第19話

 コソ泥から案内された先は、古代のお宝が眠る神秘の遺跡。


 ここの最奥にある遺物が、朧冥夜攻略のカギになるという。


「しかしどうして急に協力なんてする気に? あなたでもやっぱりあの《プレイヤー》は怖いんですか?」


「ヤボなことを訊くね、ツツキちゃん。その通りだよ」


 そりゃそうか。あんな形態変化する《プレイヤー》、正面からタイマンを挑もうなんて思うバカは居ないだろう。


「それと、君たちの行く末を見てみたくなったのさ」


「私たちの末路を嘲笑いにきたんですか? 悪趣味な」


 末路は悲惨であればあるほどいい。だからこうして、罠かもしれないところへと案内しようというのだろうか。


「違う……とは完全に言い切れないのが辛いな。だが、別にバッドエンドを所望しているわけじゃないんだ。それだけはわかってほしい」


「わかりました。あなたのその顔に免じて信じてあげます」


 それに彼女のわけのわからないところも、信じる根拠になっていた。


 わけのわからないヤツの言うわけのわからないことほど、信憑性に足るものもない。


「ところで、魔神さんはさっきからずっとだんまりですけど、いいんですか? この人のことを信用して。それともガールズトークに割って入るのに気後れしちゃいました?」


「言うほど色気のある話はしてねえだろ……その女に関してはもちろん、信じていない」


「おや、嫌われたものだね。傷つくなぁ」


「オレたちに協力する気があるなら、こんな回りくどいことをさせないで、とっとと自分を差し出しゃいい。なのにどうしてこんな場所まで案内した?」


 ピタリ、とコソ泥が足を止める。


「そうだね。何故そうしないのか、ボクには証明する術が無い」


 両手を上げ、降参のポーズを取る。


「何なら今ここでボクを奪取してくれても構わない。その方が、君たちにとってはより円滑に物事が進むだろう」


「毒とか仕込んでねえだろうな?」


「大丈夫。ここに来る前にデトックスしてきたからね」


 遺跡探検の前に毒抜きとは、いい気なものだ。


「どうする? 君がボクを奪うのを拒否する理由はないはずだよ?」


 私は胸騒ぎする。


 果たしてこんな美少女から迫られて、拒否できる男がいるだろうか? 否、いない。魔神とて男。例外ではないだろう。


 が、魔神は興味なさそうに向きを変えた。


「やめとく」


「おや、どうしたんだい? まさか君、本番で手が出なくなるタイプかい?」


「そうですよ魔神さん。私の前だからって別に格好付けなくても」


 魔神の額に青筋が浮かぶ。


「お前らの偏見だけで俺を断じるな。別にそういうのじゃねえよ」


「じゃあ何故なんですか?」


「ここで奪う必要はねえと思っただけだ。まだこの遺跡の奥にあるもんとやらの正体もわからねえしな。それに、今のお前を奪っても戦力の足しになるとは限らねえ」


「それはごもっともだ。アレに対抗するのに、ボクごときがカロリーの足しになるとは思えない」


「そうなんですかねえ……」


 見たところコソ泥の《アウラ》は強い。奪えば十分力をつけられると思うが。


「それに……いや、やめとこう」


 魔神の表情が、一瞬だけ曇る。


 これはおそらく、女絡みだ。コソ泥とあの人を重ねてしまったとか、そういうところだろう。


「その割には魔神さん〝女と子供は奪わねえ〟みたいな誓いは立てないんですね?」


「誰が女の話だと言った?」


 鋭い視線で睨まれる。おお怖い。


「それじゃあ話もまとまったところだし、遺跡探検に出発しようか」


 入り口横のスイッチを押すコソ泥。


 すると上にスライドして石の扉が開かれる。


「ちょっと訊きたいことがある」


「まだ何かあるのかい?」


「今思いついた。お前、どうしてこの遺跡の存在を知っていながら、これまで盗掘をしてこなかった? レベルならここで上げられるだろう」


「今にわかるさ」


 それだけを口にして、コソ泥は遺跡の中に入っていく。


 そして我々探検隊は、遺跡の中で未知の先住民と遭遇したのであった!




 物を大事に使い続けると、やがてその物に精霊が宿るという。

精霊の宿った物は『付喪神』と呼ばれ、人をたぶらかしたりするのだとか。


 それは果たして、大事に捨てられた物であっても同じなのだろうか?


 この遺跡に眠る物は、どれもこれもが、これまで大事に放置されてきた物たちだった。


 着ぐるみが、いた。


 そこにはかつて人が入っていて、訪れる人々を時に湧かし時に驚かせる、そんな役割を与えられていたのだろう。


 けれど、今はどうだ。


 この寂れた遺跡で、この着ぐるみにはどんな役割がある。


「侵入者発見。排除シマス」


 赤のランプが点灯すると共に警報音が鳴り響き、遺跡の奥からなにやらわらわらと集まってくる。


「これ、ヤバくないですか?」


 魔神の服の裾を引っ張りながら訊く。


「今更だな。雑魚が群がってきたところで、退くつもりはねえよ」


「その意気だ魔神くん。ここはお宝だけじゃなく、道中でエンカウントする敵も君にとっての力となる」


 魔神は早速全体魔法よろしく、影を出現させ、周囲一帯を奪取する。


 着ぐるみたちは必死にもがくも、すぐに影に絡め取られ、沼の底に沈めらっえる。


「すごい、いつの間に腕を上げたんですか?」


「まだまだこんなもんじゃねえ……」


 ややハイになってきたのか、魔神の息が荒れる。


 この様子じゃ、しばらくはそっとしておいた方が良さそうだ。


 私はコソ泥のの方を向く。


「あなたがここに入らなかった理由はアレですか?」


「そういえばまだ名前を言っていなかったね。ボクのことはミミコとでも呼んでくれ」


「ハッ、あなたはそんなウサギみたいなタマじゃないでしょう」


「…………」


 ミミコは苦笑いを浮かべる。


「……話を戻します。ミミコさんがこの遺跡に入らなかったのは、アレが理由ですね?」


「そうさ。アレは一人じゃ手に余る。同行者がいないと、あっという間にこの遺跡の餌食さ」


「何なんですか、アレ」


 ひとりでに動き出す着ぐるみと人形たち。そしてこの遺跡に住み着いたネズミやらコウモリやら。


「《遺骸》さ。ま、早い話が《到達者》から零れ落ちたエネルギーの余りを喰らって存在している者たちってところだね」


「はーん。だから、《到達者》の麓は立ち入り禁止区画になってたんですね」


「そういうこと。こんな物を野放しにしていたら、色々面倒だからね」


 人に紛れて暮らす付喪神たち。都市伝説のネタには尽きなさそうだ。


「それで、アレらを魔神さんに奪わせる利点って何ですか?」


 ミミコは無言で《遺骸》を指さす。


「うっわ《遺骸》の《アウラ》、高すぎ……!?」


 ただの残骸にエネルギーが注がれただけとは思えない《アウラ》の高さ。こりゃ、良い稼ぎ場だわ。


「でもこんな割の良い場所、他の《プレイヤー》に今までよく知られてませんでしたね?」

「この遺跡が開いたのは、つい先日のことだからね。他の遺構は全部監査機関に抑えられてしまっているよ」


「ありゃ、そうなんですか。てっきりもっと昔から存在したものかと」


「君たちの戦いがあっただろ? その際に、うっかり浮上ボタンが押されてしまったのさ」


 私たちのしでかしが脳裏を過る。


 あのビームがきっと、太古の記憶を呼び覚ましてしまったに違いない。


「私たち、ミイラに呪われたりとかしませんかね?」


〝我の眠りを妨げしもの、誅伐を下さんウゴゴゴゴゴ〟みたいなかつての魔王が高山

ガスと共に復活したりとか。


「どうだろうね? そこはボクにもわからない」


 もし呪われるのだとしたら、魔神には今重い呪いをかけていることになる。


 あの《プレイヤー》に勝つためには、背に腹は代えられないということか。R.I.P.魔神。彼の背負った苦労は忘れない。


「《遺骸》が付喪神なら、取り込みすぎたら霊の集合体みたいなヤツに、精神を乗っ取られたりしませんかね?」


「そうなったら、彼は主人格を守る戦いをしなければならないね」


 影なる自分を超え、さらなる力を手にする。


 しかし覚醒はこの間したはずだ。


「さて、そろそろこのエリアの掃討も終わるかな」


 見れば魔神の周囲に群がる敵は、かなり減っていた。


 残すところあと一口、といったところだ。


「頑張れ魔神さん! このまま一気に水で流し込め」


 そして巨大化したコウモリを奪取したところでフィニッシュ。完食となったのであった。


「やりましたよ魔神さん、記録更新です」


 この店には新たな記録を打立てんと、フードファイタ……もとい、《プレイヤー》が押し寄せてくるはずだ。きっと店は繁盛することだろう。


「次行くぞ、次」


「おや、もうお腹が空いたんですか? 意外と食いしん坊なんですね」


「メシ食ってたわけじゃねーんだよ、こっちは」


 頭頂部を鷲づかみにされる。ヤバい、戦闘直後だからかやや気が立ってる。


「階段はおそらくこの先だよ」


 暗がりの方を指さすミミコ。松明でも持ってくれば良かった。



 この遺構は、さすがに迷宮ではないらしい。


 ランクで言えばCくらい? 腕の立つ冒険者であれば、踏破するのは難しくないだろう。


 幸いここは、入る度に構造が変わったり、出口に向かうと何らかの異常を肉体にきたすということは無いようだ。


 それだけでだいぶ良心的に感じるのだから、私の感覚も次第に麻痺してきている。


 階段を降りた先に待っていたのは、先ほどとは打って変わって、随分と魔物らしい魔物だった。


「あの、これって……」


 緑色の小さな体躯に、マジカルステッキ然とした棍棒を構えている。見るからにゴブリンだ。持ってる物が何か違うけど。


「ああ。これは行方不明になった子供たちだよ」


「え……!?」


「あるいは、親に《到達者》の生贄となるよう捧げられたけど、拒否られたか」


「《到達者》が拒否することってあるんですね?」


「彼は慈悲深いからね。子供を見殺しには出来ないのさ」


 とはいえこんな姿にまでして生き長らえさせることもあるまいに。


「一応訊きますけど、戻す方法は?」


ミミコは肩を竦め、無言で首を横に振る。ですよねー。


「唯一の救いは、こうしてボクたちに奪われること……かもしれない」


「色々と煮詰まった感じですね」


 でも実際、そうするしかないのだろう。


 魔神は影を巧みに操り、まずはゴブリンたちの棍棒を奪っていく。


「どうしてそんなことするんですか!?」


「? ただ無力化しただけだが?」


「いえ、てっきり無力化した上で〝抵抗は出来なくした。さあどうする?〟みたいなことを訊いてくるのかと」


 魔神が押し黙る。言ってはならないことを口にしてしまったか。


「それもアリなわけか」


「おや、ここに来て日和るのかい? 君らしくもない」


「私は構いませんよ。この子たちは、どうせ元には戻せませんし」


〝修復〟すればあるいは不可能では無いかもしれない。


 けれどそうして人間に戻したとてどうする? 誰がこの子たちを引き取るというのだ。


 施設に預けるにしても、少し闇が深すぎる。世界の秘密に触れる案件など、孤児院も手を出したがらないだろう。


「わーったよ。こいつらは奪取していく。それで満足か?」


「それでこそ君だ。まさに血も涙もない」


「鉄血の魔神、なんて二つ名に喜ばないで下さいよ?」


 あーもううるせえ、と魔神はゴブリンたちを一人残らず、なるべく速やかに奪取していく。これまでの事を見なかったことにするかのように。


 で、ゴブリンときたら定番のアイツもいる。


 ずしん、ずしん、と鈍重な足音を響かせながら、現れたそれは、おなじみのモンスター。


 そう、オークだ。


「ちょっと最近の子供は発育が良すぎやしませんか?」


 緑色の巨躯に、イノシシの頭部。鎧や兜などの防具に、ご丁寧に槍まで持っている。これは中々に骨が折れそうだ。


「アレは……ここ独自の生態系の産物、かな?」


「元人間とか、そういう曰く付きじゃないんですか?」


「あんな人間がいると思うかい?」


 まあ、いないですよね。たぶん。


「アレを奪取できれば、大量の経験値ゲットだ。頑張れ魔神くん」


 自らも戦えるというのに、後ろでエールを送ることだけに徹すると決めているのか、ミミコはとても生き生きと魔神を応援する。チアリーダーの服とか着せれば、魔神のやる気も上がるかもしれない。


 魔神は早速オークの前に立ちはだかる。


 が、槍の一撃が即座に魔神を刺し貫く。


 内臓を貫かれた魔神は、吐血しその場にくずおれる。


「魔神さん……!」


 あれ? 彼が負けたらもしかして私たちはオークに捕まり、苗床にされちゃう?


 ならば是が非でも魔神には勝って貰わねば。


「立て! 魔神!」


 そんな私のエールが届いたのか、魔神の身体が溶解する。


 そして再び影の中から彼の姿が現れた。


「残念だったな。二重の意味で」


 影がオークを拘束する。


 これまでの影であれば、きっとオークほどの膂力には引きちぎられていただろう。けれど今の魔神の影は、編み込まれた鎖のような強度を有している。


「ブヒイィィィ!」


 何だか興奮した豚のような悲鳴が上がる。わかりやすい悲鳴を上げるんだ。昔見た両親が豚に変えられるアニメのシーンを見ているようで辛い。


「丸焼きになりな!」


 なんて決め台詞を言いながら、影の中にオークを沈めていく魔神。


 オークは抵抗虚しく、もがくほど影に絡め取られていき、終いには魔神に奪取されてしまったのであった。


「そろそろ胃がもたれてきませんか?」


 ここまで来て、だいぶ多くの物を奪取したはずだ。


 魔神はそれでもキャパシティを超過していないようで、彼の成長を感じる。


「このまま、最下層まで行くのが得策だと思うがな」


「ボクもそう思う。ここまで来たら、一気に降りて行ってしまった方がいいね」


「うへぇ……」


 ほとんど歩いているだけだが、私はそろそろ疲労を感じ始めていた。


「入り口まで戻るワープ装置とかあるんですか?」


「……敵がいない分、多少は楽になるはずだよ」


 そっかー。ならパンくずでも撒きながらここまで来るんだった。


「あと一息だ、頑張ろう。それに……」


 ミミコが私に耳打ちする。


「成長した魔神くんの姿、見てみたくないかい?」


「超見たいです」


 ここに来てからの魔神は、成長著しい。このままいけば、以前よりも強い姿になるはずだ。


 果たして彼のクライマックスフォームはどうなってしまうのか?


 それを拝めるとあらば、このまま進むのも悪くない。


「最終形態の魔神さん、ちょっと期待してますよ?」


「は?」


 魔神はそう、真顔で冷たい視線を返したのであった。




 鬼が出るか蛇が出るか。ゴブリンにオーク、その他亡霊やコウモリと来て、その後待ち受けている者と言ったら、数えるほどしかいない。


 アレに会えるのか、と胸躍らせつつ最下層に進む。


 こんなファンタジーな光景を現代で目にすることが出来るなんて。これまでも様々な不思議現象を目にしてきたが、これはこれで心躍る。


 そうして最下層の扉を開ける。かくして私たちを待ち受けていた者とは!?


 ミノタウロスだった。

「あれ?」


 牛の頭。筋骨隆々なボディ。それに巨大な戦斧。その姿はまさしく……


 ミノタウロスだった。


「おかしいな?」


「どうかしたのかい?」


「いえ……ダンジョンの最下層って言うから、もっとこう幻想的なシメを期待してたんですが。なんかちょっと、拍子抜けしちゃったというか」


 メインディッシュが前菜の延長線上にあったというか。キャベツのサラダの後に、ロールキャベツが出てきたような、そんな気分だ。


「迷宮のトリを飾る敵としては、悪くないと思うけどなぁ」


「そうなんですけど……そうなんですけど……!」


 やっぱり目の肥えた現代っ子である私としては、どこか否めないガッカリ感があるというか。


 いや、別にミノタウロスが嫌いなわけじゃない。彼とて立派な怪物ではある。神話にルーツを持つところとかも神秘的だ。悲しい過去もある。


 しかしだ。しかし……


 それでもやっぱり、見てみたかったなぁ。


 ドラゴン。


 せめてグリフォン、ダメでもワイバーンくらいはどうにかならなかったのだろうか。


 それとも、このレベルのダンジョンではまだランクが足りないとでも言うのか。そうだろうな。


 とにかく、ちょっとガッカリしたというお話でした。まる。


「ごたくはもう済んだか?」


「ええ。次はもっとランクの高いダンジョンを攻略しましょう。憧れのあいつに会うために」


 魔神はミノタウロスに向け、無数の影を放つ。


 ダンジョンのボスとはいえど、先ほどと要領は同じ。魔神はミノタウロスを捕縛し、影の中に沈めていく。


「ちったあやるじゃねえか!」


 しかしそこはボスの矜持か。先ほどのオークとは異なり、簡単には捕縛されない。


 牛の怪物は影を引きちぎると、跳躍し背後に回避する。


 それからその場で地団駄を踏むと、地面が揺れ天井が崩れてくる。


「危ないッ!」


 横から突き飛ばされる。顔を上げるとミミコと私の間に、瓦礫が落ちてきていた。


「危うくぺっしゃんこにされるところだ。気を付けなよ」


「ミミコのこと、誤解してたかも」


 身を挺して誰かを助けるようなキャラだったか?


「でも、ありがと。おかげで変なフラグを立てずに済んだ」


 今ここで私が怪我をしていたら、ピンチの際にミノタウロスに隙を与えてしまうとか、脱出の際にダンジョンが崩れ始めたときとかに、何らかの代償を支払わねばならなくなっていたことだろう。


「そりゃどういたしまして。大丈夫。最初からちゃんと理解されてるとは思ってないよ」


 ミミコは口笛なんか吹かして、部屋の柱に肘からもたれかかる。


「じゃあ、続きを鑑賞しようじゃないか」


 ミノタウロスが戦斧を振り下ろす。


 衝撃波が起こり、ぐらぐらと地面が揺らされる。


 しかし魔神、そこは対策済み。


 彼は影を天井の突起に引っかけると、そのまま吊り下がり、前後に揺れる。


 そして加速したところで影を纏い変身。そのまま影から手を離し、空中で複数回回転すると、勢いの乗った重い蹴りをミノタタウロスに放つ。


 怪物は戦斧により魔神の蹴りを防ごうとする。


 が、魔神の蹴りは戦斧を破壊する。


 そうして、勢いを保ったまま魔神はミノタウロスの頭部に強烈な一撃をお見舞いする。


 脳震盪を起こしたのか、怪物は足下をグラつかせると、地面に膝をついた。


「お、いいぞ。そのまま行けるか?」


 魔神はその機を逃さない。


 彼はすかさず足下に影を展開すると、ミノタウロスを奪取しにかかる。


 気絶した怪物は、そのまま影に呑まれていく……かに思えた。


 ミノタウロスの身体から、紫色の煙が吹き出した。


「ありゃ、あんなもの仕込んでたなんて。意外と狡猾だね」


「あれは一体?」


「見ての通り毒さ。魔神くんが取り込んだらどうなっちゃうんだろうねぇ?」


 けれど魔神は構わず奪取を続ける。


 ガスの色が濃くなっている。カナリアでもいれば濃度が分かるかもしれないが、残念ながらここには生息していない。


 魔神自身は影によって守られているため無事なようだが、果たして奪取したときどうなるのかはわからない。


 毒に冒されるのか、それとも毒属性が付与されるのか。


 どちらにせよ、今はこのまま行く末を見守るしか無さそうだ。


「ふーッ! ふーッ!」


 魔神の息づかいが荒くなる。


 けれど毒食らわば皿まで。きっと彼はこのまま全部奪取する気でいる。


 そうして、魔神は嘔吐感を堪えながら、ミノタウロスを奪取したのだった。


 だが問題はここからだ。


 毒を取り込んだ魔神が、自家中毒を起こさずに耐えられるのか。


「ぐ、ぐおおぉぉおぉおぉぉお!」


 彼は苦しみに悶え、床の上をのたうち回る。身体を真っ二つにされても生きていた魔神が、これほどまで苦しむとは、よほど強い毒なのだろう。


 私は魔神に駆け寄り、〝修復〟する。


「苦しみを長引かせるだけだったらごめんなさい!」


 彼の表情が歪む。肉体が〝修復〟されても、毒がそのままな分、より強い苦しみを与えるだけだったのだろうか。


「ツツキ、彼を〝修復〟し続けるんだ」


 ミミコが言う。このまま耐えれば、毒の耐性がつくとでも言うのだろうか?


 それとも、ここに来て急に裏切るつもりだろうか?


 ありえる。ミミコのことだから。魔神を苦しませて殺し、その後、私を奪取し力を奪う。


 しかしそうなると、あの《プレイヤー》はどうする? 魔神でも歯が立たなかったアレを、ミミコが倒せるとでもいうのか?


 ミミコの力は未知数だ。だがここまで生き残ってきたということは、それなりの力を身につけてもいるはずだった。


 そうなると、ここで私たちを始末するメリットはある。


 だから私は、彼女を信じることにした。


「が、があぁあぁぁぁああぁあ!」


〝修復〟を続ける。心なしか、魔神の苦悶の呻きが弱くなっている気がする。


「そうだ。そのまま続けるんだ」


 言われた通り、私はなおも〝修復〟を続ける。


「が、あ、あぁぁ……」


 すると魔神が呻くのをやめた。遂に事切れたらしい。私は手を合わせ、彼に弔意を示す。


「残念ですが……」


「君が最初に諦めてどうするんだい?」


 魔神は安らかな寝息を立てていた。ということは、毒を克服したということか。


 これから彼が喋る度毒を吐くのかと思うとゾッとする。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、何を吐いても毒になってしまう。


「このまま、起きるのを待ちます?」


「そうだね。それがいい」


 会話が途切れる。友達の友達と二人きりにされたような、微妙な距離感。


「ところで、どうしてボクを信じてくれたんだい?」


「えっ……な、何のことですか?」


「とぼけないでくれよ。これでも嬉しかったんだから」


 どうやらミミコには全てお見通しらしい、


「あなたが、自分に嘘をついてるからです」


 彼女は貼り付けたような笑顔を浮かべる。


「……それが君がボクを信じる理由と、どんな関係あるんだい?」


「あなたは自らついた嘘は、突き通さなければならないと思っている。そうでしょう?」


「それでボクが自分自身を騙すためについた嘘を、吐き通すと君は考えたわけだ」


「ええ。そうです」


「じゃあボクが一体どんな嘘を自分自身に吐いていたって言うんだい?」


「〝魔神壊の味方につく方が得策である〟というあたりでしょうか?」


 ミミコは無言で微笑だけをこちらに向けてくる。


「本当ならあちら側に付いた方が、より確実に勝利できるし、戦いも早く終わらせられるとわかってる。けれどあなたは、頭の中に思い浮かんだその案を蹴った」


「そうすることで、ボクに一体どんなメリットがある?」


「それはわかりません。あなただけにしか。けれどあなたは合理性ではなく、感情で私たちの協力をすることを選んだ。違いますか?」


「ならどうしてそのために自分自身を騙し、偽る必要がある? 素直に感情にしたがっただけと言えば良いじゃないか」


「恥ずかしいからですよ」


 私はキッパリとそう断言する。


「それと、自分を偽りでもしないと、自分自身を納得させられないから」


 ポカンと口を開け、唖然とするミミコ。


「わかりますよ。感情だけで行動するのは恥ずかしいですよね。まるで何も考えてないみたいで」


「それを君に言われるとはね……」


「恥ずかしいから、自分を納得させるために、理性的な判断をしたかのような嘘を吐く。そうでもしないとやってられないってヤツです」


 大人が度数の強い酒を求めるのも、こうした理由からなのだろう。


「それで? 君に一体ボクの何が分かるってんだい?」


「わかりますよ。私もそうですから。〝修復〟した方が合理的に手っ取り早く終わらせられる局面もいくつかありました」


「けれど君は感情には従わなかったんだね?」


「そのことを、後悔してもいますから」


 たとえそれが間違いなのだとしても、選ばなかったことを後悔することはいくつもあった。


 そんな後悔をもうしたくないから、私は自分を偽って、選んだ方の選択肢が合理的であったと自分に言い聞かせていたんだ。


「ミミコさんもそうでしょう? だから嘘を吐き通そうとする」


「君にはやられたよ」


 降参、と彼女は手を上げる。


「君の言うとおりさ。ボクは君たちに協力したかった。けれど、頭では分かってたんだ。あちらに協力した方が得だってね」


「……なんか、ごめんなさい」


「君が謝ることじゃないよ。ボクが自分で選んだことだからね」


 ミミコは肩を竦める。


「まったく、恥ずかしい限りだよ。こんな合理性のカケラも無い選択をするなんてね」


「負ける確率の高い方に賭けるなんて、大した酔狂です」


「でも、君たちに賭ければ見れると思ったのさ」


「見れるって、何を?」


「これまでに見たことのなかったものをね」


 彼女は私の肩を叩く。


「勝ってほしいとは言わない。ただ、これまでとは違う結末を見せてほしい。ボクが願うのはそれだけだよ」


 ミミコは魔神の腕を担ぐ。


「さ、帰るとしようか。決戦の準備は整っただろう?」



 ◇



 結論から話させて貰おう。


 魔神は、敗北した。


 それはもう完膚なきまでに。


 けれど一応擁護しておくと、別に魔神が弱かったわけじゃない。相手が手のつけられないくらい強くなっていったのだ。


 魔神の戦いぶりは、鬼神のごときだった。


 ダンジョンで力をつけた彼が見せたのは、最終フォーム。おそらくこれ以上の進化はしないであろうから、そう呼ばせて貰う。


 ミノタウロスと毒の力を経て、もう一段階上の覚醒を成し遂げた魔神は、随分と厳つい容貌になっていた。


 なんというか、鬼?


 擬音で表せば、ゴツゴツとかギザギザ。それに加えてトゲトゲとズバズバが入ったような、要するに痛そうな形だ。


 そんな姿になった魔神は、果敢に朧冥夜へと挑んだ。


 最初のうちは魔神が優勢。パワー・防御力・俊敏さ・その他諸々、そして何より速さが足りていた魔神は、音を置き去りにする速さで敵を圧倒した。


 対して敵の方は中にいるピー子の反乱を抑制することに成功したのか、迷いがなくなっていた。


 躊躇無くビームを乱射する朧。それにプラスして、今回は何かビットとか刃のようなものが飛び交っていた。


 けれど魔神はそれら全てを回避して見せた。何なら敵に攻撃をお返ししてやるくらいの余裕も見せつけながら。


 そんな風に、彼が縦横無尽に飛び回るものだから、私はターゲットがこちらに向かないかだけ不安だった。


 しかし予想に反して敵は私の方にターゲットを切り替えたりはしなかった。


 強くなった魔神を恐れたのか、それとももはや私のことなど脅威でもなくなったか。


 いずれにせよ、何故かこちらを狙ってこないのは僥倖だった。だから私はこれなら勝てると、完全に油断しきっていたのだった。


 それが不吉の予兆であったとも知れず。


 1ゲージ分くらい削りきったのか、敵は絶叫を上げながら空中で静止した。


 魔神もこの時は勝利を確信したのだろう。少し慎重に戦局の流れを見ているようだった。


 だが、このランク帯の戦いでは一手が命取りとなる。


 たったの一手。軽く隙を与えただけで、逆転されることはままある。


 だから魔神は、一気に勝負を決めてしまえば良かったのだ。


 敵がターゲットを切り替えなかったのは、その必要が無いから。


 それは、別に私が軽んじられていたということではない。


 要は、どうせ全て殲滅してしまうのだから、ちまちまと標的を切り替えるような真似をする必要が無い、ということ。それだけだった。


 天使形態の朧に生えている巨大な顔が光る。あからさまにヤバい気配。魔神は咄嗟に私の前に躍り出た。


「魔神さん!」


 彼は私を守るため盾になる。


 しかし、それは同時に攻撃の構えでもあった。


 魔神は敵のビームを正面から受けると、なんとそのまま前へと突き進んだのだった。


 最終フォームの防御力+前回の戦いの応用、といったところだろうか。彼はビームを奪取しながら敵に向かっていったのだった。


 結果。魔神の拳が《プレイヤー》に炸裂。


 呻きを上げながら、灰となり消えていくラスボス。


 全ては、これで終わったかに見えた。


 けれど当然、そんなもんで終わりじゃない。


 背後から、まだ余力を残していた敵のビームが放たれる。


 ビームに心臓を貫かれる魔神。血を吐いて、その場に倒れ伏す。


 敵の本体は消え、相打ちでこの勝負は終わりであるかのように思えた。


 だが、直後。


 これまで骸のようだった《到達者》が、突如として起動したのだった。


「魔神! 起きろ魔神!」


 私は必死で彼を〝修復〟する。


 なのに、どういうわけか〝修復〟された傍から、魔神の身体が崩れ落ちていく。


「どういうこと……?」


 そうして、魔神の〝修復〟は間に合わず、彼は事切れてしまったのだった。



「どうやら君は騙されていたみたいだね」


 遅れてやってきたミミコがそう告げる。


「ずっと騙されっぱなしですよ、こっちは」


 魔神の遺灰が手からこぼれ落ちる。風に飛ばされてしまえば、本当に彼は消えてしまう。


「朧冥夜を倒しに行くんですか?」


「そうだね。もう手遅れかもしれないけど。それも悪くない」


「あなた一人で、歯が立つとは思えません」


 私は鼻で嗤う。


「そうかもね。でも、それはボクが一人だったらという話さ」


「私をスカウトでもしに来たんですか?」


 ミミコは首を横に振る。


「ふざけてるんですか?」


「よく見てごらんよ」


 そう言うと、ミミコは魔神の遺体があった場所を指さした。


「え?ここに一体何が―――」


 直後、彼女に頬をひっぱたかれた。


「!? 何すんだてめェェェーッ!」


「これで見えるようになっただろ?」


 見ると、そこには息も絶え絶えの魔神。


「あれ? 魔神さん、さっき死んだはずじゃ」


「だから君は騙されていたんだよ」


「え? 魔神さんに?」


 無様な姿は晒すまい、と偽りの自分を私に見せていたのか? だとしたらとんでもないかっこ付けだ。


「そっちじゃないよ。あの《プレイヤー》にさ」


「私たちは、幻術と戦わさせられていたってことですか?」


「いや、アレは幻なんかじゃない。それは君も分かるだろう?」


 確かに、あの戦いを全て幻だったと片付けるには、些か無理がある。だって、周囲の建物とか全部崩れちゃってるし。


「あの女の特性は【詐術】。偽りの価値を錯覚させる力さ」


「そういうのは、もっともったいつけて言って下さいよ!」


 それとどうして今まで教えてくれなかったんだ。


「早い話が、思い込みを強化する力さ。君たちが〝価値がない〟と思えば宝石が石ころにに、〝価値がある〟と思えば石ころを宝石にも変えられる」


「それによって、価値を思い込まされていたと?」


「そういうこと。でも、最後は彼女にとっても誤算だったようだけどね。信念が暗示を凌駕するなんてこと、あまりないからね」


 あのビームのことだろう。魔神は、彼女の能力のからくりに気付いていたのかもしれない。


「それで、どうして《到達者》が起動してるんですか?」


「それはもちろん、彼女が勝者となったからだよ」


「でもまだ魔神さんもミミコさんも生きてますよね?」


「魔神くんから聞いてなかったかい? 別に勝者になるには《プレイヤー》全員を倒す必要は無い。必要な分のリソースを集めれば十分だって。《プレイヤー》を奪取するのは、その方が効率が良いからだよ」


 確かに、そんな話をしていた気がする。


「じゃあ、このままあの人が《到達者》になっちゃうってことですか?」


「そうさ。もう既になりかけているけどね」


「そうなったら……どうなるんですか?」


「さあね。ボクの知る由も無い」


 彼女が次の《到達者》に成った世界は、きっとロクなもんじゃないとは思う。


 だけどそれは、果たしてあの《プレイヤー》にだけ言えることだろうか?


 魔神が仮に《到達者》になったとしても、少しでもマシな世界が来るなどとは言い切れるのだろうか?


 私は地面に転がる魔神を見る。


 とりあえず傷は塞いだ。死ぬことはないだろう。もっと〝修復〟すれば、また動けるようにもなるはずだ。


 だけど……私は思い止まる。


 このまま魔神を復活させれば、全てが丸く収まるのだろうか?


 朧は、まだ《到達者》にはなっていない。残された時間は僅かでこそあるが、まだ間に合うかもしれない。


 あるいは、彼女の同化を不完全なままに出来るかもしれない。


 けれど、本当にそれでいいのだろうか?


「ミミコさんは、まだ見たことのないものが見たいんでしたよね?」


「そうだね。ボクはそれを君たちに協力する理由としていた」


「それって、こういうことだったんですか?」


 これは一人の英雄が活躍して、戦いを終わらせる物語ではない。


 そんな風に、誰か一人に世界を背負わせるようなことをしちゃいけないんだ。


「さてね。わからない。何せ、見たことがないからね」


「わかりました。じゃあ、これから見せてあげます」


 私は魔神を〝修復〟しない。


 そして、《到達者》の方へと走り出した。

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