命を渡す医刀

まさか からだ

第1話 どうか、生きてほしい

「どうか、生きてほしい。」


その声を聞いたとき、天城 燈(あまぎ ともる)の scalpel はわずかに震えた。

オペ室の白い光が、患者の小さな胸を照らしている。

幼い心臓は規則正しく打っていたが、その奥には誰にも見えない叫びがあった。


彼の耳に届くのは、モニターが弾く冷たい数字だけではない。

AI秩序が吐き出す演算結果でもない。


――命の奥に眠る、小さな祈りの声。


【AI秩序】:「推奨切除ラインを確定。誤差ゼロを維持してください。」


助手が scalpel を渡すとき、燈はそっと目を閉じた。


(……俺は完璧な医刀じゃない。)


それでいい。

完璧でなくていい。

誤差の向こうにしか届かない声がある。


静かに scalpel が皮膚を割く。

同時に、彼の意識は血管街へと沈んでいく。




「ドクター燈! 来てくれたっすね!」


赤い帽子をかぶった泣き虫赤血球が、血の流れの中で手を振った。


【赤血球】:「この先に血栓があるっす! みんな怖がって近づけないっす!」


燈は小さく頷いた。

ナノダイブが彼を患者の体内に繋ぐ。


(聞かせてくれ――お前たちの声を。)


現実の scalpel は、AIの演算からわずかに外れたラインをなぞっていく。


【AI秩序】:「誤差検知。修正を――」


「黙れ。」


唇から漏れた言葉に、助手が一瞬息を呑んだ。


血管街の奥に、微かな光が揺れる。


祈り細胞だ。


【祈り細胞】:「……まだ……生きたいです……」


その言葉を、AIはノイズと呼ぶ。

だが燈には祈りだ。


scalpel が血管を外し、声をなぞる。

祈りを聞く scalpel――それが、彼が背負うもう一つの刃。


「俺は命を治すんじゃない。」


僅かに scalpel が震えた。


「命を――渡すんだ。」


心電図の波が、一瞬だけ穏やかに整った。


誰も知らない、誤差の奥の小さな祈りが

確かに彼の手を通して、命を次へ繋いでいた。

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