第11話 時代背景


 ★チョット歴史ばかりですみません😅江戸から明治の開国になった経緯を簡単に紹介します。丁度、利信、英明、夕花、美智子がこの激動の時代を生きたので軽くおさらいします。


 歴史苦手な方はスルーしてくださいね(^^♪


 歴史上、もっとも有名で、もっとも名を残す働きをした秘書は、西郷隆盛だったと言われている。明治維新の基礎となった幕政改革の原動力となった西郷は、薩摩藩藩主・島津斉彬にその才覚を認められ、秘書官として立ち回り、政務・事務方・他藩との交渉に奔走。明治維新の基礎を作った立役者である。



 江戸時代の日本は、海外との交流を極端に制限する鎖国政策を採っていた。日本に近づく外国船を武力で追い払う方針まで採っていたほどなのだ。


 しかし、1853年(嘉永6年)、開国を要求するため、「ペリー」は、4隻の艦隊で突如浦賀に来航。近代的で圧倒的な西洋の武力を見せ付けることで、江戸幕府に開国を迫った。


 鎖国政策を採っていた江戸幕府は、とうとうアメリカの要求をはねのけることができなくなり、1854年(嘉永7年)、遂に開国要求を認め、アメリカとの間で「日米和親条約」を締結した。


 こうして江戸幕府崩壊につながっていく。


 1853年(嘉永6年)、アメリカの「ペリー」が浦賀に来航した。徳川家による江戸幕府の統治体制が崩壊。1867年(慶応3年)、江戸幕府15代将軍「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)は、政権を天皇に返上する「大政奉還」を行った。


 1868年(慶応4年/明治元年)に、明治政府が誕生した。この幕末の動乱から明治政府が成立するまでの政治的革命を「明治維新」と呼ぶ。


 明治維新とは徳川幕府による支配体制が崩壊、明治政府の新体制が成立した変革のことを言う。明治維新の時期については、諸説あるが1853年のペリー来航~1877年西南戦争までとすることが多い。


 丁度この時代、利信は埋蔵金を手にしていたが、元々悪知恵の働く口達者で弁の立つ男だったので出世できた怠け者だった。その為警察官になれたのは良いが、何という事だ。直ぐに辞めてしまい呉服屋を営んでいたが1年と持たなかった。「苦労しないで手に入れた不当に得たお金」あぶく銭で、元々楽する事しか頭にない男が経営者になどなれる訳がない。


 埋蔵金は賭博、酒、女、更には商売の呉服屋の経営に充てていたが、傾いてあっという間に埋蔵金は使い果たしてしまった。


 こうして…仕方なく埋蔵金泥棒の片棒を担がされていた武士たちを訪ね歩き、脅迫してその日ぐらしをしていた利信だったが、英明の妻夕花に一目惚れしてしまい英明を殺害して、美しい夕花と結婚して「日光繊維」と夕花を手にすることが出来たが、年月が流れ美しさも今は昔となってしまった、とうのたった夕花が邪魔になり、またしても殺害。


 若くて美しい美智子と結婚したのだが、愛する美智子がいながら「日光繊維」で働く秘書、春子という愛人をもうけていた。


 この時代には春子のような一般庶民が名前に「~子」を付けることは珍しかった。

利信は高貴な名前を持つ名前の春子に興味を持った。


 女性の名前に「~子」が広く使われるようになったのは、いつ頃からかはわかっていない。もともとは天皇や貴族の娘など上流階級の名前として使われていたようだが、平安時代高貴なお方の名前には子が付いていた。実は…平安時代、紫式部、清少納言が仕えていた一条天皇の中宮、彰子、定子も「子」の付く名前。


 そもそも一般庶民の女性の名前に「子」が使われるようになったのは明治時代後期になってからだそうだが、それまで「~子」は上流階級の女性の名前に使われていたため、一般庶民の間でも高貴で上品なイメージが好まれ、あこがれを込めて付けられるようになったらしい。


 一方の妻美智子は元々お嬢様で華族階級の伯爵様だった。生粋のお嬢様で愛知県に数十店舗展開する「ハナシマ」洋品店のお嬢様。



 それでは……ここで華族(かぞく)とはどのようなものか、説明して置こう。


 1869年(明治2年)から1947年(昭和22年)まで存在した近代日本の貴族階級だが、明治時代初頭から第二次世界大戦での敗戦直後まで日本に存在した貴族階級である。

  貴族:身分や家柄の尊い人。


 明治政府は1884年(明治17年)に華族を発令し、華族を爵位(しゃくい)によって格付けした。爵位は上位から順に、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の5つのランクに分けられた。


 このランクは江戸時代の藩の石高(こくだか)「近世の日本において土地の生産性を石という単位で表した」で決められていた。


 江戸時代は、徳川幕府の下に約300の「藩」を置く幕藩体制によって社会を統治していた。「石」は、1年間の米の生産高を表す単位だ。現在の価格では、1石=約30万円とされる。その中には、海産物や工業製品などの特産品の収入も、石高に換算されていた。


  最上位の公爵になったのは、公家のなかでも代々、朝廷の高官を務めてきた(せっけ)と呼ばれた5つの一族や、江戸幕府の将軍を輩出してきた徳川宗家、また明治維新で活躍した薩摩藩(現在の鹿児島県西部)藩主の島津家や、長州藩(現在の山口県)藩主の毛利家などだ。


 最も格下の男爵は、明治維新後に還俗(げんぞく:僧侶が俗人に戻る事)した公家出身者、特に下級公家や奈良華族、神官華族は体面を維持するような資金も資産もなく、爵位を返上する家も多かった。一方の武家の中にも江戸時代に石高の低かった武家の暮らしぶりは華族とは言え裕福ではなかった。



 それでは……華族制度を設けたその狙いは一体何だったのか?


 江戸時代は、徳川幕府の下に「藩」を置く幕藩体制によって社会を統治していたが、藩主にとっては、「財政難でこれ以上統治していられない藩を、負債をほぼ抱えること無く手放せる」絶好のチャンスだった。そのため、廃藩置県は藩主らからの反発が少なく、スムーズに実行することができたと言われている。


 廃藩置県はこの後詳しく説明する。


 赤字を抱える藩も存在していたので藩(約300の藩)をなくし、都道府県に変わった。(江戸幕府の藩は現在の都道府県)


 藩には藩主(今の県知事)がおり、徴税や軍事の権限を握っていたが、明治政府が統括しようと考えた。だが、権力を取り上げられた藩主達は不満をくすぶらせた。これを抑えるために、明治政府は藩主達を華族として特別な扱いをする事になった。


 華族(かぞく)とは、明治時代初頭から第二次世界大戦での敗戦直後まで日本に存在した貴族階級。「明治政府」が設けた、公家(天皇に仕え、政務や儀式を行った貴族階級の官僚達)や武家(土地を所有する武士大名など)に代わる身分制度で、限られた者達だけが組み入れられた特権。武士でも士族などは華族にはなれなかった。


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 ここで明治政府が行った「廃藩置県」とはどのようなものなのか? 

 

 それは……すべての藩を廃止して代わりに県を設置する事だ。


「有名無実」とは、名ばかりは立派で、それに見合う実質が伴わないという意味だが、明治政府はこれでは日本が滅ぶと考え、改革を実質的に断行した。それが1871年(明治4年)の廃藩置県である。藩を廃し県を置く制度により、600年以上続いた封建体制は解体された。


 このとてもつもない改革は予想に反して大きな反乱や暴発を招かなかった。廃藩置県の準備を水面下で推し進めてきたのは木戸や大久保、西郷ら一部の有力者たちで、岩倉具視には決行の二日前に知らせが入った。藩主たちには何も知らされず、いきなり皇居に呼び出されて一方的に廃藩置県が宣言された。このような乱暴かつ強行なやり方で成功したのだから、快挙というより奇蹟に近い。中央集権国家の確立に向けた手続きは粛々と行われたのである。これほどの国家的大事業なのに、ろくな準備も根回しも行われず、わずか数日のうちに決断され、実行に移された。


 参議の木戸孝允は、廃藩置県のセレモニーで感激のあまり涙を流したと言われている。大久保利通や福沢諭吉も覚悟のほどを述べている。


 大久保利通も日記に「とくと熟考今日のままにして瓦解せんよりはむしろ大英断に出て瓦解いたしたらん」(いらずらに熟考するばかりでまとまらず空中分解するよりは、いっそのこと廃藩という大英断に踏み切って組織全体がこわれる道を選ぶ)と、廃藩置県への強い覚悟のほどを語っている。


 一方の福沢諭吉も「一身にして二世を経るがごとし」(まるで一生に二つの人生を生きる思いだ)と述べ、「もうこれで死んでもよい」と友人に書き送るほど感激したエピソードが伝わっている。


 廃藩置県の意義と目的は欧米列強と渡り合うための中央集権国家の樹立にあった。すべての地域とすべての国民が一つにまとまって同じ国家目標へと突き進むには、旧大名や旧旗本らが実質支配する藩体制を打破し、行政権や軍事権、徴税権を政府に集中させる強い国家づくりが急務だったのだ。


 江戸時代国家が旧弊の体制のまま停滞して欧米列強に侵略される「恐怖」もあったと考えられる。学も情報もある武士たちは、アジアの国々が欧米諸国によってどれだけひどい目に遭わされているかを熟知していた。


 その1つが日米和親条約である。1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に日本とアメリカ合衆国が締結した条約。日本側全権は林復斎(大学頭)、アメリカ側全権はマシュー・ペリー。「両国のいずれかが必要とした場合、締結日より18ヵ月たてば、アメリカが下田に領事を置くことが可能になる」という内容だが、「いずれかが」と書かれているので、アメリカが一方的に領事を置くことが可能になる。


 食料や燃料の補給・難破船や乗組員の救助・領事館の設置・契約当事者の一方だけが義務を負う待遇などが主な内容 。 領事裁判権・日本の関税自主権の欠如など不平等な内容が多かった。


 この条約では「通商(貿易)は拒否するが、港は開く」として、アメリカに対し下田と箱館(現在の函館)の2港を開港し、200年あまり続いた鎖国は終わり日本は開国した。なお、日米間の通商(貿易)開始は、4年後に締結された日米修好通商条約からとなる。


 また日米修好通商条約は日本にとって不公平極まりないものであった。不平等であった点は「治外法権を認める」、「関税自主権がない」の2点。治外法権を認めるということは、「領事裁判権」を認めるということを指す。


 どういう事かと言うと、、アメリカ人が日本で罪を犯しても日本の法律では裁けない。そのためアメリカ人が日本で罪を犯しても自国に帰ってから裁かれることとなり、判決が不十分、あるいは被害を受けた日本人が十分な補償を受けられないといったこともある。強姦や泥棒をされても泣き寝入りしなければならなかった。

犯罪を行ったアメリカ人を日本側が裁判できないこと、日本側が自 主的に関税を定めることができない(つまり、関税自主権をもたない)ことなど、 日本に不利な、不平等な内容のものだった。


 関税自主権がないという点については、アメリカから輸入した品物の関税をアメリカが自由に決め、自国の品物を安く売ることができるということを意味している。


 また日本の関税は食料や建材が5%、それ以外の物品は20%、酒類に関しては35%であり、日米修好通商条約が日本経済に直接深刻なダメージを与えるほどではなかったが、余りにも不公平な条約だった事が伺える。



 日米修好通商条約には日本に不利な点が多かったため、井伊直弼に対する批判や反感は増大したが、江戸幕府の大老「井伊直弼」(いいなおすけ)には、条約を結ぶことによってアメリカとの戦争を避けたいという目的があった。


 また、日米修好通商条約と並行して、日本はイギリス・フランス・ロシア・オランダとも同様の条約を締結したが、これらの条約は「安政五カ国条約」または「安政の仮条約」と呼ばれており、いずれも皇”による命令になしに調印されている。内容に不平等な部分があったとはいえ、自由貿易が始まったことによって日本国内の総生産は7%増加した。


 それからもう1つは清とイギリスで起こったアヘン戦争だった。

 イギリスで紅茶が流行って紅茶の原料を清(中国)から買うために、インド(イギリスの植民地)で作ったアヘンを清に売ったのだが、清でアヘンが大ヒットしてイギリスは物凄く儲かったが、清はアヘン買いすぎで経済危機に陥って、アヘンの取り締まりを強化しアヘンを海に捨てた。当然のことだ。清ではアヘン中毒者が蔓延したのだ。イギリスが怒って戦争が始まった。


 アヘン戦争が起こったが、日本にすればあれだけの強豪国清が敗れた事によって日本は震え上がった。技術も産業も学問も何もかも遅れている日本が欧米に太刀打ちできないのは当たり前で、このままでは支配を受け入れる屈辱の未来が待っている。誇り高い日本の武士たちにとって服従して奴隷となって生きることは、死に他ならない。死を前にして自分たちの身分や仕事がどうのと言っていられないはずだ。


 何よりもこの時代、日本人は同じ問題意識を共有して同じ国家目標を共有している者も多かった。藩や利害を超えて一致団結できる核のようなものがあった。欧米列強に負けない近代国家に生まれ変わるという目標は、当時多くの日本人が納得する「大義」だったのではないだろうか。


 同じ問題意識・同じ目標を共有していれば立場や利害を超えて一致団結できる。この様な理由から「廃藩置県」は思いのほかスムーズに進んだと言える。


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 上記にも期した通り幕末から明治初期の貿易は、外国人居留地に設定された商業施設に牛耳られており、日本人にとても不利な条件で貿易を行っていた。


 そのため、商館を通さずに、日本人の手で貿易を行うことが当時の国益には非常に重要だった。三井物産は商館を通さず、石炭の直輸出を行ったことをきっかけに、多くの商社が日本人自ら貿易を行うようになった。

こうして…日本は紆余曲折を乗り越え列強国の仲間入りをする事となる。

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