「雪」「また今度」「書架」

 書架の影に隠れるようにそっと身を縮めた。

 この本棚の向こう側に、今、話しかけたい人がいるのだ。

 こちらは人文学の棚。あちらはきっと哲学の棚。同じ文学部なのかな、と本の隙間から微かに聞こえる息遣いと気配に胸を弾かれながら、本を選んでいるふりをし続ける。絶対に本が好きな人や本当に本が必要な人から見たら、不埒なやつかもしれない。ここで誰にも見つかりませんように、と子供の時のかくれんぼの如くドキドキと脈打つ心臓の音を自分で聞き続けている。ああ、収まれ鼓動!

するする、ことん、と本が抜かれた音がする。少しだけ左側に寄った。同じ棚の、一段だけズラした場所にある本を取る。するする……と。静かにしすぎたかもしれない、変に思われてないかな。タイトルを見る。『雪と共に生きる人々の生活』と書いてある背表紙。発行年数は三十年ほど前。生まれてないなぁ……と思いながらぺら、と捲る。案外面白そうだ。

 「ねぇ、それ面白い?」

 「は…………あ、……え?」

 隣を見た。誰もいない。誰に話しかけられたのかわからないまま、きょときょとと首を回すだけの人形になった私を見透かされてクスクスと笑われる。本棚の向こうから。

 「君、この前研究棟で資料ぶちまけてた子だろ?」

 「うっ…………!!お、覚えて……」

 「うん。資料の内容が興味深かったから」

 「……あ、あの時は…………その……ご迷惑おかけしました……」

 思いがけずに会話をすることが出来たけれど、まさか覚えられていたなんて。あんな恥ずかしいことが研究内容に興味を持たれるきっかけだなんて、恥ずかしすぎる。手元のページが汗で柔らかくなってしまう。入学してからずっと気になってた人だから、話せるのは嬉しいし助かるんだけど……。

 「でも、君は俺の方に興味があるみたいだね?」

 「ぜ、全部バレてる……?」

 「これでも心理学がメイン専攻でね。それで、なんの御用かな?」

 顔が見えないけれど、からかわれているのは声色ですぐにわかる。静かな図書館の端で透き通ったバリトンの音が私の鼓膜だけを響かせているこの幸せ。まだ続いて欲しい。行け、私!

 「あ…………あの、ずっと気になってたんです。その……」

 今度は、彼が抜いた本と真反対の場所にあるものを引き出した。『人はなぜ約束をするのか』というタイトルが、私の胸に飛び込んでくる。

 「そのバッグについてるマスコット……『まねきねこ〜ズ』のライブ限定グッズですか……!?」

 しん、と積もった雪に沈んでいくような沈黙が流れた後。本棚の隙間から、目が合った。

 「……この後講義だからさ。また今度、語ろうよ。明日とかどう?」

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