第36話 会社をさぼった話
白み始めた空を眺めていた。
帰る場所がなくなった。比喩ではなく、本当になくなったのだ。
「どうしよ……」
一睡もしていない体は疲れ切っているが、頭はどうしようもないほど冴えていた。考えなければいけないことが山積みだ。
「まずは、ホテル」
両手で頬を叩く。思考を止めてしまえば楽なのだろう。面倒なことをすべて放棄して道端で暴れることだってできる。片山大吾に泣きついて甘やかしてしまうのもいいかもしれない。けれど、そんなことはしたくない。
「腐っても魔法少女よ!」
正義のために戦う、弱者にとって絶対的味方。誇り高く、どんなときにも弱音を吐かず、決して諦めない存在。それが魔法少女だ。
一度、大きく頷くと、歩き出す。元来た道を、進む。駅前にビジネスホテルがある。まずはそこで横になろうと思った。眠れるかはわからないが、体力の回復は必須だ。食事も摂らなければいけないだろう。腹が減っては、戦はできないのだ。
「あ、戦はもうしないんだっけ……」
立ち止まり、俯く。
こんな形で魔法少女を辞めることになるとは思っていなかったが、どっちにしても時間の問題だった。そもそも本気で戦う気などなかったアモールたちは、凛音やこの世界の脅威ではなかった。助けを求めていた弱き者だと思っていたディーノたちコル・イラディアの民たちは、他力本願な傍観者だった。見方次第ではそれも真実である。
(私は間抜けな、中二病をこじらせた大人子供か)
今更それを悔いたところで、どうにもならない。考え方次第では、自分は正義を信じて貫いただけだ、とも言えるはず。要は、どちら側のカメラで物事を捉えるか、という話。それでも、ディーノに対しての絶対的信頼は失われてしまった。
これからどうすればいいのか、わからなくなっていた。会社に行けばアモールがいる。辞めなければいけないのだろうか、と考え頭を振る。出来ればそれは避けたかった。せめて部署を変えてもらえないか、上に掛け合ってみるしかないだろう、とぼんやり考える。
ディーノのことは……
(もう、関係ない)
この世界に留まるというなら、それもいいだろう。これからは赤の他人になるのだから、どこで、どうやって生きていようが関係ない話だ。
視線を上げる。そして、歩き出した。
*****
ピロロロロ、という電子音が聞こえ、うっすらと意識が戻る。カーテンが閉まっているせいで、時間がよくわからない。時計を見ると、八時。
駅前のビジネスホテルに入ったのが六時過ぎ。チェックインできる時間ではなかったが、事情を話して無理矢理入れてもらったのだ。結局、そのままベッドに倒れ込んで眠ってしまった。
「少しは眠れた……のか」
布団の中で、もぞもぞしながら電子音のする方へと手を伸ばす。携帯の画面には片山大吾の名前。休みの日に珍しいなと思いながら通話ボタンを押す。
「おはようございます。どうしました?」
寝起き丸出しの声で電話に出ると、一瞬息を飲むような気配。
『市原さん、大丈夫なの?』
もう、火事のことを知っているのだろうか。まだ誰にも話してはいないのに。思わず
「大丈夫って……なにがです?」
と訊ねる。
『なにって……今日は具合が悪くて休んだんだろ?』
片山の言葉を脳内で反芻する。
具合が悪くて、休んだ。確かにそう聞こえた。
「……ん?」
思い返す。四天王に呼び出されたのは、何曜日だった? アビスゲイトに呼び出されるのはいつも週末の夜だった。だから、なんの疑問も持たず、金曜の夜だと思い込んでいたのだが……。
「ええええっ! 今日って金曜っ?」
布団から飛び起きる。
『おい、本当に大丈夫なのか? 市原さんって一人暮らしだろ? もし嫌じゃなかったら、今から……その、差し入れでも』
照れながら話す片山の声を遠くで聞きながら、一気に頭が冴える。急いで準備すればギリギリ就業時間に間に合うのではないかと考え、ふと思考が止まる。
(休んだ、って言ってなかった?)
ベッドから飛び起き、カーテンを開けると、空が暗い。
「……夜の、八時?」
『市原さん?』
まるっと半日眠っていたということになる。つまり、会社をさぼったわけだ。
「あああ、あのっ、私が具合悪くて休んでるっていうのは誰に……?」
『新海がそう言ってたんだけど……違うのか?』
新海亜門……改め、アモール・ヴァンデロス。彼はちゃんと仕事に行っているのか。
(なんたる失態!)
凛音は頭を抱えた。曜日を間違い、会社をさぼっただけでなく、そのフォローをアモールにしてもらうなどとは末代までの恥。
『市原さん?』
片山の言葉に、ハッとする。
「あ、すみませんっ。えと、熱のせいでちょっと混乱しちゃって……あ、でももう大丈夫ですから!」
『でも』
「週末中にきちんと治しますので! 電話、ありがとうございますっ」
『市原さん、俺』
片山がなにかを言おうとしたタイミングで、部屋をノックする音が聞こえた。ルームサービスを頼んだ覚えはないのだが……。
「あ、ごめんなさい、ちょっと……誰か来たかも。来週からちゃんと会社出ますのでっ。失礼しますっ」
一気に捲し立て電話を切ると、二度目のノック。
「はーい」
こんな時間に清掃が入るわけもなく、首を傾げながら部屋のドアを開ける。目の前にいたのは、
「……アモール」
渋い顔で、低く絞り出すような声を出すと、アモールこと新海亜門が困ったような顔で凛音を見た。
「探しましたよ」
「なっ、なんでここにいるってわかったのよっ」
「朝、あなたが会社に来なかったので、お宅まで伺ったのです」
「伺った、って……だって住所」
「人事に聞きました。部下の身の安全を確認するのは、上司の務めですから」
と言ってのける。
「あんっの、馬鹿人事どもめっ」
個人情報の流出だ。由々しき事態である。
「……災難でしたね」
あの惨状を見たのだろう。凛音は、なんと答えればいいかわからず曖昧に頷いた。
「お腹、空いてませんか?」
差し出された手には、デパートの紙袋。ふわん、と香る美味しそうな匂いに釣られ、凛音のお腹が鳴った。
「くっ」
悔しさと恥ずかしさで拳を握り締める。
「では、用意しましょう」
「いや、待ってよアモール! どうしてここにいるってわかったのっ?」
最寄り駅にあるビジネスホテルはここだけだ。だからホテルを特定するところまではわかる。だが、こうして部屋に直接来たということは、部屋番号をフロントで聞いたということに他ならない。
「まぁ、色々と方法はあるものです」
凛音の質問には答えず、アモールが部屋に入り込む。
「それより」
亜門の姿をしたアモールは、すっと手を伸ばし凛音の頬に触れる。
「っ!」
「無事でよかった」
慈しむような視線。どうも調子が狂う。つい先日まで上司だと思っていた人物が、実は長年敵として戦ってきた暗黒の王だったのだから。上司の姿をした目の前の男を、どういう目で見ればいいのか、完全に見失っていた。
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