第六部
「……その“かわいいカード”、そろそろ年齢的に厳しいんじゃないか?」
彼女の表情が――変わった。
目が鋭く光る。まるで……刃物のように。
あ、これは――まずい。
「……もう一度言ってもらえます? 今の、聞き取れなかったんですけど?」
「……すまん、さっきのは――ただの風の音ってことで。」
数秒間、彼女はじっと俺を見つめたままだったが……
やがて、ニヤリとした笑みを浮かべて顔を背けた。
そのまま、左手で――俺の膝の上のパンを取り、
右手で――缶ドリンクを掴んだ。
「……先輩。」
彼女は缶を開けながら、口を開いた。
「ゾンビ経済……リーマン・ショック以降の流れでそう呼ばれてるけど、
私が不思議に思うのは……なんで“私たち”が全部背負わなきゃいけないのかってこと。」
「……決断をしたのは、過去の人たち。
彼らは、戦後の追い風に乗った――“たまたま運のいい世代”。」
「でも……私たちは?」
彼女の手が、缶を――ぎゅっと握る。
表情は静かなまま。
でも……その声の奥には、確かに――緊張が宿っていた。
「……瓦礫の中で生きてる。
“豊かさ”を約束されたはずが、
年金と生活費という名の――墓に埋められようとしてる。」
「失敗したのは、あっちなのに。
なのに……“穏やかに、笑顔で払え”って……誰が納得できるんですか。」
俺は……言葉を返さなかった。
なぜなら――その疑問は、俺自身も何度も、心の中で反芻してきた問いだからだ。
でも、この国は……そんな問いに答える余裕なんて、とっくに失ってしまっている。
みんな……何事もないフリをすることで精一杯だ。
“問題がない”ように見せかけることが――唯一の安定だから。
最後の一口のパンを噛みながら、俺は……静かに言った。
「……さあな。
たぶん、本人たちも“解決策”なんて――分かってないんじゃないか。」
「……あるいは――」
少し間を置いて、俺は続けた。
「少年漫画とかラノベのありがちな台詞を――信じてるだけかもしれない。
“未来の世代がきっと何とかしてくれる”って。」
「……でも実際には、それを解決するためには、
“俺たちの世代”が――何かを揺るがすしかないんだ。」
「そして、その“揺るがし”は……確実に混乱を呼ぶ。」
出原は、空を見上げた。
長い間……何も言わずに。
「……分かってるでしょ?」
彼女は、やがて――口を開いた。
「この国の文化って、常に“調和”を誇りにしてるけど……
同時に、“混乱”も崇拝してる。
まるで、二つが何の矛盾もなく共存できるみたいに。」
「……俺たちは、“黙って苦しむこと”を美徳として教えられてきたからな。
できれば、“謝りながら”ね。」
俺は……自分でも驚くほど、乾いた笑いを漏らした。
咳と区別がつかないような、小さな笑い。
彼女も――笑った。
けれど、その笑いには……音がなかった。
笑っていいことじゃないと、ちゃんと分かっている人の……笑いだった。
「……じゃあ、やっぱりその“爆弾”は、いつか爆発するんですね?」
俺は、ゆっくりと息を――吸い込んだ。
「ああ。
でも、それは“今”じゃない。
まだ……俺たちが何とか修正できる可能性があるうちは、起きない。」
「けれど……いつか人口が減りきって、国会には、
かつての栄光にしがみついた老人だけが座ってるような時代になったら――」
「世界の中心と……まだ思い込んでる人間しか残らなくなった時――」
「……逃げるには遅すぎて、立て直すには年を取りすぎてる……
そんな未来が来たら、きっと――爆発する。」
沈黙が――訪れた。
あれほど頻繁に通っていた車の音すら……聞こえない。
東京の夜は……いつも通り明るい。
でも――この小さな公園の中だけが、何故か妙に……暗く感じられた。
公園が暗く見えるのは、きっと――街灯のせいじゃない。
俺たちの会話が、ついに“メディアですら触れられない”場所まで――来てしまったからだ。
「……先輩と話せば話すほど、確信が強くなってきたんです。」
出原の口から、静かに――その言葉が落ちた。
その声は……穏やかだった。
けれど、“癒し”の穏やかさではない。
嵐の直前、夕暮れに包まれた空のような……張り詰めた静けさだった。
「……先輩、本当は“答え”を知ってるでしょう?」
俺は……そっと息を吐いた。
一番楽なのは……否定すること。
「そんなわけない」と、笑い飛ばせば――いい。
でも、それで彼女を誤魔化せるほど、
出原真澄は……甘くない。
「……何を言ってるんだ、出原。
俺みたいな凡人に、一体何ができるっていうんだ?
それに、こういうのは全部“仮定”の話だ。
政府は、当然リスクも分かった上で――動いてるさ。」
そう、典型的な“建前”。
外交的で、無難で、言ってて安心できる……逃げ道。
だが――
彼女は、俺の目を見つめたまま。
たった二言で、返した。
「……嘘つき。」
俺は……黙った。
だって――その通りだからだ。
本当は、分かっている。
“抜け道”も、“破壊の入口”も……存在していることを。
このシステムは――解体可能だ。
回路を一つずつ断ち切り、土台から組み直すことも――できる。
だが、それをやる者は……焼かれる。
――現実に。
――制度に。
そして何より、“他の人間たち”に。
この妥協と恐怖で築かれた国には、
本音を持ち出す人間の“居場所”なんて……どこにもない。
……時計は、気づかぬうちに進んでいた。
こんな会話をしている時ほど、時間はあまりにも――速く過ぎていく。
時計を見ると、もうすぐ――深夜だった。
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