第26話 それぞれの思惑の話

「どういう……ことだろ?」


 職場に行くと、なぜか先週まで向けられていた、女性たちからのどぎつい視線が和らいでいた。それどころか、べたべたと凛音にすり寄り、

「市原さん、おはようございます! 今日も最高に可愛いですね」

 などと、謎のおべっかを投げかけられたりする始末。


「先輩、すごいですね」

 福本杏が歩み寄り、凛音に耳打ちをする。

「ね、これってどういうことなの?」

 情報通の杏なら、何か知っているかもしれないと訊ねたわけだが……。


「どうやら新海さんが、人事の人たちの前で宣言したみたいです。市原先輩のこと好きなんだ、って。応援してね、って言われた人事の女性を中心に、先輩への敵意は新海さんの不信を買うだけだと理解したみたいですね」

 明確かつ、知りたくなかった事実を聞かされる。


「……宣言……だと?」

 サーっと血の気が引く。女性たちへの宣言は、イコール会社全体への宣言だろう。なぜなら、彼女たちの口はスピーカーであり、戸も建てられないのだから。


「これで更に白熱した争奪戦がみられるようになりますねぇ」

 むふふ、と口元に手を置き、楽しそうに笑う杏。彼女が言っているのは、片山大吾のことだろう。他人事とはいえ、本当に楽しそうな顔をする。

「……終わった」

 ガックリと肩を落とす凛音。女性たちを敵に回すのも嫌だったが、社員たちから好機の目で見られるのも、同じくらい嫌だ。

「終わった? 始まった、の間違いでしょ、せ・ん・ぱ・い!」


 けらけらと笑う杏の横顔を睨みつける。と、前からこの上なく不機嫌な顔をした片山大吾が歩いてくるのが見えた。


「あ、片山先輩だ。さっそく修羅場です?」

「なんでよっ」

 修羅場も何も、付き合ってもいない相手なのだ。

「市原さん、ちょっといいかなぁ?」

 頬を引きつらせ、笑顔っぽいものを浮かべながら大吾が言った。

「えっと、あ、はい……」

 助けを求める視線を杏に送るが、

「じゃ、私はデスクに戻りま~す」

 と、背を向けられる。


「資料室に行こうか」

 大吾に促され、人気のない資料室へと連れ込まれる。今日、亜門は一日中外回りでいないので、面倒なことにはならずに済むのが救いだった。


 パタン、と資料室の扉を閉じると、大吾がくるりと振り返る。思いつめたような顔で凛音を見つめ、大きなため息をつく。

「……ごめん。市原さんが悪いわけじゃないのにね」

 謝罪から始まった会話。やはり件の話題を聞いているのだろう。なんだかいたたまれない。

「片山さんだって悪くないじゃないですか。謝らないでくださいよ」

 思わずそう口にしてしまう。そもそもこの一件、誰が悪いという話ではない。ただ、非常に面倒であるという話だ。


「まぁ、そうなんだけど。俺がもっと早く自分の気持ちに気付いて、市原さんに気持ちを伝えてたら違ってたんじゃないか、って。つい、そんな風に思っちゃってさ」


 もしそうしていたら何かが違っていたのか。凛音にはわからない。確かに、今は一気に色々なことが押し寄せすぎてはいるが……。


「私の方こそ、なんだか皆さんに迷惑かけちゃって」

「そんなことないよっ」

 被せ気味に、大吾。

「市原さんは、そのっ、とても魅力的な女性だ。だから新海が声をかけたのもわからないではない。だけど俺……あいつに渡したくない。いや、あいつだけじゃなく、誰にも」


 心臓が口から出そうだった。ずっと避けて通ってきた“恋愛”というものは、こんなにも情熱に満ちたものだったのか。友人知人の、熱っぽい視線や必死さを思い出す。皆、こんな風にドキドキしていたのだろうか。


「すごいな……」

 口をついて出てしまった言葉に、ハッとする。大吾が驚いた顔で凛音を見る。

「え? あの、ごめん。引いた?」

「へっ? あ、違いますすみませんっ。私、あんまりその……恋愛経験なくて、ですね。その、熱量っていうかそういうの、なんかすごいなぁ、って、単純にそう思っちゃって」

 しどろもどろで答えると、

「え? 恋愛経験豊富って話は?」

 と、いきなりとんでもないことを言われる。


「は? なんですかその話?」

「あ、いやこの前、福本がそんな話を、だな」

 例のストーカー事件の話だろう、と察する。

「ああ、それは誤解ですっ。私じゃなく、友人の話なのでっ!」

 慌てて否定する。


「そう、そっか。……あのさ、俺の気持ち、迷惑……かな?」

 と真剣な眼差しを向け、大吾が迫った。

「えっ? あ、いえそんな、迷惑だとかそんなっ」

「……俺さ、市原さんと一緒に仕事するようになってから、すごく毎日が楽しくて。市原さんって気遣いもできるし、いつも前向きで明るいし、人のこと悪く言ったりもしないし、そういうところに……ずっと惹かれてたんだと思うんだ」

 顔を赤くしながら、一生懸命気持ちを伝えてくれる大吾を前に、凛音もまた、顔を赤らめる。とんでもなく恥ずかしい気持ちと、心がほんわか温かくなるような気持ち。くすぐったいような、それでいて心地がいいような、おかしな気分である。


「で、ものは相談なんだけど」

「え?」

「今夜、食事でもどう?」

「ご飯……ですか?」

「あ、もちろん予定があるってことならあれなんだけどさっ。なんていうか俺、少しでも長く市原さんと一緒にいたい」

 恥ずかしげもなくそんなセリフを口にする大吾を前に、断る理由を探してみる。だが、予定など、どこにもない。


「はい、大丈夫……です」

 凛音がそう返事をすると、大吾の顔がぱっと明るくなる。

「よっしゃ!」

 大げさにガッツポーズをとる大吾を、少しだけ、可愛いと思った凛音であった。

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