第4話《かくれんぼの夜》

 ユウトはその日、眠れなかった。


 見えない“誰か”の気配が、ベッドのすぐそばにいるような気がして。

 ふと耳をすませば、聞こえる気がした。


 「……見つけて」


 そんな、小さな、小さな声が。


 


 * * * * *


 


 次の日、学校の空気は変わらず平和だった。


 誰も“旧校舎のこと”なんて気にしていない。あの場所に何があるかも、誰が出入りしているかも。


 放課後になると、ユウトはいつものようにミナと会った。


「昨日の子……どうなったと思う?」


「成仏……とか?」


「ううん。消えた、だけ。そういう子たちは、“もう一度名前を呼ばれない限り”戻ってこないの」


 ミナの言葉には、少しだけ憂いが混じっていた。


「でも、今日もかくれんぼをするの?」


「うん。今日はちょっと特別な日だから」


「特別?」


「“赤い日”なんだよ」


 そう言ってミナは空を指差した。窓の外、夕陽は少し濁ったような赤だった。


「赤い日は、“夜のかくれんぼ”になるの」


 ユウトは眉をひそめた。


「夜?」


「うん。この旧校舎に、“日が沈んだあと”に入ると、少しだけ……世界が違って見える」


 そのとき、放送で下校時刻が告げられた。


 校内は少しずつ静けさを増し、照明が落とされていく。


「ねぇ、ユウトくん。今日も、隠れてくれる?」


「夜の旧校舎に、俺ひとりで?」


「大丈夫。私も、あとから行く。だから先に“隠れて”て」


 ミナはそう言って、ユウトの胸ポケットに何かを入れた。


 それは、小さな銀色のベルだった。


「それ、怖くなったら鳴らして。私がすぐ見つけるから」


「……まるで、“お守り”みたいだな」


「そうだよ。かくれんぼには、おまじないが必要なの」


 


 * * * * *


 


 夜の旧校舎。


 人気は完全に途絶え、外の街灯の明かりすら届かない。

 ユウトは懐中電灯を持って三階の廊下を歩いた。


 ミナは、あとから来ると言っていた。だが、十分、二十分経っても現れない。


 “何かが、おかしい”


 そう思った瞬間だった。


 ――カツン。


 廊下の奥で、何かが床を叩いた音。


 ユウトは咄嗟に振り返る。


 しかし、そこには誰もいない。


 だが、確かに聞こえる。遠くから、足音。

 ゆっくりと、でも確実に近づいてくる音。


 「……ミナ?」


 声をかけるも、返事はない。


 足音だけが、こちらに近づいてくる。


 ――違う。ミナじゃない。


 もっと、重くて、乾いた音。まるで靴ではなく、素足で歩いているような――


 ゾクリと背筋が震える。


 逃げなければ。


 ユウトはとっさに近くの教室に駆け込み、机の下へもぐりこんだ。


 息を殺す。


 足音が、教室のすぐ前で止まった。


 ……沈黙。


 その“何か”は、教室に入ってこなかった。


 だが、そのとき。


 ――チリン。


 胸ポケットのベルが、勝手に鳴った。


 それは、ユウトの意思とは無関係だった。


 同時に、耳元で声がした。


「……みーつけた」


 背後から、誰かが首筋に息を吹きかけるような感覚。


 その瞬間、ユウトの意識は一瞬だけ途切れ――


 


 * * * * *


 


「ユウトくん!」


 気がつくと、ミナが目の前にいた。


 場所は――理科準備室。


「……今、何が……」


「“夜のかくれんぼ”だったんだよ」


 ミナは静かに言った。


「赤い日にはね、旧校舎に“人じゃない誰か”が混じるの。かくれんぼに参加してる“つもり”で、人を探してる“何か”」


「……今のは、あれはなんだったんだ」


「わからない。でも、あれに見つかったら、忘れられる。名前も、存在も、ぜんぶ」


「……俺、見つけられたのに、なんで消えなかった?」


 ミナは微笑んだ。


「お守り、ちゃんと鳴らしてくれたから。ベルの音は、まだ“誰かに思い出されてる証拠”なんだよ」


 


 ユウトは、ふと思った。


 このかくれんぼは、ただの遊びじゃない。

 きっとこれは、“存在”と“記憶”の綱引きだ。


 誰かに思い出されること。名前を呼ばれること。忘れられないこと。


 それが、この世界では一番の“救い”なのかもしれない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る