第2話 《忘却のルール》

翌日、ユウトは放課後の鐘が鳴るよりも早く、旧校舎へ足を向けていた。


 自分でも、なぜそこまで気になっているのかよくわからなかった。

 けれど、彼女の最後の言葉――「忘れられた約束」――が頭から離れなかった。


 理科準備室の扉は、昨日と同じように半開きだった。


「……いるか?」


「いるよ」


 声は、すぐに返ってきた。机の影から顔を出す少女。昨日と同じワンピースに、変わらない無表情。


「今日も、かくれんぼ?」


「うん。でも今日は……ルール、教えなきゃね」


 ユウトは黙って頷いた。彼女は指を一本立てる。


「かくれんぼには、三つのルールがあるの」


 静かに告げられる“ルール”は、どこか不気味な響きを持っていた。


「ひとつ。隠れるのは、旧校舎の中だけ」


「ふたつ。見つけられなかったら、次の日も隠れる」


「みっつ。最初に見つけられた人は……“忘れられる”」


「……忘れられる?」


 ユウトは眉をひそめた。


「誰に?」


「世界中の誰かに。時々、自分自身にも」


 彼女はまるで当たり前のように言った。


「このかくれんぼはね、そういうものなの。ずっと、前から」


 意味がわからなかった。


 でも、彼女の言葉には奇妙な説得力があった。まるで、目を背けられない“何か”が、この校舎のどこかに潜んでいるような感覚。


「……君は、それで誰かを忘れたのか?」


 尋ねると、彼女は少しだけ目を伏せた。


「私ね、探してるんだよ。誰かを」


「でも、名前も……」


「覚えてない。顔も、声も。でも――きっと、“ここ”で隠れてる」


 “ここ”という言葉に、ユウトは違和感を覚えた。


 この旧校舎は、確かに不思議な空気に包まれている。埃っぽい匂い、軋む床、窓から差し込む光さえ、現実から少しだけズレているような気がした。


「君の名前は?」


 昨日は答えなかった問いを、もう一度。


 彼女は一拍の沈黙の後、ぽつりと呟くように言った。


「……ミナ、って呼ばれてた気がする」


 ミナ。


 音の響きが、どこか懐かしかった。けれど、思い出せない。


「じゃあ、ミナ。今日の鬼は俺か?」


「ううん。今日は私。ユウトくんが隠れる番」


 彼女がにこっと笑った瞬間、空気が変わった。


「かーくれん、ぼっ!」


 軽やかに歌うように言ったその瞬間、どこかでチャイムのような音が鳴った。


 鼓動が早くなる。


 なぜか、これは“ただの遊び”ではない気がした。

 逃げなければ――そう思って、ユウトは走った。


 旧校舎の教室、廊下、階段。どこも人気はなく、けれど何かがこちらを見ている気配だけがある。


 1分。2分。3分――


 そして、10分が経とうとしたときだった。


「見ーつけた」


 振り向くと、ミナがそこにいた。


 だが、彼女の顔はなぜかぼやけて見えた。

 光のせいか、目元だけがやけに暗く――いや、違う。目が、ない?


「ユウトくん、初めてなのに、けっこう上手だったね」


 彼女が笑った瞬間、ぼやけていた輪郭が戻っていく。


 ただの、少女の顔だった。


 何かが――消えた?


「……なぁ、ミナ。俺たち、前に会ったことないか?」


 唐突に、そんな言葉がこぼれた。


 ミナは少し驚いたように目を瞬かせ、それから静かに首を振った。


「わからない。でも……ユウトくんといると、なんだか安心する」


 ユウトも、そう感じていた。


 その理由を、まだ誰も知らない。

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