第13話 酔ってない話
休み明け、亜門はいたって普通だった。
あの日のことは、もしかしたら自分の思い違いか、もしくは自意識過剰だったのではないかと思い始める。
そんな凛音に、次なるミッション……そう、亜門の歓迎会を取り仕切る「幹事」という任務が開始される。
「それでは新海さん、ご挨拶をお願いします」
歓迎会当日、今までにないほど集まった飲み会は、部署を超え総勢二十八名。普段なら誘っても不参加を決め込む女性たちがこぞって参加を表明したのが、要因の一つだろう。
個室をキープできたことで、気兼ねなく話ができそうでなによりだった。
幹事である凛音は、皆の前で進行役を務めていた。
名を呼ばれ、新海亜門がグラスを手に席を立つ。凛音の隣に立つと、ニッコリと微笑む。破壊力抜群の笑顔を向けられ、慌てて視線を外す。
「只今ご紹介にあずかりました、新海亜門です」
その場にいた全員が、亜門に視線を向ける。
「私がこちらに配属になったのは、私自身の強い希望によるものです」
あちこちから「ほぅ」という息遣い。出向の謎を知りたいものは多いはずだった。
「大企業というところは、それなりに環境が整っています。しかし、規模の小さい会社は、まだまだ改善すべき点が多いものです。私はここで働く皆さんが、もっと働きやすく、楽しく仕事ができるようにしたい。そのためにはその環境に飛び込み、自分の目で確かめる必要がある」
亜門の言葉を、全員が食い入るように聞いていた。親会社からの出向は、イコール天下りである、というのが今までの認識だ。彼はそれを真っ向から否定しているのだから、興味も沸くだろう。
「上からは反対の声もありましたが、こうして皆さんと一緒に働けることをとても嬉しく思います。なにか困っていることや、やりづらいことなどがあれば、いつでもご相談ください」
女性たちの目にはもれなくハートマークが浮かび、男性社員は……羨望の眼差しを向ける者と、醒めた目で藪睨みをする者がいる。後者はもちろん、禿げ本こと、橋本部長だ。
「今日はこのような会を開いていただき、感謝いたします。市原さん、ありがとう」
そう言って杯を掲げた。凛音が小さく会釈をする。
「では、乾杯しましょう。皆さん、どうぞよろしくお願いします。乾杯!」
「乾杯!」
「かんぱーい!」
あちこちから、カン、コンとグラスの触れ合う音がした。亜門が凛音にグラスを向ける。凛音もそれに応え、グラスを差し出す。チン、という美しい音が鳴り、琥珀色の液体を喉に流し込む。経費で飲む酒の味は格別である。
「では、ここからは皆様、ご歓談ください」
そう言って、席へ戻る。
幹事である凛音は末席だ。逐一周りを気にしながら動かなければならない。だが、社会人歴もそこそこである。目を配りながら食べ、飲むことなどお手の物だ。
「そっち、飲み物足りてます~?」
「あ、それ、下げちゃいますね~」
飲み物の追加も、皿の片付けもしながら、飲む。人の会話に耳を澄ませ、適当に相槌を打ちつつ、食べる。時々、
「でも〇〇さんはこういうことできるからすごいですよね~」
とでもヨイショしておけばいい。そう、難しいことではないのだ。
「……先輩って」
席に戻ってワインを飲んでいると、杏が肩を寄せてきた。
「ん? なにか飲む?」
「いや、そうじゃなくてぇ。先輩って飲み会になるとめちゃくちゃ本気出しますよね」
「えっ? なにそれっ」
「いえ、動きが機敏で、非の打ち所がないなぁ、って」
「飲み会だけじゃないでしょっ? 仕事だってちゃんとしてるでしょっ?」
急に不安になって前のめり気味に聞き返すと、
「あはは、そんな必死にならないでくださいよぉ」
と、杏に笑われた。
「……それにしても、新海さんすごいですね」
ちらと目配せすれば、新海のいるテーブルは周りを女子たちがずらりと囲み、ハーレム状態だった。それに比べて……。
「禿げ本は今日もイエスマン集めてなにかのたまってますけど」
本社からの出向者だから、という理由で、出来損ないの橋本部長に付く社員もいないわけではない。ただ、この辺の構図はもしかしたら変わるかもしれないな、などと考える。
「会社をよくしたい、なんて、本気なんですかねぇ?」
珍獣でも見るような目で、杏が新海を見る。
「どうなのかしら? でも、本当だったらいいわね」
「私、営業不振で発破かけるために来たのかと思って、身構えちゃってましたよ」
杏が肩を竦めた。
「まぁ、そういう可能性もまだ捨てきれないけど」
いいことばかりを信じていたら、あとで痛い目に遭う可能性もある。とはいえ、彼の働き方はとても丁寧で、気遣いもすごいということは、数日一緒にいただけでわかった。
「誰が落とすんでしょうね」
杏が目をきらりと光らせる。
「ん? 落とす?」
「そうですよぉ。あれだけの逸材を、女性陣が黙って見過ごすわけないじゃないですか。いっせいのせで、モーションかけまくるに決まってます! 新海さん、誰を選ぶと思います?」
その質問にどう答えるべきなのか。亜門はもしかしたら私に好意があるかもしれなくて、など、口が裂けても言えるわけがない。
「そんなの……あれだけの人なら、もう恋人の一人や二人、いるんじゃない?」
適当に誤魔化すが、
「あ、そっかー。そうですよねぇ」
と、杏が納得したように頷く。
「ああいうタイプの男性って、どんな人を好きになるんですかね? やっぱ、モデルみたいな美人で、めっちゃ頭良くて、いいところのお嬢さんだったり? あ、取引先の社長の娘さんとか!」
「ああ、そうねぇ」
若干顔が引き攣る。凛音とて、そうだったらいいと思う。そうあるべきだとすら思っている。そうじゃなきゃいけない気がしてくる。
「私、ちょっとトイレ行ってくるね」
杏に声を掛け、部屋を出た。ふぅ、と息を吐きトイレに向かうと、
「市原さん」
と、呼び止められた。振り返ると、亜門。
「あ、新海さん。なにかご注文ですか?」
思わずそう訊ねると、亜門が顔を寄せ、
「市原さんと全然話ができなくてつまらないです。市原凛音さんをひとり、お願いできますか?」
と耳元で囁く。
「ふぁっ? ししし新海さん、酔ってますっ?」
後退り、言うと、
「いいえ、全然」
と、見つめてくる。その瞳は、確かに酔っ払いの目ではない。
「新海さん」
「はい」
「そういうことは、酔ってから言ってくださいっ」
そう言い放ち、凛音は足早にトイレへと駆け込んだのである。
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