。役割は「撮影係」。ナンパして連れてきた女たち、盗んだバイク、改造銃、路上でのケンカの戦果。それらを記録に残すのが、強志の“仕事”だった。


「いい写真じゃん、強志。お前、センスあるな。これ、ギャングの“証”にしてやるよ」


そう言って、ユウキは強志の右手の甲に、焼けた釘を当てた。


ジッ――!!


「ぐあッ……!」


焼ける音。肉の焦げる臭い。だが、強志は叫ばなかった。


「これで、お前もスネークだ」


痛みに耐えながら、強志は笑っていた。


「ここが……俺の居場所だ……」



---


その夜、ポケベルが鳴った。


「タカシ カエッテキテ ママ ナイテマス」


妹からの短いメッセージ。強志はそれを無言で消した。もう“タカシ”ではいられなかった。渋谷では“コイケ”と呼ばれ、ナイフとカメラを持つギャングの“記録者”だった。


 かつての焼きそばパン。かつてのヒトカゲ。かつての母の笑顔。


 そのすべてが、遠い“記録”になっていくのを、強志は自覚していた――。


> そして後に、彼の撮った1枚の写真が、ある殺人事件の発端となる。

 小池強志。かつて部垂の劣等生。後に“焼き印の記録者(レコーダー)”と恐れられる渋谷ギャングの伝説が、今、始まろうとしていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る