【短編SF】時間冷蔵庫狂想曲【全四回】

山本倫木

課長

短沢みじかざわ課長、これが新しいコンセプトの冷蔵庫、時間冷蔵庫です」


 トオシバの愛称で知られる『頭髪芝状電気株式会社』の商品開発部第一課の異端児、長沢一幸いっこうは軽くウェーブのかかった長髪を手でかき上げながら、もう片方の手で床に置かれた巨大な箱を示した。高さ180センチ、幅65センチ、奥行き70センチ。白を基調とした外観は家庭向けのものだ。しかし、この冷蔵庫には一般的なものとは大きく違う点があった。


「イッコー君、これ、扉が一つしかないよ?」


 短沢が戸惑った声を上げ、対してイッコーは自信満々で頷いてみせた。


「その通りです。何しろ市販一号機ですからね、現時点では機構がかさばってしまうので、容量は同型の既存品の五分の一以下です。よって扉も一つで十分です」


 堂々と致命的な欠点を言いだすイッコーに、短沢は戸惑いの表情を浮かべた。イッコーはそれに構わず冷蔵庫の扉を開け、中の紙コップを取り出す。


「まずはお試しください」


 短沢が受け取った紙コップには、豆腐の味噌汁が入っていた。嗅ぐ。出汁の香り。口に含む。かつおと味噌の風味。何の変哲もない普通の味噌汁だ。しかし、と短沢はベリーショートに刈った坊主頭を傾げた。


「イッコー君、これ全然冷えていないよ?」


 冷蔵庫から出したてだというのに、汁は常温だった。むしろ、ほのかな熱を感じるくらいだ。知覚過敏で冷たい物を苦手としている短沢でも一気飲みが出来る。短沢の疑問に、イッコーはよくぞ尋ねてくれました、と大きく首を縦に振ってみせた。


「この冷蔵庫が冷やすのは、食材ではありません。時間そのものです」


 ふわりと揺れるイッコーの髪を見ながら、短沢はぽかんと口を開けた。今、ヤツは何と言った?


「これは時間を冷やす冷蔵庫なんです」


「時間を……冷やす?」


 短沢が呆けたように同じ言葉を繰り返すのを、イッコーは力強く肯定する。


「そうです。冷蔵庫とは本来、食品を良い状態に保っておくための装置です。つまり、入れたものが良い状態を保てるなら中を冷やす必要はないのです。この冷蔵庫は、内部の時間の流れを約十分の一にまで遅くします。現時点ではこれが限界ですが、理論上はさらに遅くすることも可能です。僕はこれを『時間を冷やす』と表現しています」


 イッコーは胸を張った。


「今お飲みいただいた味噌汁ですが、実は3日前に作ったものです。沸騰する直前にこの冷蔵庫に入れ、そのまま置いていました。この季節、本来は常温で3日も置いていれば腐ってしまうでしょう。ですが、食べて問題の無いことは、お分かりいただけたことと思います。これが、時間を冷やした効果です」


「よくも、まあ、こんなものを……」


 短沢は驚き交じりの嘆息をついた。いや、確かにすごい発明だ。自由に開発をやってみたいというので、二年と期限を区切ってやらせてみたが、こんなものを作るとは。海外の大学で理論物理学を学んでいた若手が来ると聞いた時にはどう接したものかと思っていたが、想像以上に想像を超えてきた。


「どうでしょうか。このモデルを新しい商品ラインとして推し進めたいと思っています」


 イッコーは目を輝かせていた。短沢は素早く考えを巡らせる。確かに大発明だ。家電売り場に並んだとしたら、インパクトも大きいだろう。けれど、何しろ今まで聞いたことも無い方式の冷蔵庫だ。


「あー、このタイプの冷蔵庫って前例はあるのかね?」


「ありません。全く新しい方式なのですから」


 一応の質問に、イッコーは堂々と答える。そうだよなあ、と短沢は心中で頭を抱えた。どうもこれは自分の判断には余る。確かにすごい。けれど、革新的過ぎる。


「既に提案書は書きあがっています。ほらここに。あとは課長の承認を頂ければ市場化です」


 イッコーはどこから出したものやら、体裁を整えた社内提案書を取り出して短沢に見せた。


「おお、やる気だね。すごいじゃないか」


 イッコーのやる気に押され、短沢は思わずそう口走る。褒めてしまった後、しまった、と思った。課長に認められたと思ったイッコーが、ありがとうございます、と企画書を押し付けてきたのだ。勢いに押され、思わず受け取ってしまう。


「ちょ、ちょっとこの件は預からせてもらえないか。前向きに検討しようじゃないか」

「ありがとうございます!」


 どうにか短沢が答えると、イッコーは溌溂と答えて自席に戻っていく。離れていく背中を見ながら、短沢は、さて困ったことになったなと考えていた。



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