第3話《見えない誰か》

 その日の夢は、やけに鮮明だった。


 木造の廊下。ひとり歩く少年。背後に何かの気配。振り返ると、誰もいない。


 けれど、確かに“それ”はいた。


 気配でも音でもなく、“忘れたはずの何か”が、背後に張りついていた。


 


 * * * * *


 


 「……誰か、隠れてるみたい」


 次の日の放課後、旧校舎に現れたユウトを見て、ミナはそう言った。


 理科準備室の窓から、夕陽が差し込んでいる。埃が金色に揺れて、まるで時間そのものが止まっているような空間だった。


「どこに?」


「三階の……西側の教室。誰もいないはずなのに、机の影に、誰かの“形”があった」


 ユウトは疑いながらも、言葉を飲み込んだ。ミナの勘は、どこか異様に鋭い。


 「じゃあ、行ってみるか」


 二人で旧校舎の階段を上がる。廊下は静かだった。自分の足音だけが反響する。


 西側の教室。その扉は少し開いていた。


「……ここだ」


 ユウトがそっと扉を押し開けると、窓際の席に、確かに“それ”はいた。


 人のような形。けれど、透明な靄のように、光の中で溶けかけている。


 目を凝らしても、顔が見えない。


「……誰?」


 ユウトが声をかけると、微かに首が動いたように見えた。


 そして――教室中に“声”が響いた。


「……ボク……見つけて……」


 少年のような、泣きそうな声。


 ミナがそっとユウトの袖を引いた。


「この子……“見つけられなかった”んだ」


「かくれんぼ、か」


 ミナは頷く。


「ルールの、二番目。『見つけられなかったら、次の日も隠れる』って……そういうことなんだよ」


 つまりこれは、ただの遊びじゃない。


 “見つけてもらえなかった存在”が、この校舎に取り残され、形を失いながら、いまも隠れ続けている。


「それって……この子、誰なんだ?」


「わからない。でも、たぶん……“誰かにとって大切だった子”」


 透明な少年は、窓際の席で微動だにしない。


 ユウトは、ふと感じた。


 もしこのまま放っておけば、自分も――いつか“ああ”なるんじゃないか、と。


 だから。


「……見つけたぞ」


 はっきりと、言葉にする。


 すると、その“影”がゆっくりとこちらを向いた。

 薄く、あまりにも儚い輪郭のなかに、確かに“笑顔”が浮かんだ気がした。


 そして、光の中にすっと溶けていく。


「……ありがとう」


 最後に聞こえた声は、もう涙まじりではなかった。


 


 * * * * *


 


 「ユウトくん、すごいね」


 階段を降りながら、ミナが言った。


「初めてなのに、“ああいう子”に気づけるなんて」


「……あれが何なのか、説明してくれよ」


「私も、全部はわからない。でも……このかくれんぼの“舞台”になってる旧校舎には、そういう“残りもの”が住みついてるの」


「残りもの?」


「見つけてもらえなかった記憶。忘れ去られた想い。名前を呼ばれなかった子」


 ミナの声は、どこか寂しげだった。


 そして彼女自身も、もしかすると“そういう存在”なのかもしれない。

 名前も、過去も、断片的にしか覚えていない少女――


 でも、それでも、ユウトには彼女が現実の誰よりも“確かにそこにいる”存在に思えた。


「……ユウトくん」


「なんだ?」


「今日のかくれんぼ、引き分けね」


 ミナがくすっと笑う。


「ふたりとも、誰かを見つけた。そういう日は、引き分けなの」


 夕陽が差す廊下。ふたりの影が、長く伸びていた。


 


 ふと、ミナが立ち止まる。


 ユウトが振り返ると、彼女はぼんやりと階段下を見つめていた。


「……ねぇ、あそこに誰かいる気がしない?」


「どこ?」


「ほら。ほら――そこ」


 見えない“誰か”が、またひとり、隠れていた。

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