第四章「影の中の名前」
――高槻 明日香の視点――
雪に閉ざされたこの山荘で、もう何人目の“消失”だっただろう。
神崎が死に、紗季が拉致され、そして、再び写真の話が浮上した。
あの“写真”。
10年前、私が絶対に忘れられない――いや、忘れてはいけないと自分に言い聞かせてきた一枚だった。
当時の私は、ただの空気のような存在だった。
生徒会に名前だけ連ねて、発言は少なく、顔も薄く、何もできなかった。
でも、あの日。
冬の校舎で教師が死んだとき、私は――誰よりも近くにいた。
見てしまった。
“あの人”が、教師と口論している姿を。
そして、その後ろに立っていた、もう一人の影。
「見たことは誰にも言うな」
事件後、ある人間からそう告げられた。
「忘れたほうがいい。君も危ないから」
脅しというより、“忠告”のような言い方だった。
私は、その言葉に従った。
写真も、誰にも見せなかった。
ただ一人、神崎を除いては――。
「明日香、少し話せる?」
鷲尾真理子に呼び出されたのは、朝食後のことだった。
彼女と私は応接室に座った。
薪のはぜる音が遠く聞こえる。
「昨日のUSB、見たわよね。神崎の遺言」
「……はい」
「“写真に写ってはいけない人物がいる”って言ってた。あれ、本当なの?」
私は、一瞬言葉に詰まった。
でも――もう黙ってはいけない、そう思った。
「……写ってたんです」
「誰が?」
「教師の部屋のドア越しに、二人の人物が映っていました。一人は正面にいて、もう一人は……」
「後ろに立っていた?」
頷いた。
「でも、その人の顔は半分しか見えていません。だけど、制服の裾と、腕時計に見覚えがあった」
「それは……?」
私は唇を噛み、言った。
「雪村さん、です」
真理子の顔が強張った。
「でも、雪村紗季は被害者じゃない。昨日、倉庫に閉じ込められてたのよ」
「ええ、だから混乱してるんです。写っていたのが雪村さんだとしたら、彼女が“犯人”になる……でも、それが偽物なら?」
「偽物……?」
「似た誰か、あるいは――影武者。わざと“雪村紗季に見せかけていた”可能性もあるんです」
しばらく沈黙が流れた。
真理子がそっと立ち上がり、古いファイルを手渡してきた。
「これは、10年前の学校の名簿。写っていた全員の名前がここにある」
パラパラとめくる。見覚えのある名前、そうでない名前。
そして、あるページで手が止まった。
――“影の中の名前”。
そこにあったのは、とっくに退学になった、ある人物の名前だった。
「この人……」
「気づいた?」
真理子が言う。
「彼女の退学は事件の直後。理由は明かされていない。でも、教師の死と関係があると噂されていたわ」
名前は、白峰 京香(しらみね きょうか)。
目立たないが、当時の文化部で写真を担当していた。
「彼女が、影の中の人物だったとしたら?」
私は震える指でページを閉じた。
その夜。
私は思い切って、雪村紗季の部屋を訪ねた。
「入っていい?」
「……どうぞ」
ベッドの上で毛布をかぶる彼女は、目だけが異様に鋭かった。
「ねえ……私に、何か隠してる?」
彼女はゆっくりと首を横に振った。
けれど、その目は“否”ではなかった。
「私……あの日、見てしまったの。先生の部屋の前で、ある人とすれ違った」
「それって……白峰 京香?」
彼女はピクリと反応し、目を伏せた。
「どうして、その名前を……」
やっぱり。
“もうひとりの目撃者”は彼女だった。
そして今、その過去を誰かが掘り返し、“再演”しようとしている。
私はその夜、夢を見た。
古い校舎、吹雪の放課後、静かな音楽室。
そこに立っていたのは、影のように黒く沈んだ、誰かの背中。
その背中が、ゆっくりと振り返った――。
顔が、見えなかった。
雪村紗季の口から、白峰京香(しらみね きょうか)の名前が出た瞬間、私は確信した。
この山荘に集められた私たちは皆、過去に何かしらの「共犯関係」にある。
あの教師の死を巡って、沈黙した、または見て見ぬふりをしたという意味で。
そして、あのときすでに“いなくなった人間”――白峰京香――が、
今、この空間に影のように漂っているのだ。
「退学になった理由、知ってるの?」
私の問いに、雪村はしばらく黙っていたが、やがて、重い声で口を開いた。
「……ある日、先生の机の引き出しに、京香さんが撮った“問題の写真”が入っていたらしいの。撮影禁止区域で、こっそり撮ってたの」
「その写真が、事件の核心だった?」
「ええ。写っていたのは、ある部員が美術準備室で教師に強く抗議しているところだった。暴力寸前、だったと聞いてる」
私は息をのむ。
「その写真は没収された。けど、データのバックアップがあった。白峰さんはそれを盾に、教師を脅していた。教師の不正――内申書の改ざんを暴露すると言って」
「それで?」
「翌日、その教師が死んだ」
衝撃の内容だった。
つまり、白峰京香は教師の“秘密”を握っていた。
そして、その圧力にさらされていた教師が、ある日、死んだ。
自殺とされたが――実際は、そうではなかった可能性がある。
「退学は建前だったのよ」
「学校は“問題を起こした生徒”を静かに追放した。彼女の存在ごと、なかったことにしたの」
……そうか。
だから、写真に写っていた人物の名前を、誰も思い出そうとしなかった。
いや、“思い出せない”ようになっていたのだ。
真理子が呼びに来たのは、その直後だった。
「書斎の奥から、封印された箱が見つかったわ」
私と雪村は急いで書斎へ向かった。
箱は古びた木製で、南京錠がかかっていたが、鍵は隣の机の引き出しに残っていた。
中には――
十年前のネガフィルムと、現像済みの写真が5枚入っていた。
私たちは暖炉の前に全員を集め、慎重に写真を並べた。
一枚目:教師が教室で笑っている写真。生徒が数名、背後にいる。
二枚目:放課後の廊下。誰かが遠くを歩いている。
三枚目:問題の写真。教師と、誰かの乱闘寸前の瞬間。
四枚目:音楽室の窓越し。影が二つ、向かい合っている。
五枚目:校舎裏の物置。人影がうずくまっている。
全員が沈黙した。
霧島が写真を指差す。
「この五枚目……見覚えがある。事件の当日、俺、この場所を通った。でも、誰もいないと思ってた」
柴田が言った。
「影の向きが変だ。これ、明らかに昼間じゃない。夜の明かり――もしかすると、フラッシュか?」
「つまり、誰かが夜にこの現場に戻り、“証拠写真”を撮っていた」
私は背筋が寒くなった。
その「誰か」が、神崎にそれを渡し、死の原因になった。
もしくは――
自分で持ち続けていた犯人が、今、ここにいる。
その時。
玄関のチャイムが、唐突に鳴った。
全員が凍りついた。
この山荘は、外部とは完全に遮断されている。
除雪も連絡手段も断たれた“密室”のはずだった。
誰が――来た?
玄関を開けると、そこに立っていたのは――女だった。
黒髪、淡い顔立ち、古びたロングコート。
白い息を吐きながら、かすかに笑った。
「……久しぶりね。みんな、元気そう」
その声に、誰もが顔を上げた。
私の隣で、雪村が震えた声で呟く。
「……京香……?」
目の前にいたのは――
白峰 京香本人だった。
真理子が警戒を隠さず言う。
「あなた……どうしてここに?」
京香はまるで雪の中から現れた幻のように、静かに言った。
「神崎くんが私を呼んだのよ。“あの写真、そろそろ返してもらえる?”ってね」
「じゃあ、あなたは……」
「犯人じゃないわ。でも、犯人を知ってる。だって私は、最後の“目撃者”だったから」
その場にいた全員が、息をのんだ。
神崎の死の直前、もう一人だけ知っていた人物がいた。
そして今、彼女が帰ってきた――“真実”を告げに。
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