第16話

宣戦布告。


その、あまりにも、壮大で、あまりにも、無謀な、言葉が、高円寺の、六畳一間の、カビ臭い、アジトの、空気を、支配していた。

わたしたちは、もはや、ただの、傷ついた、少女たちの、集まりではなかった。

わたしたちは、自らの、意思で、この、腐った、世界そのものに、戦いを、挑むことを、選んだ、革命組織へと、変貌を、遂げたのだ。


その、革命の、中心に、いるのは、斉藤美咲さんだった。

彼女は、もはや、か弱い、被害者の、仮面を、完全に、脱ぎ捨てていた。その、小さな、身体から、放たれる、オーラは、かつての、一条薊や、橘涼さえも、凌駕するほどの、絶対的な、指導者の、それだった。彼女は、長年の、地獄の中で、誰よりも、冷徹な、戦略眼と、鋼鉄の、意志を、身につけていたのだ。


わたしたちの、最初の、標的は、明確だった。

ウロボロス。

そして、その、組織と、癒着する、警察庁の、最高幹部。

響子さんが、その、命と、引き換えに、手に入れた、情報。それが、わたしたちの、唯一の、武器だった。


「……敵は、巨大すぎる」


作戦会議の、席で、最初に、口を開いたのは、薊さんだった。彼女の、顔には、以前の、虚無感は、消え、代わりに、知的な、緊張感が、みなぎっていた。新しい、強大な、敵の、出現が、皮肉にも、彼女に、新たな、闘う、理由を、与えたのだ。


「……警察庁の、幹部を、直接、叩いても、トカゲの、尻尾切りで、終わるだけ。その、背後にいる、ウロボロスの、本体には、届かない。むしろ、下手に、手を出せば、わたしたちは、一瞬で、潰されるわ」


「……じゃあ、どうすんだよ」

腕を、組んで、聞いていた、涼さんが、苛立たしげに、言った。彼女の、身体は、ウロボロスへの、直接的な、報復を、求めて、うずうずしているようだった。


「……彼らの、力を、利用するんです」


静かに、言ったのは、美咲さんだった。彼女は、ホワイトボードの、前に、立つと、そこに、複雑な、相関図を、描き始めた。


「……ウロボロスと、警察幹部。彼らの、繋がりは、麻薬取引。これは、彼らの、力の、源泉であると、同時に、最大のアキレス腱でもある。わたしたちは、ここを、突くんです」


彼女の、計画は、こうだった。

まず、わたしたちが、掴んだ、麻薬取引の、情報を、断片的に、しかし、決定的な、形で、裏社会の、別の、組織に、リークする。

日本の、裏社会は、一枚岩ではない。そこには、いくつもの、勢力が、互いに、牽制し合い、縄張り争いを、繰り広げている。ウロボロスと、警察が、主導する、巨大な、麻薬取引は、他の、組織にとっては、到底、許容できない、バランスを、崩す、行為のはずだ。


「……つまり、ヤクザ同士を、潰し合わせる、ってことか」

涼さんが、面白そうに、言った。


「それだけでは、ありません」美咲さんは、続けた。「裏社会が、ざわつけば、警察も、動かざるを得なくなる。特に、末端の、麻薬取締官たちは、自分たちの、頭上が、腐っていることなど、知らない。彼らは、正義感から、捜査を、始めるでしょう。そうなれば、ウロボロスと、警察幹部は、板挟みになる。内部からも、外部からも、圧力を、かけられ、身動きが、取れなくなるんです」


「……その、混乱の、中で、わたしたちは、漁夫の利を、得る、というわけね」

薊さんが、感心したように、言った。

「……面白い、作戦だわ。でも、どうやって、情報を、リークするの? わたしたちの、正体が、バレずに、最も、効果的な、形で」


「そこに、小夜子さんと、晶さんの、力が必要です」

美咲さんは、わたしと、小夜子さんを、見た。


その、瞬間から、わたしたち、情報分析班の、新しい、闘いが、始まった。


わたしと、小夜子さんは、再び、PCの、前に、座った。

わたしたちの、任務は、裏社会の、勢力図を、完全に、把握し、その中で、最も、ウロボロスと、敵対しており、かつ、最も、狡猾で、信用できない、組織を、選び出すこと。そして、彼らに、匿名で、情報を、リークするための、安全な、ルートを、確保することだった。


それは、まるで、蜘蛛の巣のように、入り組んだ、闇の世界を、手探りで、進んでいくような、作業だった。

わたしは、小夜子さんの、その、悪魔的な、情報収集能力と、ハッキング技術を、目の当たりにしながら、彼女の、指示通りに、情報を、整理し、分析していった。


「……この、組織がいいでしょう」

数日後、小夜子さんは、一つの、広域暴力団の、名前を、挙げた。

「……彼らは、最近、ウロボロスとの、シノギの、争いで、敗れ、大きな、恨みを、持っている。そして、トップは、非常に、猜疑心が、強く、野心家。この、情報を、与えれば、必ず、食いついてくるはずです」


わたしは、その、組織の、名前を、ノートに、書き留めた。

わたしの、ノートは、もはや、ただの、「告白ノート」ではなかった。

それは、この、国の、裏側で、うごめく、巨大な、悪の、系譜を、記した、黙示録へと、変わりつつあった。


情報の、リークは、成功した。

わたしたちは、海外の、サーバーを、いくつも、経由し、絶対に、足がつかない、方法で、彼らに、接触した。


そして、数日後。

新宿の、繁華街で、大規模な、暴力団同士の、抗争が、勃発した、と、ニュースが、報じた。

それは、わたしたちが、投げ込んだ、小さな、石が、引き起こした、巨大な、波紋の、始まりだった。


裏社会が、揺れ始めたのだ。



それと、並行して、もう一つの、作戦が、進行していた。

涼さんと、響子さん、そして、実践派の、チームによる、「物証確保」作戦だ。


響子さんが、目撃した、麻薬取引の、計画。

その、物的な、証拠を、掴むことができれば、それは、ウロボロスと、警察幹部を、社会的に、抹殺するための、最強の、武器となる。


響子さんの、記憶を、頼りに、わたしたちは、密会の、現場となった、六本木の、高級クラブを、特定した。

問題は、どうやって、そこに、侵入し、証拠を、手に入れるか、だ。


「……正面から、行くしか、ねえだろ」

作戦会議の、席で、涼さんは、言った。


「馬鹿なことを」薊さんが、即座に、否定した。「そこは、ウロボロスの、重要拠点の一つよ。警備も、厳重なはず。自殺行為だわ」


「じゃあ、どうすんだよ!」


二人の、意見が、再び、衝突する。

その、緊張を、解いたのは、意外にも、響子さんだった。


「……おれに、考えが、ある」


彼女は、あの日、部室で、泣きじゃくっていた、姿が、嘘のように、落ち着いていた。一度、死んだ、彼女は、何か、吹っ切れたように、その、目に、強い、光を、宿していた。


「……おれは、あの、クラブの、ボーイと、顔見知りなんだ」

彼女は、言った。

「……二丁目に、来る、客だった。少し、金の、ことで、困ってる、みたいだったから、相談に、乗ってやったことがある。あいつなら、協力してくれるかもしれねえ」


「……信用できるのか?」涼さんが、尋ねた。


「わからねえ」響子さんは、答えた。「でも、賭けてみるしか、ねえだろ」


その、作戦は、あまりにも、危険だった。

しかし、わたしたちには、他に、選択肢は、なかった。


数日後、響子さんは、一人で、その、ボーイと、接触した。

そして、わたしたちの、予想通り、彼は、金のために、協力を、約束した。


決行は、週末の、夜。

クラブが、最も、混雑する、時間帯。


涼さんと、響子さんは、客を、装い、クラブに、潜入した。

そして、ボーイの、手引きで、VIPルームの、監視カメラの、映像が、記録されている、サーバールームへと、向かった。


わたしと、小夜子さん、美咲さんは、アジトで、無線機に、耳を、傾けていた。

心臓が、張り裂けそうだった。


『……サーバールームに、着いた』

響子さんの、小さな、声。

『……今から、データを、コピーする。時間は、五分も、ない』


その、五分間が、永遠のように、長く、感じられた。


『……やばい!』

突然、涼さんの、緊迫した、声が、響いた。

『……見つかった! ウロボロスの、連中だ!』


激しい、物音。

怒号。

そして、銃声のような、乾いた、音。


『……涼さん! 響子さん!』

わたしは、思わず、叫んでいた。


無線は、沈黙した。


もう、駄目だ。

わたしたちは、また、失敗したのだ。


わたしが、絶望に、打ちひしがれていた、その時。


『……こちら、涼』

ノイズ混じりの、声が、聞こえた。

『……データは、手に入れた。だが、響子が……。響子が、撃たれた……!』


その、言葉に、わたしは、目の前が、真っ暗になった。



響子さんは、一命を、取り留めた。

弾は、肩を、掠めただけだった。


アジトに、戻ってきた、彼女の、顔は、蒼白だったが、その、腕には、確かに、一本の、ハードディスクが、抱えられていた。

彼女は、自らの、命を、賭けて、任務を、遂行したのだ。


薊さんが、呼んだ、裏社会の、医者が、すぐに、弾丸の、摘出手術を、行った。

幸い、傷は、深くなかった。


わたしは、響子さんの、手を、握りながら、泣いていた。

「……ごめんなさい……。わたしの、せいで……」

わたしが、もっと、慎重な、計画を、立てていれば、彼女が、こんな、危険な、目に、遭うことは、なかったかもしれない。


「……謝んなよ、晶」

響子さんは、弱々しく、笑った。

「……おれは、自分で、決めたんだ。それに、これで、おあいこだろ。おれも、あんたたちを、裏切ったんだからな」


その、言葉に、わたしは、さらに、涙が、溢れた。


わたしたちは、この、闘いの中で、少しずつ、変わりつつあった。

憎しみ合い、対立していた、わたしたちは、互いを、思いやり、許し合うことを、学び始めていた。


それは、小夜子さんが、最初に、言っていた、「連帯」の、始まりなのかもしれない。

しかし、その、連帯は、あまりにも、多くの、血と、痛みの、上に、成り立っていた。


わたしたちは、手に入れた、ハードディスクの、解析を、急いだ。

そこには、ウロボロスと、警察幹部の、密会の、映像が、はっきりと、記録されていた。

それは、この、国を、根底から、ひっくり返すほどの、破壊力を持つ、爆弾だった。


「……どうしますか、これを」

わたしは、美咲さんに、尋ねた。


彼女は、モニターに、映し出された、醜悪な、男たちの、顔を、静かに、見つめていた。


そして、やがて、言った。


「……まだ、です」


「……え?」


「……まだ、切り札を、見せる、時では、ありません。敵は、まだ、わたしたちの、本当の、力を、知らない。彼らが、最も、油断しきった、瞬間に、この、爆弾を、投下するんです」


彼女の、瞳は、どこまでも、冷徹だった。


「……それまでは、潜ります。嵐が、過ぎ去るのを、待つんです。わたしが、ずっと、そうしてきたように」


彼女の、言葉に、誰も、反対しなかった。


わたしたちは、再び、地下の、闇へと、潜ることを、選んだ。

しかし、それは、敗北ではなかった。

それは、次なる、闘争への、準備期間だった。


わたしは、ノートに、書き記した。


『わたしたちは、一度、死んだ。そして、これから、生まれ変わるのだ。より、強く、より、冷徹な、復讐の、女神として』


わたしたちの、聖書は、まだ、終わらない。

その、最終章が、どのような、血の色で、染め上げられるのか、わたし自身にも、まだ、わからなかった。

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