第三章「誰かの嘘」


――柴田 陽介の視点――


 警察になりたかったわけじゃない。

 正直に言えば、“他人の嘘を見抜ける人間”になりたかっただけだ。


 高校時代、クラスの誰もが“見て見ぬふり”をした、あの事件。

 教師が死に、真実が宙ぶらりんになったまま、誰も語らなかったあのこと。


 俺は見ていた。

 そして、気づかないふりをしたことを、今も悔いている。


 十年経っても、その後悔は消えなかった。

 だからこの再会の誘いを受けた。鷲尾真理子が何をしようとしているか、最初からわかっていた。


 ――これは、あの事件の“再審”だ。


 そして、神崎が死に、写真が現れ、誰かが“嘘を暴こう”としている。


 俺の中の刑事魂が、ざわついている。


 写真が見つかってから、全員の顔色が変わった。

 雪村は明らかに何かを知っていた。高槻は視線を落として、何も言わなくなった。


 霧島も一歩引いたように見える。

 “何かを思い出しそうになって”いる、そんな顔。


 俺は、ふとあることに気づいた。


 (この山荘、セキュリティどうなってるんだ?)


 “昔の資材倉庫が使われていた”ということは、防犯面は緩い。

 だが――たしかに、玄関脇にセンサー付きの防犯カメラがついていたはずだ。


 真理子に確認すると、彼女は頷いた。


 「ええ、防犯カメラは生きているわ。でも……録画装置は別棟にあるの」


 「別棟って……?」


 「少し離れた管理棟。スタッフが常駐するはずだった場所。今は無人よ」


 俺は即座に提案した。


 「見に行こう。写ってるかもしれない。誰かが書斎に入ったり、倉庫に出入りしたりしてたなら」


 「一人じゃ危ない。付き添ってもらうわ」


 結局、俺と真理子、霧島の3人で、雪をかき分けて管理棟へ向かうことになった。


 分厚い雪に足を取られながら、小道を進む。途中、外気温は氷点下10度を下回っていた。


 10分後、ようやくたどり着いた管理棟の扉は、鍵がかかっていなかった。

 おかしい。


 「開いてる……?」


 真理子と目を合わせる。霧島が先に中に入った。


 「電源、生きてる。ブレーカーが落ちてない」


 奥のモニター室へと進むと、防犯カメラの記録映像が保存されていた。


 再生してみると――

 深夜2時34分。書斎に誰かが入っていく姿が映っていた。


 小柄な人物。背中を向けていたが、顔は見えなかった。


 (これ、高槻か……? いや、髪が短い)


 だが次の瞬間、別の人物が続けて入っていくのが見えた。

 そいつは明らかに男。背の高い、やや痩せた体型。ダウンジャケットの襟を立てている。


 真理子が画面を指さす。


 「この時間、神崎は書斎にいたのよね。つまりこの二人が、最後の訪問者」


 霧島が唇をかむ。


 「じゃあ、神崎はそのあと――」


 「死んだ。何らかの形で、“その部屋で”ね」


 もう一つ、衝撃的な映像があった。


 深夜3時過ぎ。誰かが資材倉庫の前に立っている。


 長身。懐中電灯を持ち、倉庫の鍵を開けようとしていた。


 手つきに迷いがない。つまり、“ここに鍵がある”と知っていた人間だ。


 「……内部犯ってことか」


 真理子が低く呟いた。


 帰り道。雪の中を歩きながら、霧島が俺に言った。


 「お前……あのとき、なにか見たんだろ?」


 「……なんの話だ」


 「10年前の、あの教師の死。事故って言われてたけど、お前だけが現場にいた」


 俺は立ち止まった。

 胸の奥に沈めていた記憶が、強制的に引きずり出されるようだった。


 「あのとき……俺は、誰かの“声”を聞いた」


 「声?」


 「ああ。教師が怒鳴ってた。“やめろ!”って。で、そのあと、誰かの足音が廊下を逃げてった」


 霧島の目が揺れる。


 「それ……俺かもしれない」


 俺は何も言えなかった。

 霧島のその言葉は、本心なのか、あるいは……“なにかを隠そうとしてる”のか。


 その夜。

 ロビーで暖炉の火を囲んでいたとき――明日香が突然、叫んだ。


 「雪村さんがいない……!」


 全員が顔を見合わせる。


 「さっきまで部屋にいたんじゃ……」


 「ドア、開いてた! 中に誰もいなかった!」


 全員が一斉に立ち上がる。


 雪の中、誰かがまた“消えた”。


雪村紗季の姿が消えた。


 明日香の叫びに全員が反応し、ロビーは一気に騒然となった。

 鷲尾真理子は即座に指示を出す。


 「全員、懐中電灯を。外は吹雪。出歩いたのなら長くはもたない」


 「足跡は……?」


 「降雪が強くてすぐにかき消える。でも、今ならまだ間に合うかもしれない」


 俺と霧島、明日香、真理子の四人で、手分けして山荘の外と中を探すことになった。

 俺は裏手の倉庫まわりを担当した。


 雪に足を取られながら、倉庫へと向かう。

 先日と違い、扉はぴたりと閉じられていた。


 ノブに手をかけると、冷たさに指先がしびれる。


 (まさか、ここに……)


 扉を開けたその瞬間――


 「……っ!」


 中に、誰かがいた。


 小さなうずくまった人影。

 雪村紗季だった。


 彼女は毛布を体に巻き、唇を紫にしながら震えていた。


 「……し、柴田……さん……?」


 「大丈夫か? 何があった!?」


 彼女は答えず、震える手で差し出したものがあった。

 一枚のトランプ。


 それは――ジョーカーだった。

 カードの中央に赤いインクで、こう書かれていた。


 「犯人(Killer)」


 俺たちは雪村を山荘に連れ帰り、暖炉の前で体を温めさせた。

 鷲尾真理子は彼女に静かに問いかける。


 「どうして倉庫に?」


 「……気がついたら、そこにいたんです。目を覚ましたら真っ暗で……閉じ込められてて……」


 「意識がなかった?」


 「……はい。部屋にいたら、誰かが後ろから……」


 明日香が震えた声で言った。


 「じゃあ、襲われたってこと……?」


 俺は黙ってトランプカードを見つめる。

 “Killer”の印が押されたジョーカー。

 これは、明らかに誰かのメッセージだ。


 「ゲームをしてるつもりなのか……?」


 俺が呟くと、真理子が頷いた。


 「このカードは象徴的すぎる。意図がある。“次は誰か”という警告よ」


 「でも、なぜ雪村に?」


 「“見ていた”からよ。最初の事件のことを――そして、神崎の死の直前にも何かを知っていた」


 翌朝。


 俺は真理子に言われて、ロビー横の旧応接室に向かった。

 そこには、かつての管理人用の書類やファイルが残されていた。


 彼女は言った。


 「昨日の映像、整理していて気づいたの。倉庫に向かった人物、何かを落としていった」


 俺は書類をひとつひとつ確かめる。

 その中に――あった。


 一枚の封筒。


 中には、十年前の新聞記事のコピーが入っていた。

 《県立六峰高等学校 教師変死 事故死か、自殺か》

 そして、記事の端には赤ペンでこう書かれていた。


 「これは“始まり”じゃない、“終わり”だった」


 その言葉に、俺の背筋が冷えた。

 誰かが“あの事件”を、ただの導入ではなく、完結したものだと思っていた。

 だとすれば――今起きていることは、“新たな始まり”ということになる。


 その日の午後。

 霧島が全員をロビーに呼び集めた。


 彼の手には、1枚のUSBメモリが握られていた。


 「これ……神崎の荷物の中にあった。パソコンのポケットに入ってた。たぶん、見せるべきだと思う」


 俺たちは全員で応接室に移動し、USBをモニターに挿入する。


 動画ファイルが1本。再生すると、神崎航が映った。


 「これは、俺の“遺言”になるかもしれない」

 「10年前、俺は見た。あの教師が死ぬ直前、誰かと口論していた。その“誰か”の顔を」

 「でも……その人の名前は、今も言えない。なぜなら、俺自身が“その死”に一枚噛んでいたからだ」


 全員が息を飲む。


 「けど、俺はこの冬鏡荘で答えを出す。誰が、なぜ、10年前の事件を封じようとしたのか――」

 「もしこの映像が再生されているなら、俺はもう“その答え”にたどり着いた。そして、殺された」


 神崎はそこで、画面を見つめたまま止まり――最後に、静かに言った。


 「“あの写真”を見れば分かる。写ってはいけない人間が、写っている」


 全員が沈黙した。


 あの写真。

 写っていた“影の人物”。


 それが、10年前の事件の鍵であり、今の連続する恐怖の出発点だ。


 だが、その人物が誰か――それだけは、神崎も言葉にしていなかった。


 真理子が、静かに言った。


 「じゃあ、次はその写真の“本物”を探す必要があるわ。コピーじゃなく、オリジナルのネガを」


 俺は頷いた。


 もう、“見ないふり”はできない。

 あのときの嘘が、今、命を奪っている。

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