第38話 憂鬱な月曜日の話

「おはようございま~す」


 職場に着くと、最初に声を掛けてきたのは福本杏だった。

「あ、福本さん、おはよ……」

 どんよりしたまま返事をすると、

「先輩、もう大丈夫なんですかぁ?」

 と首を傾げる、杏。

「え? なにが?」

「なにって……体調崩してお休みしてたって」

 言われ、思い出す。先週は会社を休んでしまったのだった。真実ではないが、ここで「家が燃えて帰る場所がなくなった」などと言っては大騒ぎになるだろう。火事のことは、黙っておくことにした。


「あ、うん、そうそう、珍しく体調崩しちゃってさ。でももう大丈夫!」

 慌てて取り繕うと、杏が身を寄せ、声を低くする。

「片山先輩、一日中落ち着かない様子で大変だったんですよぉ?」

「へっ?」

「実際のとこ、どうなんですかっ?」

 肘で脇を突きながら、杏がニヤニヤ笑いを向けてくる。

「な、なにがっ」

「だからぁ、片山先輩ですよ。……あ、それともやっぱり、新海さんなんですか?」

「ちょ、やめてよっ」


「おはようございます。私がなにか?」

 じゃれ合っている二人の間に顔を出したのは、新海亜門だった。

「わっ、本物!」

 驚いた杏が仰け反る。


「市原さん、具合はいかがです?」

 わざとらしくそう訊ねる亜門に、凛音は作り笑いを浮かべ

「おかげさまですっかり良くなりました。ご心配いただき恐縮ですぅ」

 と返す。

「元気になったようでなによりです。今日から新しい案件で忙しくなりますので、よろしくお願いします。早速ですがこの後打ち合わせをしたいのですが?」

 楽しそうに声を弾ませる亜門に、凛音は頬をヒクヒクさせながら、頷いた。


「……お二人、なにかありました?」

 杏が鋭いツッコミを投げると、凛音が「なにも!」と即答し、自分の席へと足早に去っていく。


「……なにかありましたよね?」

 興味津々、という気持ちを前面に出し、亜門を見上げる杏。亜門はそんな杏に

「大人ですからね」

 と片目を瞑り、颯爽と歩いて行った。

「うわぁ……大人の事情、知りたいわぁぁ」


 あとで問い詰めなければ! と心に誓う杏であった。


*****


 亜門の言った通り、デスクには新規案件絡みの仕事が山積みになっていた。凛音は夢中でそれをこなし、気付いたら昼をとっくに回っていた。フロアにいた人間は、すべて昼食を取りに出払っている。


「さすがにお腹減ったわね」

 ひとりごち、思い出す。カバンの中にはディーノが作ったお弁当が入っているのだ。


 あの後……。


 亜門が「うちに来い」と言った後は怒涛の展開だった。ホテルを早々に引き払い、向かった先は百貨店。なにもかもなくなってしまった凛音に、亜門は下着から洋服、化粧品に至るまですべてを買い与えてくれたのだ。


「いくらなんでも、こんなにっ」

 何度もそう言ったにも拘わらず、楽しそうに買い物を続ける亜門。しごでき男は、スパダリでもあった。


 そして荷物と共にタクシーに乗り込み、亜門の自宅へ。凛音を見たディーノは驚き、気まずそうに俯いた。マンションの火災のことを亜門に聞くと、一転して凛音を心配し、無事を喜んだ。確かに、在宅のタイミングで爆発に巻き込まれていたら、命に係わっていただろう。そういう意味では、あの日の四天王の呼び出しはグッジョブだったと言うべきかもしれない……。


 こうして、この週末からおかしなルームシェアが始まった。

 そして相変わらず、凛音はディーノの手料理を食べているのである。


「食堂行こう……」

 基本、オフィス内での飲食は禁じられている。お弁当を食べるにしても、食堂エリアを利用するのがルールだ。この時間なら、もう混んではいないはず。凛音は弁当片手に食堂エリアへと向かった。

 テーブルに杏の姿を見つけ、軽く手を挙げる。

「あ、先輩! 今からなんですか?」

「うん、ちょっと仕事が立て込んでて」

「ここ、どうぞ!」

 隣に置いていた荷物をどけ、凛音を手招きする。


 凛音は席に座ると、弁当箱を取り出し、開けた。

「えっ?」

 杏が突然、驚きの声を上げた。

「え? な、なにっ?」

 凛音が釣られて声を出す。驚かれるようなことなどしていないのだ。

「……待って、先輩……そんなっ」

 弁当と凛音を交互に見ながら、杏は興奮した様子で目を瞬かせた。

「だから、なにっ?」

 弁当箱には、そぼろご飯と卵焼き、唐揚げにポテトサラダ、プチトマトと切り干し大根が彩りよく綺麗に並んでいた。お腹の虫が早く食べさせろと、小さく鳴く。


「あの、ですね……」

「なによっ?」

 勿体ぶる杏に、凛音が声を荒げる。

「私、午後の会議資料作るんで、早めにお昼入ったんですよ」

「うん」

「で、ここに来たらちょうど新海さんが来ましてね、話したいことあったんで、お隣に座りましてね」

「うん……?」

「新海さん、まさかのお弁当で驚いたんですけど、その……」

 チラ、と凛音の目の前に展開されている弁当箱を見つめる杏。


「どういうことですか、先輩っ! なんで新海さんとまったく同じ中身のお弁当がここにあるんですっ? 新海さんに『誰に作ってもらったんですか?』って聞いたら、教えてくれなかったんですけどっ? まさか、まさか先輩が新海さんとっ? え? 付き合っているという認識でよろしいのでしょうかっ?」

「うわぁぁぁ!」

 凛音は騒ぎ立てる杏の口を塞ぐ。まさか亜門の弁当を杏が目撃するとは思っていなかった。同じ弁当を食べているのは当たり前だ。どちらもディーノが作ったのだから。だが、それをうまいこと説明するなど、どう考えても無理がある。


「口を、閉じなさい福本さんっ」

 こんな話、誰かに聞かれたら厄介以外のなにものでもない。

「これには深い事情があるの!」

 小声でそう告げると、杏は口元を歪ませ、

「でしょうねぇ~?」

 と楽しそうに頷いた。


(まずいことになった……)


 凛音は絶体絶命の危機に、頭を抱えるのだった。

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