第二章

(1)




 緊張のせいで、少しだけアスファルトを踏みしめる足が重い。


『私と、明日も夜を一緒に過ごしてくれないかな』


 今日僕は起きてからずっと、学校で授業を受けているときも、夕食を作っているときも、僕は彼女の言葉を頭の中で何度も反芻した。いや、正確には昨夜、家に帰る道中からずっとかもしれない。僕は言葉のとおり寝ても覚めても宵のことばかり考えていた。

 あんな美少女と神秘的な青白い満月の下出会うなんて、できすぎた漫画のようで、夢じゃないかって本気で疑ったけど、どうやら現実らしい。


 僕はもちろん今夜のことをずっと楽しみにしていたし浮かれていたけど、ある時不意にもしかして騙されて揶揄われていたんじゃないかって気づいてしまった。体に走るこの緊張はそのせいだ。だってあんな可愛い子と一晩で仲良くなってまた会おうねって約束するなんて、やっぱりどう考えても騙されていると解釈する方がしっくりくる。

 もしかしたら宵は、あの公園にはもう来ないかもしれない。

 僕は今夜中、あの公園でひとり寂しく彼女を待ち続けることになるのかもしれない。


 でもなぜか、公園に向かうこの足を止めることはできなかった。

 さっきの話とは矛盾してしまうけど、宵が嘘をついているとはどうしても思えなかった。朗らかに柔らかく笑う宵は、嘘や偽りとは対極にいるような純真な存在だった。……なんて、出会ったばかりの僕になにがわかると言われたらそれまでだけど。


 そういうわけで、僕は夜な夜な家を抜け出し、あの公園に向かっていた。

 宵はきっと来てくれる、今夜も会える、そう信じて。


 重い足を引きずり、いつもなら10分程度で着くところを15分以上かけて公園に辿り着く。

 今夜もこの公園は静かだ。たこの形をした大きな滑り台、4つ座板が吊るされたブランコ、動物の形をしたスプリング遊具に、古びた大きな時計台。広い敷地の中に一般的な遊具は揃っているけれど、今は公園全体が寝静まり、ひとけはない。――そう、宵もいない。


「やっぱりいない……よな」


 独り言ち、苦笑が漏れる。

 頭のどこかではわかっていたけれど、やはり落胆は隠しきれなかった。

 心がずんと鉛のように重くなり、このまま帰るのも億劫で、僕は時計台の前のベンチに座った。


 空にはぽっかり浮かぶ月。昨日は妙に神秘的に見えた月だけど、今見てみるとなんてことない普通の月だ。


 空を見上げ、はあ、とため息をついた時だった。


「ため息なんてついて、どうしたんだい?」


 不意に背後から声がかかった。

 ……なんでだろう。ある程度の付き合いがないと、見えない声の相手を咄嗟に当てることは難しいだろう。それなのに、昨日会ったばかりの君の声はすぐに理解した。


「え……宵……?」

「こんばんは」


 振り返ればやはり、そこにはにこにこと笑う宵が立っていた。

 対して僕は、あまりに間抜けなほど呆けた顔で。


「ふふ、どうしたの? そんなに驚いた顔して」

「だって……来ないと思ってたから」

「私が嘘をついたって?」

「や……そんなわけじゃないけど……」


 宵は長い髪を耳にかけながら、この世のすべてを包み込むようにふわりと笑う。


「私、灯くんに会いたかったんだよ?」

「そう、なの……?」


 悪い意味ではなく、変わっているというか不思議な子だなあと思う。宵が僕にくれる、この信頼はなんだろう。


 すると宵が不意に、ある提案をしてきた。


「ねえ、デートしない?」

「え? デート?」


 僕は思わず目を見張った。だってまさか、宵の口からそんな言葉が出るなんて。

 それはもしかして、いやもしかしなくても、僕へのお誘いっていうことでいいのか……?


 僕が思わず面食らっていると、宵はそこで自分の言葉を恥じるように顔を真っ赤にした。


「あ、ごめん。デートなんて。私ってば、つい……」


 だから僕は食い気味に答えていたんだ。


「いや、行きたい。宵とデート!」






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