第2話 誤差の奥の声

AI秩序が支配するオペ室は、心音よりも静かだった。

わずかに機械が吐く息と、演算モニターがはじく数字の音だけが、

この場所に命の匂いを残している。


天城 燈(あまぎ ともる)の scalp el は、

無数の数値と線で縛られている。


【AI秩序】:「推奨切除ラインを 0.00003 ミリ補正してください。」


少年の肺の奥、小さな腫瘍は医療AIにとって誤差以下の存在だ。

取り残せば再発率が上がる。

切りすぎれば、未来を奪う。


完璧な scalpel だけが許される世界。

――燈は違った。


彼の心の奥には、もう一つの scalpel が息づいている。


ナノダイブ。

患者の奥に、声のように漂う祈りを聞く。


瞼の奥、光のように視界が切り替わる。


そこは血管街の奥、

太い血管から枝分かれした微細な毛細血管が

迷路のように絡んでいる。


「ドクター燈! こっちっす!」


泣き虫赤血球が、息を切らせて手を振る。

その隣で、小さな光が揺れていた。

胸の奥でひそやかに震えている、祈り細胞だ。


【祈り細胞】:「……どうか、……ここだけは……残してください……。」


燈の scalpel を握る手が微かに震える。


現実では、助手が AI の指示通りに次のメスを差し出す。


【AI秩序】:「誤差の修正が未実行です。切除を強行してください。」


【燈】:「黙れ。」


心の声ではなく、はっきりと声にした。

助手が目を見張ったが、燈は構わない。


AI は誤差と言う。

だが、この声は燈にとっては誤差ではない。


生きようとする命の奥――

息を潜めている小さな光。


「どこだ。」


【赤血球】:「この奥に、血栓が詰まってるっす!

祈り細胞が教えてくれたっす!」


血管街の奥、誰も気づかない微細な腫瘍の根が

血管に絡みついている。


AI のシミュレーションには現れない。

人間の目にも映らない。


だが、祈り細胞の声だけが教えてくれる。


燈は血管街の奥に進む。

赤血球と祈り細胞の震えが scalp el を伝って現実に届く。


(……そうだ、俺の scalpel は誤差を切り捨てない。)


【祈り細胞】:「ここを切られたら……命が戻れなくなる……。」


瞼の裏で、少年の微かな息遣いが聞こえる。


手術灯の下で燈の手が止まる。


「……残す。」


【AI秩序】:「再発リスク増大。切除不能な誤差検出。修正を――」


「誤差の奥に――命がある。」


助手が scalp el を持つ手を見つめている。


血管をなぞる刃が、AI の演算ラインからわずかに外れる。


機械の警告音が無情に鳴り響く。


【AI秩序】:「演算違反! 過剰温存!」


だが、少年の心拍が静かに安定した。


祈り細胞が、血管街の奥で微かに笑った。


【祈り細胞】:「ありがとう……。」


【赤血球】:「ドクター燈……!」


泣き虫赤血球の帽子が震える。


【燈】(心の声):(誤差の奥に声がある。

誰にも聞こえない声が――命を繋ぐんだ。)


AI 秩序の警告音は止まない。

演算結果は“失敗”と告げる。


だが燈の scalpel は、

誤差の奥の光を抱いて、次の切開に進んだ。


手術灯の白い光の下、

少年の胸が小さく上下する。


それはまだ弱くて、誰も気づかないかもしれない。


けれど、その小さな上下が――


彼がこの scalpel で渡した命だった。

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