第21話

わたしたちは、その、日の、深夜に、高円寺の、アジトを、放棄した。

まるで、夜逃げのように、最低限の、荷物だけを、持ち、わたしたちは、闇の中へと、消えた。

PCの、ハードディスクは、小夜子さんが、物理的に、破壊した。

わたしたちが、そこに、存在した、痕跡は、全て、消し去られた。


向かった先は、第二のアジト。

それは、涼さんが、裏社会の、ルートを、使って、見つけてきた、場所だった。

奥多摩の、山中にある、打ち捨てられた、ドライブインの、廃墟。

バブルの、時代に、建てられ、そして、忘れ去られた、昭和の、亡霊のような、建物。

電気も、水道も、通っていない。あるのは、ただ、深い、森の、静寂と、わたしたちの、絶望だけだった。


その、廃墟での、生活は、サバイバル、そのものだった。

わたしたちは、近くの、川で、水を、汲み、薪を、集めて、火を、起こした。

食料は、涼さんと、響子さんが、時折、人里に、降りて、調達してきた。

その、原始的な、生活の中で、わたしたちの、間に、あったはずの、亀裂は、一時的に、糊塗されているように、見えた。

生きる、という、ただ、それだけの、目的の、前では、思想も、感情も、意味を、持たなかったからだ。


しかし、それは、嵐の前の、静けさに、過ぎなかった。


沙月さんの、死は、組織の、力学を、根底から、変えてしまった。

その、変化は、まず、薊さんと、涼さんとの、関係に、現れた。


薊さんは、完全に、沈黙した。

彼女は、もう、難しい、理論を、語ることはなかった。

ただ、一日中、廃墟の、隅で、膝を、抱え、虚空を、見つめているだけだった。

その、姿は、まるで、魂を、抜かれた、人形のようだった。

沙月さんという、唯一の、鏡を、失った、彼女は、自らの、存在を、確認する、術を、失ってしまったのだ。


そんな、彼女に、寄り添ったのが、涼さんだった。

それは、奇妙な、光景だった。

あれほど、対立し、憎み合っていたはずの、二人が。

涼さんは、何も、言わずに、薊さんの、隣に、座り、ただ、一緒に、タバコを、吸うだけだった。

言葉は、ない。

しかし、その、沈黙の、中には、同じ、地獄を、見て、そして、大切な、ものを、失った者同士にしか、わからない、深い、共感が、流れているように、わたしには、思えた。

涼さんは、響子さんを、失いかけ、そして、薊さんは、沙月さんを、失った。

その、共通の、痛みが、二人を、結びつけているのかもしれない。


そして、その、新しい、関係性は、響子さんの、心にも、変化を、もたらした。

彼女は、もう、涼さんだけの、ものではなかった。

彼女は、薊さんの、その、深い、悲しみに、寄り添おうと、していた。

彼女は、薊さんが、残していった、本を、貪るように、読み始めた。

それは、沙月さんの、死を、無駄にしないための、彼女なりの、追悼の、儀式だったのかもしれない。


こうして、旧い、三人の、戦士たちは、新しい、奇妙な、家族のような、関係性を、築き始めていた。

それは、思想でも、力でもない、「痛み」によって、結びついた、連帯だった。


しかし、その、新しい、連帯は、この、組織の、新しい、権力者たちにとっては、好ましい、ものではなかった。


小夜子さんと、美咲さん。

彼女たちは、この、新しい、変化を、冷たい、目で、観察していた。


「……感傷の、共同体、ですか」

ある夜、わたしと、二人きりの、司令室(それは、廃墟の、厨房を、改造した、ものだった)で、小夜子さんは、吐き捨てるように、言った。

「……傷を、舐め合って、慰め合って、何が、生まれるというんですか。闘争は、まだ、終わっていないというのに」


「……でも、彼女たちは、傷ついているのよ」

わたしは、思わず、反論していた。


「傷? それは、彼女たちが、弱いからでしょう」小夜子さんは、冷ややかに、言った。「この、闘争で、生き残れるのは、強い者だけです。感傷などという、贅沢品を、持ち合わせている、余裕は、わたしたちには、ないはずです」


「……あなたには、人の、心がないのね」


「ありますよ」彼女は、微笑んだ。「でも、わたしの、心は、勝利のために、最適化されているだけです。晶さん、あなたも、そうなるべきです。あなたの、その、中途半端な、優しさが、いつか、あなたの、命取りになりますよ」


わたしは、何も、言い返せなかった。

彼女の、言う通りなのかもしれない。

わたしは、まだ、甘いのだ。

この、地獄の、ルールに、適応できていない。


その、時、部屋の、ドアが、開き、美咲さんが、入ってきた。

彼女の、顔は、いつも通り、無表情だった。


「……二人とも、来て」

彼女は、短く、言った。


わたしたちが、ついていくと、そこは、廃墟の、広い、ホールだった。

その、中央に、一台の、プロジェクターが、置かれ、壁に、映像が、映し出されていた。


そこに、映し出されていたのは、大河内さつきだった。

彼女は、記者会見を、開いていた。

その、顔は、憔悴しきっていたが、その、目は、まだ、死んではいなかった。


『……この度の、NPO法人に関する、一連の、報道は、事実無根であり、悪質な、デマであります』

彼女は、震える声で、言った。

『……わたしは、断じて、不正には、関与しておりません。これは、わたしを、失脚させようとする、政治的な、陰謀です!』


「……見てください」

美咲さんが、静かに、言った。

「……彼女は、まだ、闘う、つもりです。ウロボロスの、残党と、手を組み、反撃に、出てくるでしょう。わたしたちが、ここで、傷の、舐め合いを、している間に、敵は、次の、手を、打ってきているんです」


彼女は、プロジェクターを、消した。

そして、わたしたちを、見渡して、言った。


「……わたしたちも、動きます。これ以上、感傷に、浸っている、時間は、ありません」


彼女の、その、言葉は、絶対的な、命令だった。


「……次の、ターゲットは、彼女自身です」

美咲さんは、言った。

「……大河内さつきを、完全に、沈黙させる。社会的に、ではなく、物理的に」


物理的に。

それは、暗殺を、意味していた。


「……正気ですか?」

声を、あげたのは、薊さんだった。彼女は、いつの間にか、ホールに、来ていた。

「……わたしたちは、テロリストに、なるつもりはない。わたしたちの、目的は、破壊ではなかったはずよ!」


「目的のためには、手段は、選んでいられません」

美咲さんは、冷たく、答えた。

「……彼女を、生かしておけば、必ず、わたしたちの、脅威となる。リスクは、完全に、排除しなければならない。それが、この、世界の、ルールです」


「それは、ウロボロスの、ルールでしょう!」薊さんは、絶叫した。「わたしたちは、彼らとは、違うはずよ!」


「同じですよ」

美咲さんは、静かに、言った。

「……怪物と、闘うためには、こちらも、怪物に、なるしか、ないんです」


二人の、視線が、火花を、散らす。

破壊の、先の、創造を、信じる、薊さん。

勝利の、ために、全てを、破壊する、美咲さん。


そして、その、対立を、終わらせたのは、小夜子さんの、一言だった。


「……多数決で、決めましょうか」


彼女は、にこり、と笑った。

「……この、組織の、方針を。民主的に」


それは、最も、残酷な、提案だった。

この、組織の中で、もはや、薊さんの、その、「甘い」理想に、同調する者は、ほとんど、いないことを、彼女は、知っていたからだ。


涼さんも、響子さんも、難しい、顔を、して、黙っている。

彼女たちは、薊さんの、痛みに、寄り添っては、いた。

しかし、彼女たちもまた、闘争の、中で、生きる、戦士だ。

敵を、前にして、躊躇うことは、彼女たちの、本能が、許さないだろう。


そして、他の、メンバーたちは、完全に、新しい、権力構造に、組み込まれてしまっている。

彼女たちは、美咲さんと、小夜子さんの、言葉を、信じるだろう。


結果は、見るまでも、なかった。

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