部長

「短沢君、新型冷蔵庫の売り上げについて、何か言う事はあるかね」


 分部わけべ部長の静かな声ががやがやと雑音の多い部屋に染み渡った。机の上には、なにやら書類が束になっている。イッコーが短沢に新型冷蔵庫を紹介して一年後、短沢とイッコーは分部に呼び出され、そろって部長の机の前に立っていた。


「申し訳ありません。想定を下回る売り上げとなっています」


 額に脂汗をにじませながら、短沢が頭を下げる。イッコーは憮然としていた。短沢の答えを、分部は五分刈りの頭を横に振って否定した。


「違う。下回る、だ。売り上げは低く、おまけに返品率は高い。ここまで悪い数字はなかなか見ないぞ。事前に市場調査をしなかったのかね?」


「いえ、何しろ全く新しい方式の商品でしたから、既存の市場調査では効果が薄いと思われまして……」


「方式が新しいにしろ、冷蔵庫には変わらない訳だろう。まさか、全く市場調査をせずに市場に出してしまったのかね。その結果が、ほら、数少ない購入者からのクレームだ」


 分部は机の上の書類を手に取って読み上げ始めた。


「三十代女性、夫が買ってきたけれど、容量が小さすぎて使い物にならない。四十代男性、電気代が倍以上になってしまった、流石に高すぎる。四十代女性、ビールもスイカも冷えない、買って失敗だった。他にもまだまだある。9割以上が批判的な意見だ。ごもっともな意見だとは思わんかね」


「いや、しかし、お言葉ですが、この件に関しては製品化前に部長にも相談をしたのですが……」


 短沢が小さな声で抗議をする。しかし、分部は丸い頭でかぶりを振った。


「分かっているとも。責任は全て私にある。だから、何故こんなに売れないものの製品化を進めてしまったのか、今後のために意見を聞きたいのだ」


 顔色一つ変えない分部を見て、短沢は震えあがった。長沢があの冷蔵庫を紹介してきた時、面倒なことになったなあと考えたんだった。悪い予感ってのは当たる。しかし、これで査定を下げられでもしたらたまらない。


「実はですね、あの冷蔵庫は、イッコー君がうちに配属されて初めて製品化企画を持ってきたものでして……」


 短沢は承認をした時の事を思い出しながら、どう言えば丸く収まるかを必死に考えた。


「何しろ前例のないタイプの冷蔵庫でしたし、私としても製品化は早いと思ったのです。しかしながら、当人から熱のこもったプレゼンテーションを受けまして。これを却下しては当人のやる気を削いでしまうと思い、その辺りも総合的に勘案して商品化を試みたのです。万が一ヒット作にならなくともダメージが小さくて済むよう、ほら、初期製造量も最小ロットに抑えております」


 短沢は早口で一息にそう言う。イッコーは黙って反省していた。あの時は、面白い冷蔵庫が出来たという達成感でいっぱいで、売れるかどうかという視点が足りなかったな。


「なるほど。若手の熱意を受け入れるのは確かに大事だ」


 分部の言葉に、短沢は胸をなでおろした。どうやら、叱責は免れそうだ。


「失敗は成功の母。技術的には面白いものだし、良い判断だったと思う。イッコー君も、それでいいかな」


 ありがとうございます、と短沢は頭を下げる。イッコーも、内心に言語化しきれない違和感を覚えながらも、その場では「はい」と答えて頭を下げた。


 技術的に面白いなら他に水平展開できる方策を考えればよいのだ、という考えにイッコーが思い至ったのは、それから一週間後の事だった。だが、日々の業務に忙殺されるイッコーが、それを誰かに告げる機会はなかなか訪れなかった。



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