第5話《ミナのかくれんぼ》

「私ね、ユウトくん。たぶん……誰かに隠されてるの」


 ミナは、ぽつりと呟いた。


 理科準備室の窓から差し込む朝焼けの光は、彼女の横顔をまるで絵画のように照らしていた。

 けれど、その瞳の奥は、ずっと遠くを見つめている。


「……どういう意味だ?」


 ユウトの問いに、ミナはゆっくりと目を伏せる。


「私ね。自分の過去が、ほとんど思い出せないの。気がついたら、この旧校舎にいたの」


「家とか、家族とか、学校とか……?」


「ぜんぶ、思い出せない。夢を見てるみたいに、ふわふわしてるの。だけどね、時々……心の奥が痛くなるの」


 ミナは胸元をぎゅっと握った。


「きっと、私……誰かに“隠された”んだよ」


 ユウトは何も言えなかった。


 これまでの“かくれんぼ”の意味が、少しずつ変わって見えてくる。


 見つけられなかった誰か。忘れられた記憶。

 もしかするとミナ自身も、この“遊び”の一部なのではないか――


「ユウトくんは、怖くないの?」


「何が?」


「私が、ここにしかいない存在かもしれないって。学校のどこを探しても、私の名前がないって、思わない?」


「……思ったよ。でも、それがどうした」


 ユウトは答える。


「いまここに、お前がいる。それだけで、ちゃんと現実だろ」


 その言葉に、ミナの目が揺れた。


「ユウトくん……変な人だね」


「言われ慣れてる」


 二人はふっと笑い合った。


 


 * * * * *


 


 その日も、夕暮れの時間にかくれんぼは始まった。


「今日は、私が隠れる番」


 ミナはそう言い残して、教室の奥へと消えていった。


「五つ数えたら、探しに行ってね」


「わかった」


 ユウトは背を向けて、目を閉じる。


 一つ、二つ――


 数を数えながら、なぜか胸がざわついた。


 “今回は、簡単に見つからない気がする”


 


 * * * * *


 


 旧校舎を探して回る。教室、準備室、倉庫、階段の踊り場――

 いつものミナなら、すぐ見つかるような場所にいるはずなのに、今日はどこにもいない。


 「……おーい、ミナ?」


 何度呼びかけても、返事はない。


 不安が、次第に大きくなっていく。


 やがて、ふと耳元に風が吹いた。


 ――“見つけてほしい”


 それは、声ではなかった。けれど確かにミナの“想い”だった。


 どこだ?


 ユウトは廊下を走る。

 すべての部屋を見たはずなのに、まだ見つからない。


 もう日が沈みかけている。


 ――夜になる。


 そうなったら、また“あれ”が来る。


「……ミナ!」


 叫びながら、ユウトはある一室に足を踏み入れた。


 音楽室――鍵がかかっていたはずのその扉が、少しだけ開いていた。


 中は薄暗く、夕陽の残光がピアノの蓋をぼんやり照らしている。


 その影の向こうに、小さな人影が見えた。


 ミナだった。


 ただ、彼女はぐったりと座り込んでいた。


「おい、ミナ!」


 駆け寄ると、ミナはかすかに目を開けた。


「……ユウトくん……ごめんね」


「何がだよ!」


「今日は、……なんだか……消えそうだった……」


 ミナの声は、かすれていた。


「いつもより、“向こう側”に引っ張られてたの。……でも、ユウトくんの声が……届いた」


 ユウトは、何も考えずにミナの手を握った。


 冷たい。だが、確かにそこにあった。


「大丈夫。見つけたからな」


 ミナは、ゆっくりと微笑んだ。


「ありがとう。……わたし、ユウトくんのこと、忘れないよ」


「やめろ。そんな言い方すんな」


 まるで、さよならのように聞こえるから。


 


 * * * * *


 


 その夜、ユウトは眠りにつく前、ある夢を見た。


 古いアルバム。


 ページをめくると、そこに一枚だけ――見たことのない少女の写真が挟まれていた。


 黒髪、ワンピース、笑顔。


 けれど、名前の欄だけが、白紙だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【かくれんぼ】は終わらない ジンと眼鏡 @konoko_ssi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ