第39話 新海亜門と凛音の関係の話

「え?」

「だぁかぁらっ、福本さんにお弁当が同じだってバレちゃったんですってば!」

 外回りから戻った亜門を捕まえ、非常階段の踊り場で報告を入れる。


「それが、なにか?」

 なんでそんな報告を、切羽詰まった顔で話しているのか全く理解できない、と言った風に亜門が首を傾げた。


「なにか、って……困るじゃないですかっ」

「どうして? お互い、ディーノが作った昼食を持参しているのだから、中身は同じです。同じ家に住んでいるのだし、おかしなことではないでしょう?」

「ひぇぇぇ! そんなこと口にしないでっ」

 両手で頭を抱える凛音に、亜門は手をポンと叩き、

「ああ、照れくさいということですね?」

 と、明後日の返答をする。


「違いますっ」

 全く理解してもらえず、凛音は大きく息を吸い、吐いた。


「あのですね、私とあなたは、ここでは上司と部下です。一緒に住んでるとか絶対ダメだし、変に勘繰られたら困るって言ってるんですっ」

「ああ……この世界ではいちいちそういうことを気にするのでしたね。では同棲を始めた恋人同士ということでいいのでは?」

「いいわけあるかーっ」

 話の通じない相手に、凛音はどうすることもできない。このままでは本当に皆の前で宣言されてしまいそうだ。


「今、新海さんの家にいるのは、あくまでも次の住居が決まるまでの緊急措置なんですからねっ。断じて同棲ではない!」

「頑なですね」

「当たり前ですっ」

「まぁ、そんな頑ななあなたを落とすのも楽しそうです。早くあなたの中の愛を開放してほしいものだ」

 くすくすと意地悪そうに笑う顔はアモールだな、と思った凛音だった。


「では、仕事に戻りましょうか」

 さっさと話を切り上げて、非常扉を開ける亜門の背中に、

「ちょっとぉ! ほんとに理解してるのよね、アモール?」

 と声を掛ける。

「もちろんですよ。あくまでも緊急措置ですね。はいはい」

「ハイは一回!」

「はいはい」

「んもーっ!」

「あはは」


 話しながら去っていく二人の後姿を、とある人物が目撃していた。人事部のスピーカー女である。驚きのあまり口元を手で押さえ、息を殺している。二人が完全に去ったのを見届けると、ポケットから携帯を取り出し、驚異的なスピードでなにかを打ち始める。


「すごいこと聞いちゃったわっ。あの二人ってもうそんな関係なわけっ? って言ってたけど、確か“愛する人”的な意味じゃなかったっ? あ、ほらやっぱり!」

 携帯に出た検索画面を見て、何度も飛び上がる。頬は紅潮し、心臓がバクバクと鳴りやまない。会社という狭い世界の中で他人様のゴシップというのは、日々を楽しく過ごすための大切なエッセンスなのである。

 そして、そんなゴシップを発見した人物というのは、もてはやされ、時の人となる。


「みんなに報告っ! それに、真相を究明しなきゃ!」

 小さくガッツポーズをとり、いそいそと席へ戻っていったのであった。


*****


 忙しい。


 亜門に言われていたから覚悟はしていたが、やはり忙しい。


「市原さん、まだ残ってるのか?」

 声を掛けてきたのは、片山大吾。フロアにはもう誰の姿もない。こんな時間まで残っているのは珍しいことだった。


「片山さんこそ、どうしたんです?」

「ああ、ちょっと取引先でトラブル」

 大吾のチームにいた時に、トラブルは何度か経験している。しかし彼は……

「また一人で対応してるんですね?」

 溜息交じりに言うと、肩を竦める。


 大吾は凛音や杏に負担を掛けまいと、なにかあってもすべて自分で処理してしまう。だから凛音がトラブルを知るのは、決まってすべてが終わった後だった。


「もう少し頼ればいいのに」

「いや、それは申し訳ないから」

 いつもこれである。

「まったく、片山さんてば器用貧乏っていうか、お人好しっていうか。それじゃ後輩が育ちませんよ?」

「おい、酷い言いっぷりだな」

「だって」

「どうせなら褒めてよ」

 言われ、ついやってしまった。席を立ち、大吾へと手を伸ばすと、

「よしよし、偉いぞ~!」

 頭を、撫でたのである。


(……あ)


 気付き、手を止める。ディーノを褒めるときの癖で、撫でてしまった。……上司を。


「……っと、す、すみませんっ」

 慌てて手を引っ込めると、片山はぽかんと開けていた口を閉じ、真っ赤な顔をして顔を逸らしたのである。

「あ、いや……意外な反応だったから、驚いた」


(照れた! やだ、なんかかわゆ!)


 凛音は今まで、こんな顔の大吾を見たことがない。まるで思春期の少年のような顔を見せられ、こっちまで恥ずかしくなる。


「あー……で、まだ帰らないのか? もう遅い時間だぞ?」

「えーっと……切りのいいところまで、もうちょっと」

「そ、そうか」

「はい……」

 ぎくしゃくとした会話。沈黙と、視線――。


「俺、待ってる」

「え?」

「……送るよ」

「あ、いや……それは」

 大吾に送られるのはまずい。帰る先は亜門のマンションだ。落ち着きなく視線を動かしていると、顔を覗き込まれる。


「送り狼にはならない」

 すこぶる真面目にそう口にした大吾を見て、凛音の顔が歪む。


「ぶっ……あははは、なんですかそれっ! って……片山さん、昭和! ぷはははっ」

 凛音的にツボだった「送り狼」が、脳内で何度も繰り返され、笑いが止まらなくなる。

「おいっ、いくらなんでも笑いすぎだろうっ」

 またしても大吾が顔を真っ赤にして声を荒げた。その様子がさらにおかしく思え、凛音は更に笑う。そんな凛音を見ているうちに、大吾も妙におかしさがこみ上げ、ついには二人で大笑いを始めてしまった。


「市原さんには敵わないな。カッコよくありたいと思ってるのに、全然うまくいかない」

 目尻を指で拭いながら、大吾。笑いすぎて涙が出たようだ。

「あははっ、片山さんは充分カッコいい上司ですよ?」

 凛音的には最大限の敬意を込めたつもりだったが、大吾の顔がぴたりと真顔に変わる。


「……市原さん、俺はでいたくないんだけど?」

 伸ばした手で、凛音の髪を掴む。

「あ……えっと」

 甘い香り漂う、張り詰めた空気。凛音の視線が慌ただしく動く。


「……随分楽しそうだな」

 背後から、突き刺さるような冷たい声が聞こえてきた。

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