社長

「分部君、私は残念だよ」


 美里山みりやま社長は、地肌の見える青々とした五厘刈りの頭を振って嘆いた。分部が短沢に新型冷蔵庫の売上が悪いことを尋ねてから二年後、分部とイッコーは社長室に呼び出されていた。

 美里山の机に置かれた科学新聞には、とある外資企業を取り上げた特集記事が載っている。『輝ける新発明、科学の新しい扉を開く』というのが記事のタイトルだった。


「この記事、読んだかね」

「は。先ほど読みました」


 分部の顔は青ざめていた。記事の内容は、分部とイッコーにとっても衝撃だった。某国の企業が最近発売開始した画期的な理化学機器が、科学界に革命を起こしていることを紹介する記事だった。それは装置に付随する箱の内の時間の流れを極端に遅くする装置であり、最高で時間の流れを一万分の一にまで出来るという。その効果は凄まじく、化学反応の初期状態の精密観測や、微細レベルの物理現象の新しい観測方法を可能にしたという。タイムフリーザと呼ばれるこの装置は、新しい学問分野を切り開きつつあった。


「この技術がウチの時間冷蔵庫発祥だというのは、本当かね」


「確たる証拠はありませんが、どうやら事実の可能性が高いです。一台入手して分解調査させましたが、基本原理はウチのと同じようです」


 蒼白な顔で分部が言うのに、イッコーは黙ってうなずく。分解調査を行ったのはイッコー自身だった。基本原理が同じどころではない、あれは基本設計からして時間冷蔵庫とほぼ同一だった。証拠はないが、時間冷蔵庫の拡大コピーと言って良かった。そもそも名称からして Time Freezer、直訳でそのまま時間冷蔵庫である。


「知っているかね、このタイムフリーザとやらの市場規模は数百億円とも数兆円とも見積もられているそうだな」


「は」


 分部は五分刈りの頭を下げた。美里山は言葉を続ける。


「このタイムフリーザの存在を初めて知った時、私は衝撃を受けた。人類の技術はついにここまで来たのかとな。そして、どうやらこの技術が我らがトオシバ発祥らしいという噂を聞いて二度目の衝撃を受けた。何しろ、発祥であるにも関わらず、トオシバはタイムフリーザ市場に全く入り込んでいない」


 分部は頭を上げられなかった。美里山の声は落ち着いていた。しかし、その静かな響きが、分部には何よりも恐ろしかった。これで査定を下げられでもしたらたまらない。だが、もはや逃れられそうにない。


「なぜそうなったのか、私は調べて愕然とした。信じがたい選択だよ。これだけの大発明にも関わらず、全く特許を取らないなど。特許を取ったところで、他社は穴を探って何とか同じものを作ろうとするだろう。それを、そもそも特許の取得すらしていないとは。実に嘆かわしい」


「申し訳ありません。全ては私の責任です」


 分部はやっとのことで声を出した。美里山は首を横に振る。


「いや、勘違いをしないで欲しい。分部君一人に責を負わそうというのではない。トオシバで起こることの責任は、最終的には全て私にある」


 分部が顔を上げた。ちょうど日が沈む時間で、西日は美里山の背後に位置していた。沈みかけた直射日光が地肌にまで届き、美里山の頭はオレンジ色に輝いていた。


「トオシバ発祥の技術だという事は、我々に出来る事もまだあるはずだ。すぐに対策チームを立ち上げる。後追いとなるが、我々は必ず追いつく。分部君、そしてイッコー君も、主要メンバーとして出席したまえ」


「美里山社長……」


 ありがとうございます、と分部は頭を深々と下げた。イッコーもその隣で同じように頭を下げ、しかし頭の中では二年前の事を考えていた。


 二年前、時間冷蔵庫の技術を水平展開することは自分も思いついていた。けれど、それを実行に移すどころか、特許を取るという発想さえなかった。今考えてみても遅いかもしれない。けれど、あの時にもう少しどうにか出来なかったものだろうか……。



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