最果てのグルメ

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最果てのグルメ

「ホントにこんなところに『天然モノ』なんてあるの?」


 乱雑に生い茂った枝葉を掻き分けて進むタクヤの背中に、僕は今日十四回目となる同じ質問を投げかける。足取りを緩めないタクヤは顔だけこちらに向けて、これまでと寸分違わぬ抑揚の薄い声色で返してきた。


「間違いねえって。俺の担当する畜舎のリーダーが、前世紀にそこ行って自分の目で見たっつってんだから」


 繰り返される質疑応答にも、さほどうんざりしている様子はない。僕よりふた回りは大きい体躯とギョロリとした双眸、さらにその豪放な話し方も相まって乱暴者との印象を受けやすいタクヤだが、見た目とは裏腹に、実際はかなり忍耐強かったりする。

 仕事場の所為かもしれない。

 僕がやっている、流れてくる基板を選り分ける単純作業の内勤と違い、彼にあてがわれた仕事は生き物の管理と世話だ。日々イレギュラーな出来事に遭遇すっからいちいち怒ってなんかいられねえ、と休み時間に話していたのを、以前耳にしたことがある。

 環境が個性を育てる、と言っていたのは倫理の先生だっけ。

 未だ教育課程の僕たちにとって、週に五日のあの実地作業は将来の道筋を左右する大きな体験なのだ。


      ⌚


「打ち上げに、行かねえか」


 そう誘ってきたのはタクヤの方だった。四週間にわたって続けられてきた社会実習インターンをようやく終え、全生徒揃っての修了式のあと。


「このまんま寮にけぇっても、変わり映えしねえ出来合いの食事が出されるだけだぜ。そんなんつまんねえって、ワタルも思わねえか」


 彼の言っていることの意味が、最初僕はまったくわからなかった。帰宅後の寮の食堂で順番に手渡される白いパッケージの食事を、これまでの短くない時間で一度たりとも疑問に感じたことがなかったから。


「俺が畜舎の管理をしてたってのはワタルも知ってるよな。そこのリーダーが教えてくれたんだ。ドームの外に、天然のメシが食えるところがあるってよ」

「天然の食事……?」

「ああ、そうだ。物心ついてこの方ずぅっと食わされ続けてきた行儀良く生成プロダクトされた工業製品なんかじゃねえ、モノホンの天然モノのメシが」


 覗き込むように僕を射抜くふたつの瞳が期待に震え、きらきらと光っていた。


「そのリーダーな、前の時代には山歩きが趣味だったんだと。自分じゃ外に出られなくなっちまった現状を、大いに悲しんでたっけ」


 ラインの仕事場では朝から晩までひと言も喋らないのもざらだったから、たった四週間で職場の相手とそんなにも立ち入った話をしていたタクヤに、僕は驚いた。もっとも同じ職場にいたとしても、引っ込み思案の僕では同じことなど到底無理な話だろう。


「そいつが教えてくれたんだ。今夜、山向こうに行けば、天然のメシにありつけるって」


 タクヤの提案が腑に落ちるにつれて、僕の不安は広がっていった。


「山向こうって、ドームの外だよね」

「そう言ってる」

「寮長には了解もらってるの?」

「そんなん、黙ってに決まっとろうが」


 磊落らいらくを絵に描いて額に入れたようなポーズでタクヤは笑った。その姿を見ていると、自分の心に巣食う将来への危惧がまったくの見当外れに思えてくるから不思議だ。


「冴えねえ毎日を送ってる我が友ワタルよ。ここらでそろそろ、将来の職場で話せる武勇伝のひとつでもつくってはみねぇか?」


 腰をかがめたタクヤが下から覗き込むように僕の目を捉えた。

 寮長にバレたら叱られるのは間違いないし、なんなら懲罰房もあり得る。でも、命取られることはないし、ただでさえ最下層の就職先がこれ以上落ちることもあるまい。それよりも僕は、タクヤが発した単語に魅入られる。

 武勇伝。ああ、なんて魅力的な響き。

 僕の首は自然に縦に振られていた。


「行く」

「よっしゃ! そうこなくっちゃ」


      🌳


 生き物の気配も無い静寂の森の中を僕たちの行軍は進む。

 夕暮れ前の空には重い雲が垂れこめていた。いつもなら赤く染まるはずが、今日は限りなく黒に近い濃い紫。西を目指す僕らの頭上を覆う雨雲は、相当に分厚いようだ。


「タクヤ、雨になりそうだよ」

「おぉよ。そいつも織り込み済みだ」

「場所はわかってるの?」

「んにゃ。わがんね」


 なんだよ、それ。

 たしかに、子どものころからずっとそうだった。僕はすっかり失念していた。ちょっとばかり落ち着きが増したからと言って、タクヤのいい加減さが消え失せるはずはない。これは僕のミス。

 背後を歩く僕の落胆が伝わったのか、ことさら大きな声でタクヤが言葉を繋げる。


「ひと目でわかる目印がある、って奴は言ってた」

「ひと目でわかる?」

「らしい。ただしそれも陽のあるうち、だってよ。真っ暗になっちまったら目印もクソもねえ。もう近くまで来てるはずだから、ワタルもしっかり周り見回しててくれ」


 こんな夜、こんななんにもない山の中で、いったいどんな『天然モノ』があるっていうんだろう。探し回らなきゃいけないのかな。仮にひと晩雨に打たれたからって、身動きがとれなくなる季節でもないけれど。

 そんなことをぐるぐると考える僕の視界の端に、あきらかな異物がよぎった。


「ほわ」


 間抜けな声を上げて指さす先に、タクヤも無言で身体を向けた。

 闇に溶け込む森の先に、その輪郭は突き出していた。

 尖塔。

 自然に生えてきたものとは違う。あきらかな人工物。


「ビンゴだぜ。ワタル、お手柄だ」


 灌木をなぎ倒す勢いでタクヤは足取りを早める。


「急ごう。雨が降り出しちまう前に」


      🗼


 完全に陽が落ちた宵闇の中、僕たちはそれの足元に到着した。星も見えない墨のにじんだ夜空を背景に、硬質で巨大なそれは、異形の影を聳え立たせている。

 僕の身長と同じくらい太い大質量の鋳鉄を井桁状に何十本も組み合わせた構築物。鉄塔。シルエットすら定かではないタクヤだが、満足げに笑っているのはよくわかる。


「天然モノって、これのこと?」


 こんなの食べられないよ。

 そう抗議しようとする僕を抑えるように、タクヤは自信たっぷりの声を吐いた。


「あとは、こいつに掴まって雨を待つだけだ」


 傍らで金属のこすれ合う音が聞こえてきた。どうやらタクヤが鉄塔に掴まったらしい。目を凝らしてみると、太い柱の一本に巻き付くようにタクヤが抱きついているのがわかった。


「なにしてるの?」

「天然のメシを待ち構えてるのさ。クソみたいな寮のメシとはぜんぜん違う、ホンモノのグルメを」


 僕の頭頂に雨粒が落ちた。

 降ってきた。

 僕の発声器がそう話し出そうとした瞬間、目の前が真っ白に爆ぜた。

 なにごとかを理解する間も無く、僕は衝撃でうしろに吹っ飛ぶ。

 コンマ数秒遅れで、集音器のレベルを遥かに凌駕する轟音が襲ってきた。ノイズキャンセラーが機能しなければ機構自体が壊れてしまいそうなほどの音圧。

 強くなった雨に打たれて尻もちをついた僕。目の前は今度こそ完全な闇。

 いや、そうじゃない。視覚センサーもシャットダウンしているのだ。

 自己診断プログラムが発動し、やがて視界は戻ってきた。といっても闇はそのままだったが。周囲に満ちるオゾン臭とは別に、学校の焼却炉で嗅いだことのある匂いが漂ってきた。あれはたしか、情操教育用に寮全体で飼育していたメスヒトをルームメイトの不注意で死なせ、焼却処分にしたとき。高分子化合物が焼け焦げる際に発生する、何とも言い難い刺激臭。

 そうだ! タクヤは?!

 起き上がった僕は、ダメージ確認も行わず鉄塔に駆け寄った。風情が無いからとタクヤに止められていた肩の大口径ライトで、正面を照らし出す。

 タクヤはまだそこにいた。鉄塔を抱きしめたまま、一切の動きを停止させて。


「タクヤ!」


 僕の叫びにも、反応はなにひとつ返ってこない。完全な沈黙。

 刺激臭の元はタクヤの身体だった。関節部の筐体内部に組み込まれていた高分子プラスチックが溶け落ちて焦げているのだろう。

 拙い僕の知識を総動員して現状をシミュレートする。おそらくは、想像を絶するレベルの高電圧大電流がタクヤの全身を通過したのだろう。対処できる負荷を遥かに超えた電流は、文字通り光の速度で彼の身体を駆け巡り、すべての部位をショートさせ、物理的破壊にまで導いたのだ。

 天然の食材、天然の電気。

 日頃摂取する白いバッテリーパックから得る管理された電気量とは桁違いの天然の大電流を一切の加工抜きに受け止めたタクヤは、その急激な過食によってすべての機能を喪った。

 タクヤに天然の電気のことを教えた飼育ヒトは、こうなることを予想していたのだろうか。たぶん、いや、間違いなく予見していたはず。おそらくは、なんらかの悪意とともに。

 尻の跡が残る木陰に戻って土砂降りを避ける。目線は、水はねで煙る鉄塔の根本に留まったまま。スポットライトに浮き上がる、ついさっきまでタクヤだった動かない金属塊。

 僕の発声器くちは、誰ひとり聞くことのない言葉をつぶやいていた。


「天然グルメってこえー」

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