第4話 決意

 1996年、梅雨の足音が近づく中――

茨城県・部垂の静かな商店街にひっそりと佇む古本屋「南風堂」。その軒先で、ひとりの中学生が立ち尽くしていた。


 小池強志、14歳。

 彼は汗ばんだ制服のまま、無言でガラス越しの本棚を見つめていた。古びた背表紙のあいだから、赤黒い装丁の一冊が目に飛び込んできた。


『復讐マニュアル ―報いの技法』

 著者名は不明。発行年も消えかけている。だが、小池の指は自然とその背表紙に吸い寄せられた。



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 数分後。

 彼はその本を片手に、埃の匂いが充満した古本屋の片隅に腰を下ろしていた。


> 「いじめをやめさせる方法……法的手段……社会的制裁……心理的操作……?」



 ページをめくるたび、静かな怒りが彼の胸に広がっていく。

 放課後、プロレスごっこの名の下に津田にジャイアントスイングされ、何度も地面に叩きつけられた痛み。

 教室で勝手に筆箱の中身を捨てられた無力感。

 トイレの水をぶっかけられた寒さと屈辱。


 それらが、静かに蘇ってくる。



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 夕暮れ、古本屋を出た小池の目は変わっていた。

 手にした本は紙袋に収められ、彼の腕にしっかり抱えられている。


> 「秀吉みたいになりたい……あいつらの上に立つんだ」



 そう、あの日見た大河ドラマ『秀吉』の中で、草履を温めるだけだった一人の小男が天下人になったように。

 自分もいつか、津田やクラスの連中の上に立ち、思い知らせてやるのだ。


 そして、彼の中に芽生えた言葉がある。


> 「この本の通りにやれば、誰かを支配できる」


 小池強志、復讐のための準備を始めた。

 それが、彼の長い「成り上がり」の序章となることを、まだ誰も知らなかった。

  

 SMAPのメンバーだった森且行がオートレース選手に転身する為、1996年5月いっぱいでSMAPを脱退。


 6月6日 - 太平洋銀行の受け皿会社としてわかしお銀行設立。


 6月8日 - 中国が核実験。広島市の平岡敬市長が抗議文を送る。


 6月13日 - 福岡空港でガルーダ・インドネシア航空機が離陸に失敗。3人が死亡、109人が負傷。


 6月21日 - 沖縄県名護市内で帰宅途中の女子中学生が2人組の男に拉致され行方不明になり、翌1997年1月に国頭郡国頭村の山中にて遺体で発見される。


 6月25日 - JR高山本線で特急「ひだ15号」が落石に衝突して脱線。16人負傷。


 

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 だが、ゲームの最下段に近づくにつれ、慎司は気づき始める。


 このテトリスは、勝つことが目的ではなかった。


 “どのピースを捨てるか”――その選択こそが、彼の未来を決めるのだった。


 次に現れたのは、L字型のブロック。


 それは、かつての恋人・**優梨(ゆうり)**を思い出させた。

 彼女といた時間は、不器用で、形が合わず、けれど温かかった。


 慎司は一瞬、手を止めた。回転ボタンに指が触れたまま動けない。


 このピースを生かせば、どこかに“穴”が残る。

 だが捨てれば、過去そのものが、音もなく消える。


 彼は選んだ――右端、奈落の穴へとL字を滑らせた。


 画面が一瞬、ノイズを走らせた。


 次に現れたのは、**棒型(I字)**のブロック。


 それは、父の形だった。無言で背を向け続けた、背筋のまっすぐな男。


 このピースさえあれば、一気に4列消せる。劇的な“成功”の象徴だった。


 だが、そう思った瞬間、慎司の胸に鈍い痛みが走った。

 「俺は……本当にあの人を追いかけてただけだったんじゃないのか?」


 “消す”のではない。

 “残す”のでもない。

 **今、ここで“断つ”**のだ。


 慎司は、I字を逆に寝かせ、1列も消さない場所に横たえた。


 またノイズ。そして、画面がわずかに“明るく”なった。


 まるで、誰かが「よくやった」と言っているようだった。



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 その後も、S字型の“弟”

 Z字型の“裏切り”

 T字型の“希望”

 O字型の“諦め”


 次々と現れる“人生のピース”を、慎司はただ組むのではなく、選び、そして、捨てていった。


 最下段が、とうとう迫る。

 もう積めるスペースは、数手分しか残っていない。


 最後のピースが、ゆっくりと落ちてくる。


 それは……空白だった。どのキーを押しても、何も起きない。


 慎司は、すべてを理解した。



---


 テトリスとは、人生だった。

 積み上げるゲームではなく、**「削ぎ落とす」**ゲーム。


 残ったのは、何もなかった。

 けれどその虚無の中に、慎司は初めて――自分自身の輪郭を見た。


 やがて画面が暗転し、システムボイスが囁く。


 >「ゲーム、クリア」

 >「おかえりなさい。シンジさん」






 

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